第93部分

 既に自分の担当する分の小鬼を仕留めたタチバナは、アイシスへと走る小鬼の背後から主の戦いを見守る。自分の様にとは行かないまでも、予備動作が大きく、振りも然程速くはない小鬼の攻撃ならば、アイシスでも十分に回避する事が出来るとタチバナは考えていた。そして一度躱せば、巨蜂戦で見せたものと同等の突きで容易く仕留められる。そう予測したからこそ、タチバナは一体の相手をアイシスに任せたのだった。


 そして、遂にアイシスと小鬼は互いの殺傷圏内へと近付く。走り込んだ勢いのまま、小鬼がその棍棒をやや内側に力任せに振り下ろす。アイシスは小鬼の腕の向きからそれを予測しており、やや余裕を持って左側に回り込む事でそれを躱す。よし、後は突きを放てば終わる。そうタチバナは思ったが、隙を見せた小鬼に攻撃をする事は無かった。


「お――」


 お嬢様、何を? その様な事を言おうとしたタチバナがそれを直ぐに呑み込む。良く言えば大胆、悪く言えば狂っているとも表現出来るアイシスの行動の意図を、タチバナは直ぐに理解したのだった。碌に修行もしておらず、実戦もこれが二度目であるにもかかわらず、アイシスはこの戦いで自らの回避の訓練をするつもりなのであった。


 確かに小鬼の攻撃は大したものではなく、回避も難しいものではない。だが、それはタチバナから見ての事であり、戦いに於いては素人でしかないアイシスにとっては当然危険なものである。受けてしまえば当然負傷はする上、下手をすれば命を落とす事になる。にもかかわらず、何故アイシスはそんな事をするのか。


 それを考えた時、タチバナは直ぐその答えに思い当たる。ああ、この愚かな主は私を過信しているのだと。いくら何でも、目の前の敵の攻撃が当たる直前にナイフを投げても、この距離からでは間に合わない。仮に仕留めたとしても、繰り出した攻撃の慣性が消える訳ではない。そんな事を考えながらも、その信頼に応えられるようにとタチバナがアイシス達へと距離を詰める。その間に、小鬼はアイシスに向けて三度目の攻撃を仕掛けようとしていた。


 最初の振り下ろしの後、小鬼はそのまま左下から右斜め上へと棍棒を振った。それをアイシスは大きく後ろに下がって躱す。そうして空いた距離を詰めながら、小鬼が今度は右から左へ横薙ぎに棍棒を振る。アイシスはそれを、先程よりも下がる距離を短くして回避する。


 その様子を見たタチバナは、瞠目する他なかった。小鬼の攻撃を一度躱す事は、恐怖心に呑まれさえしなければ素人でも難しくはない。だが、複数回となれば話は変わる。恐怖心を煽る外見をした相手に、下手をすれば命を落とすという状況。その中で冷静さと集中力を保つ事は非常に難しく、だからこそ多くの冒険者は、戦闘を早く終わらせる為の攻撃能力を磨くと言っても過言ではない。


 にもかかわらず、本格的な実戦はまだ二度目であるアイシスが、敢えて攻撃をせずに小鬼の攻撃を避け続けている。それはタチバナの目から見ても異常と言える光景だった。今までの戦いでもその片鱗は見られていたが、アイシスの冒険者としての才は、自分が考えていたよりも大きいのかもしれない。そうタチバナは感じていた。


 そうしてアイシスは小鬼の攻撃を幾度も、徐々にその動きを小さくしつつ回避していた。集中力と冷静さを保つ才があるとしても、アイシスは具体的な見切りや回避の技術を磨いてきた訳ではない。そろそろ限界かもしれない、そうアイシスが思った時だった。


 棍棒を用いた攻撃を躱され続けた事に業を煮やした小鬼は、アイシスに向かって体当たりを仕掛ける。突然のそれまでとは違う攻撃に、ここまで回避し続けたアイシスと言えど流石に驚いてしまうか。そう思ったタチバナは、ナイフを抜く準備として腕を僅かに引く。だが、アイシスはそれをも余裕を持って回避すると、突きを繰り出す為の構えを取った。


「さあ、終わりにするわよ小鬼!」


 そう言ったアイシスに呼応する様に、小鬼が棍棒を掲げてアイシスに突っ込む。アイシスはその攻撃の軌道を予測し、それをやや余裕を持って回避する。そして攻撃を終えて隙だらけになった小鬼に、さあ突きを繰り出そうとした時だった。アイシスはそこで逡巡する。それは命を奪う事への躊躇などではなく、何処を攻撃すれば確実に動きを止められるかという合理的な思考だった。


 真っ先に思い付いたのは胴体、心臓だった。だが、小鬼の臓器の位置などアイシスは無論知らず、胸を突けば何らかの臓器には当たるだろうが、小鬼がそれで人間のように動きを止めるかは不確かだった。次に思い付いたのは首だが、これも存在するかどうかも不確かな脊髄にでも当たらなければ、確実に動きを止められるとは限らなかった。


 で、あれば。残された選択肢は頭部という事になる。その結論に辿り着き、それを実行した際の光景を想像した時、アイシスは自身の武器選択を少しだけ後悔した。突きで確実に動きを止めるならば、脳を貫くしかない。そして頭蓋骨の存在を考えた時、狙うべき場所は一つだった。

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