剣の轍 ー車椅子少女アルの騎士物語ー

あわき尊継

第1話


 車輪が轍を踏んで坂道を滑り落ちていく。

 僅かに接合の緩んだ車軸が段差を越える度に際どい音を立てているが、乗っている少女はお構いなしだ。


 彼女が乗っているのは馬車ではない。

 まして荷車でもないし、戦車などである筈も無かった。


「いっけぇぇぇえええ!!」


 力一杯の雄叫びと共に坂道を降りていくのは、車椅子だ。


「あっはははははは!! はやいはやーい!!」


 歳の頃は十。

 未だ小柄な身の上で、収まる車椅子とは身体が合っておらず、ほんの僅かな衝撃だけで放り出されてしまいそうだった。


 右手に村落を見下ろす断崖があり、丘上の小屋とを行き来する為の坂道には落下防止の柵など無い。

 なだらかに弧を描いていく坂道をそのまま行けば、遠からず少女は崖の向こうへ飛び出すか、迫る森に突っ込んで大怪我をするだろう。けれど彼女は、分厚い革手袋で車輪に制動を掛け、左右の回転をズラすことで見事に道を辿ったまま降り続ける。走り始めた当初はすぐ後ろに居た少年が既に豆粒よりも小さい。生まれながらに脚が動かず、故にこそ与えられた車椅子に乗っているというのに、早さを求めて加速すら掛けてみせる姿は、その赤い髪も相まって火の玉にさえ見えた。

 小石を踏んで片輪が跳ねようが、起伏に引き摺られて横滑りしようがまるで怖気る様子がない。

 残りは僅か。

 ここで更なる加速を掛け、少女が挑んだのは、行きはなんでもなかった地面の膨らみだ。

 けれど速度の乗った帰り道なら。


 跳んだ。


「ひゃあああああああああ!! ッふー!! はははははははは!!」


 距離にしては子どもが走って跳ぶのと大差はない。

 それが車椅子で無かったのなら、多くの者は微笑まし気に見ていたことだろう。

 意外にもしっかりした着地に、またしても怪しげな軋みを立てる車軸。

 それを掻き消さんばかりに大笑いを続ける少女。

 かつてない躍動感に、行きでしっかり確認しておいて良かったと心の底から思っていた。


 やがて見えてきた坂の下へ向けて、左右の車輪を掴んで緩やかな減速を掛けていく。

 無謀極まりない暴走を見せた少女とはいえ、そのまま走り抜けると畑へ飛び込んでしまい、またやったのかと母から拳骨を貰うことになる。拳骨は痛い。拳骨は嫌だ。だからしっかり減速し、足りないと判断するや左へ寄せて距離を稼ぐ。なにも坂道の下からすぐに畑がある訳ではないので、平地へ辿り着いた後はぐるぐると回ってやれば十分に減速出来るのだ。


