第81部分

 そうして我に返ったアイシスであったが、会話は引き続きタチバナに任せる事にする。一体二でも構わないと言い切る程の自信や、戦闘が目的であるという発言から考えれば、相手は歴戦の猛者である可能性が高い。であるならば、戦闘そのものは勿論、その前の駆け引き等にも慣れているだろう。自身が下手な事をする可能性を考慮すれば、同じく経験豊富なタチバナに任せるべきである。そう考えての事だった。


「……私のような、しがないメイドと戦われても仕方が無いかと思われますが。ところで、我々が貴方との戦闘自体を拒否した場合にはどうなさるおつもりで?」


 タチバナが黒星に尋ねる。戦闘自体を目的としている黒星とは異なり、アイシス一行は此処で戦う事に何の意味も無い。故に、それを避けられる可能性があるならば試さぬ道理は無かった。とはいえ、目的が戦闘だと明言している以上その可能性が高いとはタチバナも考えてはいないが。


「分かっているであろう。その場合は此方から仕掛けるだけの事。さすれば否応なしに其方等との戦闘が始まるのだからな。だが、我は可能ならば互いに納得した上で全力を尽くして戦いたいと望んでいる。別に正々堂々と、という訳ではない。相手が決闘を望むならば決闘を、殺し合いが良ければそれも構わぬ。我が望むのは、この血を滾らせる様な闘争のみ。その為ならば、我は大抵の事は譲歩しよう」


 何度見ても見た目と言葉遣いが合っていない。そうアイシスが感じる黒星の話を聞き終え、アイシスとタチバナはそれぞれ同じ事を思っていた。面倒な奴に掴まった。だが、それはあくまでも面倒止まりという事でもある。その物腰とタチバナの態度から、その戦闘力が非常に高い事はアイシスにも推測出来た。そんな相手が問答無用で襲い掛かって来ていたら、悪くすれば全滅という可能性も考えられた。それと比べれば、話が通じている時点で僥倖ではある。


「成程。道理でございますね。強いて命は奪わない、という様な事を仰っていましたね。ですが、お互いが全力で戦った場合にはそうもいかないのではと存じます。何かそう言い切る根拠はあるのでしょうか」


 タチバナが黒星に尋ねる。もう戦闘は避けられない。それが分かっているにもかかわらず新たな質問をするタチバナにアイシスは違和感を覚えるが、直ぐにその目的を察する。その推察通り、タチバナは自分達が少しでも有利な条件で戦う為に情報を集めようとしていた。少し狡いのでは。相手の堂々とした態度と比較してアイシスはそう思ったが、それは単に両者の戦いに対する理解の違いに過ぎなかった。


 黒星にとっての戦いとは、お互いが実際に動き始めてからを指す。対するタチバナにとっては、戦いとは動く前から始まっているものであった。武器を隠し持つ事も、メイドの格好をしている事も、タチバナからすれば戦術の一端に過ない。それを予測出来なかったり、それで油断する方が悪く、そして弱いのである。


「ああ、その点に於いては案ずる必要は無い。我はこの手足で戦う故にな。当たる寸前に死なない程度に加減する事は、我にとっては難しい事ではない。そして其方が我を殺そうとするのも無論構わぬ。我は戦いに敗れて死ぬ事を悔やみはしないからな。其方の得物は知らぬが、好きな様に戦えば良い」


 黒星が相変わらず堂々と話す。その自信故にか、或いは哲学故にか。その要因は不明だが、黒星は自身にとって不利であろう条件をいとも簡単に許し、それによってタチバナの目的の一つ、言質を取るという事は達成される。そしてもう一つの目的である情報収集も、これまでの会話により概ね完了していた。


 相手が使用する武器、その性格、身体的特徴等々……必要な情報の多くは集まり、逆に此方の情報は殆ど与えていない。タチバナにとって戦うには悪くない条件が整っていた。とはいえ、タチバナとて常にここまでする訳ではない。高い戦闘力を持つタチバナにとって、そうするべき相手は滅多に居るものではないからだ。つまり、目の前の黒星はタチバナにとってあらゆる手段を講じるに値する相手という事である。


 少なくとも命は取られないという保険は掛けたが、敗れた場合には無傷で済むという訳にはいかないだろう。そして自身が怪我をすればそれだけアイシスの目的までの道のりは遠くなり、この魔族が満足して帰ったとしてもその後の危険は大きくなる。負けられない理由は十分にあったが、それとは違う思いが自身の中にある事にタチバナは気付いていた。負けたくない。その思いをタチバナは初めて抱いたが、何故そう思ったのかは分からなかった。 


 しかしタチバナがそれについて考える事は無かった。戦闘に不要な情報や思考が頭から徐々に消えていくのを感じながら、タチバナは黒星の方に歩を進める。


「……素晴らしい心掛けでございますね。黒星殿、貴方はさぞやご立派な戦士なのでしょう。ご満足に及ぶかは分かりかねますが、僭越ながらこのタチバナがお相手を――」


 黒星との距離を徐々に縮めていたタチバナがそこまで話した時だった。

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