第5部分

 一方、自身ではその類の事をそれこそ「不得手」だと認識しているが故に、その推測の確度への自信もそれ程強くはないものの、この数日間の付き合いの濃さもあってタチバナはその間や口調の裏にあるアイシスの思考をある程度は推測する事が出来ており、その思考とその言葉自体から溢れるその優しさにはタチバナも一定以上の、当人としては最高級の喜びを感じていたのだが、それとは別に若干の失望を抱いていた事は否めなかった。


 とはいえ、少なくとも直接は、という意味では無論それはアイシスの言葉やその裏にある思いへのものではなく、あくまでも「やはり旅の事についての話が出て来なかった」という結果に対してのものであり、何ならその予想通りの結果に対しても苦笑を浮かべる様な些細なものである為、最早その言葉を用いる事が正確な表現であるとさえタチバナには思えなかったが、咄嗟にはそれ以外に自身の感情を表す言葉は思い付かなかったのであった。


「……ありがとうございます。しかし、そのお気持ちだけでもこの様な言葉では感謝を示し切れない程ではありますが、流石に私が担っている全ての役目についてそうだ、とは申し上げられないものの、現状でもお嬢様は既に十分に私が頼るに値する能力をお持ちであると思われますので、どうぞご自信をお持ちになって下さいませ。とはいえ、無論可能な限りその様な事態にはならぬ様に、私も従者としての務めを全力で果たさせては頂きますが」


 しかし、いくら一度は彼我の関係を公式に改めた上に、現在のアイシスはその上下関係に固執している訳ではないと理解しているとはいえ、流石に従者としてその失望をそのまま表に出す訳にはいかない為、先程からの悩みが消えた訳ではないが故の若干の間を置きながらも、タチバナは先ずはそのアイシスの言葉に素直な感謝を伝えると、その言葉の中でアイシスが見せた自信の無さを否定して励ます様な事を口にするが、それがどうも失言だった様に思えた為に、直ぐにそう従者らしい言葉を付け足して返答を締めくくる。


 尤も、それは彼我の立場を鑑みても特に失礼に値するといった事も無く、寧ろそれを聞いた際のアイシスの表情から察する限りでは、主を励ます悪くない発言であったと考えられる為、タチバナには何故それを失言だと感じたのかが自身でも良く分からなかったが、何れにせよその後に付け足した部分は従者の立場としては必要なものであったと思われた為、その謎は敢えて永遠に棚上げにする事にするのであった。


「いやいや、そんな、私なんてまだまだ……いえ、でも、ありがとう。貴方に……いえ、貴方程の実力者にそう言って貰えたのならば、此処は素直に喜んでおくべきよね」


 一方、これまでの問答でも既に十分過ぎる程の喜びに浸っていたアイシスであったが、そのタチバナの自身を認める様な発言で更にそれが高められると、思わず素が出てしまいそうになりながらそれに謙遜の言葉を返そうとするが、直ぐにより相応しい返答があると気付きそう素直に礼を言うと、その心変わりの理由をわざわざ口に出して説明する。


 とはいえ、既に「アイシスとして生きていく」と決めた身でありながら、本来の自身の謙虚な……というか自信の無さが先立って表出してしまった事からも分かる様に、その一連の言葉は既に少女の理性による管理下からは若干離れてしまっていたのだが、それでもどうにかして体裁を取り繕った結果、何とか告白紛いの……とまでは言わずとも、直接的に好意を示す言葉を口にはせずに済んだのであった。


 尤も、実際には殆どそれを口にした様なものである……という事は兎も角、その「アイシスとして生きていく」という決意は、これからもずっとそれらしい演技をしていくという意味ではなく、その本来の自身とアイシスとしての自身の融合というか、それらを無理に分けないという事を意味している為、その様な、言わば一見「アイシス」らしくはない思いを抱く事自体は別に問題にはならないのだが、それをあまりはっきりと表に出してしまうとなると話は違っていた。


 というのも、仮にそうなってしまえばそもそも独りで生きる事は困難である、という現実的な問題を度外視しても、既にタチバナは少女にとってかけがえのない存在となっており、無論滅多な事では……どころか恐らくは何があってもその様にはならないと信じてはいるものの、その様な存在であるタチバナと離れる事になってしまうという最悪の事態を、より厳密にはそのきっかけとなり得る疑念を抱かせてしまう事への恐怖から、その可能性がある……という事を現時点では否定出来ない、元のアイシスからあまりに乖離した言動を取る事は出来ないのであった。


 ともあれ、その前の自身の発言への根拠の無い感覚の事は兎も角、その内容には特に問題は無い筈という認識から、そのアイシスの謎の慌て様にタチバナは先ず若干の驚きを、続いて少々の可笑しさを感じるが、アイシスの視線が少し伏せ気味で自身に向いていない事もあり、それらを特別に表に出さない様にと意識した訳ではないのだが、仮にその様子をアイシスがまじまじと見つめていたとしても、やはりその表情の変化を認識する事は出来そうにはなかった。

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