 しかし舗装もされていない土の道を回っていた為、そろそろ静止といった時に轍に車輪を引っ掛けた。

 円を描いて外へ力が掛かっていただけに、車椅子は呆気無く横転し、少女はごろりと地面へ転がり出る。


「ああっ、大丈夫かアル!?」


 自力で坂を駆け下りてきた少年へ、少女アルは動かない脚を放り出したまま、ぴしりと指を立ててこう発言した。


「兄さんもう一回!!」


 不思議なことに、畑へ飛び込まなかったのに拳骨を貰うことと相成った。


    ※   ※   ※


 むっすぅぅぅぅぅ、と。

 概ねの語りを終えたアルが車椅子の上で膨れると、対面に座る金髪の少女がころころと笑った。


 膝の上で揃えた指先は綺麗で、口元へ手をやり笑みを隠す仕草などは育ちの良さが伺える。

 車椅子の構造上、足先を地面に付けないアルの目線は少しだけ高いが、背丈などに大きな差はない。

 何より拳骨を貰ってふくれっ面の少女と比べれば、大体の同世代が大人びて見えるだろう。


「笑いごとじゃないですぅ」

「ふふっ、ごめんなさい。でもね、アル。私はこうして元気なアルから話を聞いているから笑っていられるけど、その場に居たら卒倒してしまったと思うわ」

「でもさあ、レイナ」


 名を呼ばれ、レイナは閉じた瞼をそのままに首を傾げる。

 疑問による動きというより、仕方のない妹分へ向ける『なあに?』とでも言いたげなものだったが。


「ちゃあんと止まったんだよ? こうやって車輪を握ってっ、勢いをしっかり止めて、足りないなあって思ったからぐるぐる道の上で回ったりしてさっ、上手くいったんだよお、完璧だったもんホントに!!」


 因みに最後の転倒は無かったことになっている。

 武勇伝を語る時にオチを付けるのは道化のすることで、吟遊詩人であれば素晴らしい演奏を添えて余韻を与えてくれるものだ。

 嘘をついているのではなく、単に余分な内容を省略しただけだ。

 物語には軽妙な節回しや勢いが必要なので、つまりちょっとだけ良い恰好するのは正義である。


 尚この語りの発端が拳骨を貰った愚痴である為、結局オチがついていることにアルは気付いていない。


「跳ぶってホント気持ち良いよお! レイナもやってみなって! ほらそこで! 部屋の中なら安全だって!!」


 興奮した様子でおすそ分けまで始めようとするものの、言われたレイナは少し困り顔だ。


「でも私、目が見えないから」

「脚動かなくても跳べたし大丈夫だって」


 普通ならば言葉を慎む所だが、アルは一切の遠慮をしない。

 日頃破天荒な行動を取るアルはともかく、レイナは性格的にも大人しく、周囲の言う事にも忠実だ。故に他者から向けられる言葉の多くは心配や気遣いで、叱られたり、ましてや拳骨を貰うことなどまず無い。


「やめとくー?」


 そんな彼女だが、煽るような口ぶりを聞いて文字通り奮い立った。


「やるわ」


 家具の位置は把握している。

 元々が目の見えないレイナの自室とあって物は少ない。

 身体をぶつけて怪我になりそうなものはすべて処理されており、まして坂道を滑り降りるのでもない。


 座っていた長椅子の背もたれに手をやりつつ距離を取り、両手をぐっと握って息を整える。

 縮こまっているようにも見える姿を眺めながら、ただただ彼女の間を待った。


「えいっ」


 僅か。


 そう、僅か、拳二つ分程度の跳躍があった。

 しかも真っ直ぐ飛び上がっただけ。

 けれどレイナは着地に脚を彷徨わせてしまい、少しだけ姿勢を崩しつつも、どうにか自分の脚で立ち続けた。

 何も見えないということは、地面という名の平たい面の存在を知っているだけで、そことの距離感など完全な埒外となる。

 まして人生で一度たりとも自力で跳んだことが無かったのであれば。


「で、出来たわっ、アル!」


 興奮に頬を染め、大偉業を成し遂げた冒険者みたいに笑って見せる。

 すぐさま車椅子を滑らせていったアルが隣に付けて手を取ると、やはり怖さがあったのかへたり込んでしまったが。


「気持ちいいでしょ」

「ん、んー、よく分かんないけど、なんか凄かった……」

「ふふんっ。じゃあ次は前に向けて跳んでみようよ、今のは真上だったでしょ?」

「えーっ!? 駄目よ、そんなの怖くて出来ないわ!」

「手握っててあげるから、隣でちょんって跳ぶだけ跳ぶだけ」

「今のが初めてだったんだもん。もうちょっと練習してから」

「レイナに任せてるとずっと真上にしか跳ばないもんなあ」

「んー、だってぇ」


 その後何度か跳んでみたものの、一向に手を離す様子も、前へ向かう様子もないままで、なのに心から楽しそうな会話は続いた。

 子どもが二人、座った少女に手を取られ、傍らでもう一人がぴょんぴょんと小さく跳ねているだけの、ふざけ合いにも見える光景ではあったが。


「…………もうだめ、今日はもう出来ないっ」

「はいはい。じゃあこっち乗って。送ったげるから」

「んー、脚が震えちゃってる」


 へたり込んだレイナを車椅子へ引っ張りあげ、隣に座らせるアル。

 元より大人になってからも使うことを想定して作ってある為か、座る場所の幅は広く、少女二人が詰めて乗るくらいは問題ない。


「大丈夫?」

「うん、乗ってて平気、感覚ないし。じゃあいくよ」

「きゃあっ」


 目の見えない少女を膝の上で横抱きに乗せ、脚の動かない少女が息を弾ませながら車輪を転がし、寝台へ向かう。

 容易ではなかったが、不可能でもなかった。


 どちらにせよ足元が覚束ないレイナを一人歩かせる訳にもいかない。

 遅々たる歩みではあったものの、辿り着いた先で車輪を双方共に固定し、お客様の背中をくすぐった。


「んーっ、こそばゆいからぁっ」

「えーいっ」


 逃げたレイナが手を伸ばし、アルの腕を掴んだ。

 力任せの引っ張りが支えの無い身体を引きずり込んで、今度はアルを飛ばせようとする。

 が、所詮は部屋で引きこもりがちな少女の力。

 勢いも力も足りず、半端に寝台へ飛び込むことになった為、端に引っ掛かった所から自力で這いあがることになった。


「もーっ、ちゃんと引っ張ってよお」

「ごめんなさい。怪我してない? 大丈夫だった?」

「だい、じょー、ぶううううっ!」

「きゃぁぁぁあっ!?」


 抗議のくすぐりに晒されて日頃の落ち着きなどあっさり放り捨てて大声をあげる。

 とはいえアルもここまで二人分の重量を輸送してくるという重労働の後だ、あっさり開放してふかふかの寝台へ転がった。


「あーーーっ、疲れたあ」

「はぁ……はぁ、はぁ、っ、もう、こそばゆいのは駄目だってぇ」


 大偉業の後の大戦争、流石に二人揃って汗を掻いた。

 張り付く前髪をアルが乱暴に拭おうとするから、察したレイナが小綺麗な手拭いを取り出して額を拭いてやった。

 こめかみ、頬、鼻先に目元と、首元までを丁寧に。


 終わってからも、それは少しだけ続いた。


 指先で、ゆっくりと顔の輪郭をなぞる。


「んふー」


 敢えて笑ってアルに、同じような表情が漏れる。

 そう。これは、のだ。


 視力の無い少女は指先で相手の顔を知る。

 距離感など分からない。

 見えるからこその遠慮や緊張や、怖れなどは彼女に無い。

 一方で見えないからこそのそれらは、見える者よりもずっと強い。


 慣れていれば信頼と共に察することは出来ても、基本的に彼女は普段顔の無い人間と会話しているようなものだ。

 だからこうして時折


 アルも抵抗はしないし、奇妙なこととも感じていなかった。

 いや、悪戯はするのだが。


「あーるー」


 わざと表情を次々変えてみせて、形が分からなくなるようにする。

 なのでレイナも抗議の意味を込めて頬をつねって左右へ引っ張った。


「んふふふぅー」


 結局半端に見せただけでアルは逃げ出し、ごろごろと寝台の上を転がった。

 投げっぱなしの脚がスカートの裾を蹴っ飛ばして大変なことになっているが、見咎められる者はここには居ない。


「あ、そういえば」


 自分の汗を拭きつつレイナが弾んだ声を出す。


「ザンさんの所、行けなくなっちゃったのよね?」

「うーん、革手袋も隠されたしなあ」


 今朝の大暴走も、件の人物の元へ行った帰りの出来事だ。

 あの長い坂道の登った先という、偏屈な場所で暮らしているザンという老人がおり、アルは時折彼から荷物の運搬を任されて遠出することがある。

 歪んだ鍋や包丁の研ぎといった金物に関する仕事を一手に引き受けているのだが、如何せん人付き合いを面倒くさがり、坂の下辺りに住んでいるアルの家へ依頼品や完成品が届けられるのだ。


「兄さんのことだから、私の届かない高い所に隠すんだよ。それさえあればまた坂道降りが出来るのになあ」


「押してくれる人が居ないと登れないんでしょ」

「坂道は永遠の敵だよ」


 対抗手段がない為に撤退しかないというのが実に嫌だった。


「だったらね、明日もこっちに来ない?」

「えー、どうしようかなあ」


 両手を放り投げて横になるアルは少しだけふくれっ面が戻ってきている。

 なんとなく察したレイナが頬に触れ、摘まんで抗議する。


「音読の先生がさっきからずっとお喋りして遊んでるんだけどなあ」

「んー、難しいなあ、困ったなあ」


 笑って言うが、事実この時間にアルは少ないながらも報酬を得ている。

 幼い頃からレイナの教育へ混ざり、文字を習得した為に、時折本の読み上げという名目で彼女の祖父が仕事をくれるのだ。

 それは孫娘が少しでも楽しい時間を過ごせるようにという愛情であり、同じく幼い頃から知る、レイナと似た境遇の少女に対する慈悲と、感謝だった。


 十も過ぎれば親の仕事を手伝うか、何処かの職人へ弟子入りを始める頃合いだ。


 けれど歩けない少女にそれは難しい。

 表面的に似たようなことが出来たとして、仕事の出来ない新人が行うべき雑用で悉く彼女の事情が邪魔となる。

 一緒に教育を受けさせたのも、いずれはという思惑があったのかもしれない。


「どうしても?」

「あー、どうしても会いたいなあ。優しい先生が来てくれないかなあ」

「もーっ、しょーがないなあ」

「わーい」


 だとしても二人の関係に違いは無い。

 冗談交じりに立場を持ち出したとしても、アルは元よりレイナも遠慮なんて放り捨てている。


 普段からこの様なのだ。


 心配なんて、遠慮なんて何年も前に放り捨てた。

 アルが居なければレイナは生涯自分の脚で飛び上がることもなかっただろう。


 危険は伴う。


 せめて誰か大人の目を付けてと思うかもしれない。


 だけどどうして、友達との遊びを監視されなければいけないのか。

 そろそろ十歳も越えてきた。

 土地によって違いもあるだろうが、彼女らの自立はもう始まっている。


 方や脚が動かず、方や目が見えなかったとしても。


「あっ、それじゃあ今日は砦の中を探索してもいい?」

「おや、先生は仕事熱心じゃないみたいですね」

「ねーいいでしょお」


「ふふっ、しょーがないなあ」


    ※   ※   ※


 部屋から出た途端、砂ぼこりの混じった風が目元を掠めた。

 アルの車椅子をレイナが押して、固い石畳の上を進んでいく。


 遠く教練場からは鋭い声が発せられており、鉄の響きも聞き取れた。

 吹き抜けの廊下から少し出れば、強烈な日差しと共に空を二つに分けるほどの高い塔が姿を現す。

 砦の最深部、火急を知らせる為の大鐘楼だ。

 城と呼ぶには小さく、三つの郭から成る丘上の拠点。

 有事の際には近隣住民を腹の内へ抱え込み、援軍が来るまで耐え忍ぶことを目的に作られており、事実幾度にも渡って敵の侵攻を食い止めてきた。

 積み重ねた石は年月を帯びて擦り切れ、磨き込まれているようにも見える。


 東方から侵入してくる異民族へ睨みを利かせ、いざ察知したならば大鐘楼を打ち鳴らして敵襲を知らせる。


 レイナの祖父は、この地を守護するたった一人の騎士であり、砦の主だ。


「どこから行く?」

「もっちろんっ、大鐘楼のとこ!」

「近くまでは無理だよ? 流石に梯子は登れないわ」

「おっきく見えるとこでいいよお」

「アルは本当に大鐘楼が好きよね」


 うん、と落ちる吐息には熱がある。


「七年前には無かったんだよね」

「……そうね。お父様も苦労為さっていたらしいから」


 その戦役で命を落とした者の名が大鐘楼には刻まれているという。

 一つがレイナの父親の名で、並び刻まれているのが、アルの父親の名だ。


「あの犠牲を最後にしようって、お爺様は願ってらっしゃるのよ」

「うん」


 アルは平民だ。

 一代限りの位とはいえ、土地に根付いた家が代々騎士となる例は多く、レイナの家はずっとそれが認められてきた。


 アルの父親は平民で、騎士ではない。

 そもそも騎士の位を与えられる世襲貴族は内地と称される壁の内側におり、外地であるこの極東の地ではレイナの家系のみが騎士を名乗る事を許されている。


 ならば騎士と並び名を刻まれる理由とは。


「父さんが呼んできてくれた。一杯走って、壁にまで辿り着いて、大勢の騎士を呼んできてくれたから、私は今も生きてるんだ」


 物心付く前の事ではある。

 砦に籠もり、打ち鳴らされる銅鑼や角笛、人の怒声に囲まれていた記憶も今は遠い。

 それでもたった一つ残っているのは、西より救援にやってきた騎士達が瞬く間に異民族を蹴散らしていった景色だ。


 父は死んだ。


 途方も無い距離を、限界を超えて走り抜け、敵襲を知らせた後に力尽きたと聞いている。


 悲しさが誇らしさへと代わり、熱を帯びた心が向かったのは、記憶に残る騎士達の戦いぶりだ。


 アルだけでなく、かつて見た騎士達に憧れる者は多い。

 元より外地と呼ばれ、肥沃とはとても言えない荒地で敵を見張る為の拠点。

 腕っぷしで成り上がることこそ、この地の少年らが抱く最高の夢だった。


「おっきいなあ……っ」


 眩しさに目を細め、大鐘楼を見上げるアル。

 炎を思わせる真っ赤な髪を砂ぼこりに晒しながら、瞳はどこまでも真っ直ぐ揺ぎ無い。


 ただ、過去を想うレイナ共々周囲への注意が散漫になっていて。


「っ!?」


「と、危ないな――――いや、すまない、大丈夫か?」


 低く暗い声音。

 記憶にも無く、表情も読み取れない平坦さにレイナが身を強張らせた。


 砦の中だ、部外者が入り込むことなど滅多にない。


 そんな彼女に気付いたからか、相変わらずと言うべきか、アルの言葉は乱暴だった。


「危ないじゃんっ」

「ふん、ここが子どもの遊び場だとは知らなくてな」


 一度は引いて見せたものの、遠慮のない物言いにか男の言葉にも皮肉が混ざる。

 が、その程度で怖気るのならば、車椅子で坂道を降るようなことはしない。


 アルは声音と同じくらい仄暗さを感じる男を正面から見据えた。


「うるっさいなあ。ここはレイナのお家なの。アンタは何? 見ない顔だけど」


「……不具の娘が居るとは聞いていたが、成程な」

「ふぐ、ってなに?」


「脚が使えんのだろう」


 どうにも男はアルのことが砦主の孫娘だと勘違いしているらしい。

 後ろのレイナが怯えてしまっている為、敢えて否定も説明もしなかった。

 知らない相手との不意で、やや棘の刺さる様な遭遇だ、彼女が苦手とするのは理解している。


 そもそもとして、砦主の孫娘に車椅子を押させている平民の娘というのが説明し辛い。まあいいかとアルは放り捨てた。


「だからなに? 笑ってやろうって?」

「なんだそれは。ただ聞いていたというだけだ。まあ、少々クソ生意気な小娘だな程度には思うがな」

「ふんっだ」


 遠慮のない物言いはアルも同じこと。

 貧しい土地で、腕っぷしで成り上がろうという者が多いからか、平然と相手を見下すのは常の景色だ。

 だから脚の事をあっさり流されたことには驚いたが、それはそれとして意地だけは張り続ける。

 アルもまた、この土地の人間だった。


「それでアンタは何者? ここの人は皆知ってるんだけど」

「ちょっとした面倒事に巻き込まれてな。ついでに下の連中を稽古しろとお前の祖父から頼まれている」

「それって……」


 つまり、騎士であるレイナの祖父から、直々に腕を見込まれているということで。


「あんたって近くの人じゃないよね」

「あぁ、一応は内地から来た」


 身体が浮かび上がるのを感じた。


「じゃ、じゃあっ、アンタって内地の騎士なの!?」

「生憎と違う。俺は従士だ」

「ええええええ゛え゛え゛え゛え゛っっっ!?」

「っははは。悪いな」


 あまりにもアルの不満ぶりが凄かったからか、男は不快感を示す所か笑って応じた。

 仄暗い雰囲気はあるものの、殊更に威圧するでもなく、振舞いにはどこか余裕がある。


 騎士に仕える従士。

 憧れには程遠いものの、その近くに居ると思えば当然なのかもしれなかった。


「成程、ここじゃあ騎士様は憧れみたいだな」

「そうだよお。本物に会えると思ったのになあ」

「うん? お前の祖父も騎士だろう」

「あっちはだって普通にお爺ちゃんだし」

「あれで昔は強かったんだ。今度武勇伝でもせがんでみろ、中々に楽しめるかもしれんぞ」

「へー」


 興味がないとばかりな反応に、男もまた息を落として笑みを流した。


「そうだな。お前の言う本物に合うかは知らんが、内地の騎士に会いたいのならすぐそこに居るぞ」

「ホント!?」

「ふふ。あぁ、清廉な騎士と呼ぶには胡散臭い奴――――」



「ジーン。教練が終わったら合流する様に言っておいただろう」



 そっと降ってきた声に、アルは周囲の光が翳ったようにも思えた。

 反して輝きを帯びる、一人の人物が歩いてくる。

 靴底が心地良く石畳を打つ度に心臓が跳ねた。

「いや、お前に会いたいって子どもが居てな」

「僕に?」

「あの爺さんの孫娘だよ」

 透き通る様な金髪を飾り紐で纏め、白の衣に身を包んだ、本物の騎士。

 一目で分かった。

 腰に帯びた長剣も、僅かに月の光を帯びた瞳も、その目尻が柔らかく下がる仕草それすらも、いつか物語で読んだ騎士そのものたった。


 車椅子に座るアルを認めると、彼は膝を付いて目線を合わせた。

 口元をゆっくり笑みに変え、差し出された手の上へ、思わずアルは己の手を重ねる。


「初めまして、お嬢さん。僕はゼルヴィア=エルメイアという、ラーヴィア領から来た騎士だ。しばらくこちらで厄介になるから、よろしくね」


 思わずアルはジーンと呼ばれた陰気な方を見て、それから目の前にいるゼルヴィアを見詰めた。

 アレが偽物、コレが本物。

 極めつけに不躾な視線だったが、ゼルヴィアに気分を害した様子はない。

 敢えて言えば、ジーンが皮肉げに鼻を鳴らしていたくらいか。


「本物の、騎士様?」

「そうだね。国王陛下より直々にこの長剣を賜っている」


「っ、っっ!!」


 呼吸が定まらず、一度震えて、それから大きく息を吸った。

 憧れの騎士。

 父が命懸けで呼んでくれた、あの悪魔のような異民族を蹴散らして、助けてくれた騎士。


 物語から出てきた様な男に対し、アルは決して己を支えられない両脚を晒したまま、どこまでも純粋な瞳で叫んだ。



「私っ、貴方みたいな騎士になりたいんです!!」





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