第58部分

 この旅の目的地は私が目覚めた都市の西側に位置するが、険しい森に阻まれて直接は向かえないので迂回する為に北上して来た。そして地図を見る限り此処を道に沿う側に進んだ場合は更に東に迂回する事になりそうだが、魔物は道には基本的に近付かないのでそちらに行った方が安全なのは間違いない。しかし私一人ならば兎も角、今の私にはタチバナという腕も立つし五感も鋭く知識も豊富な頼りになる仲間が居る。そして未だ境界からあまり離れていないので魔物もそんなには棲息していないという情報もタチバナから得ている。


 地図を眺めてそんな思考を辿ったアイシスが地図を仕舞って更に考える。タチバナに頼り切るのは気が引けるが、タチバナが居れば恐らく道を外れても問題は無い。それならば、タチバナの力になれる自分になる為にも一刻も早く目的地に辿り着きたい。それに今の所は冒険という名の散歩になってしまっている様な気がする。今はタチバナに頼っている身分だが、少しくらい胸が躍る体験をしたいと望んでも良いだろう。


「左に行きましょう。急ぎの旅ではないけれど、流石に時間が勿体ないわ」


 分かれ道の双方を選んだ場合の利点や欠点を比較し、様々な思考を経たアイシスが最終的な判断を下す。退屈の緩和もその理由に含まれてはいたが、やはりタチバナに頼り切りの現状から少しでもタチバナの力になれる様にという思いが最も大きな要因であった。


「……宜しいのですか?」


 アイシスの判断を聞いたタチバナがそれだけを聞き返す。主の安全を第一に考えるのであれば道沿いを行くべきなのは自明であったが、そもそも本当に安全を考えるのであれば屋敷に連れ帰るべきである。しかしタチバナはそれよりもアイシスの意思を優先したから此処まで来たのであり、一定以上の危険を伴わない限りは今後も主の意思を尊重しようと考えていた。つまりタチバナはこの分かれ道をどちらに向かおうとも、概ねアイシスが考えたのと同様の理由で主の安全を確保出来ると考えているのだった。


「ええ。地図の読み方に自信が無いけれど、此処を道沿いに行ったら結構な遠回りになるのでしょう?」


 タチバナの問い掛けにアイシスが改めての意思表示とその理由を答える。その言葉通りこれまでに地図を読んだ事も無かったアイシスだったが、その図柄から直感的には理解する事が出来た。そしてその理解と地図の縮尺が合っていれば丸一日以上は掛かる時間が変わるであろう事が予想出来るのであった。


「はい。道沿いに進む場合には目の前の丘を丸ごと迂回する事になりますので、一泊以上は余計に掛かってしまうかと存じます。ですがお嬢様のご安全を考えた場合にはやはり――」


「タチバナ、冒険という字の意味を考えてみなさい。多少の危険は冒してこそ冒険というものよ。……勿論、本当に危ないなら迂回するけれど、貴方が強く止めないという事はそこまで危なくはないんでしょう?」


 タチバナの言葉を遮ってアイシスが力説する。元々はどちらかといえば慎重な性質な少女であったが、文字通りに生まれ変わった事とタチバナへの信頼がこの大胆な判断を可能にさせたのだった。


「……確かにこの付近であれば私が対応出来ない程の危機に陥る可能性は低いとは思われますが、自然や魔物が相手でございますので確実にそうであるとは申し上げられません。それでも宜しければお嬢様のご意思を尊重致しましょう」


 主の意思を尊重しようと思っているとはいえやはり立場上アイシスの安全を優先したかったタチバナであったが、アイシスの意思が固いと知りその判断に従う事にする。無論、自身の腕に自信が有るが故の選択ではあるが、そもそもアイシスを屋敷に連れ帰っていない事も含めてつい二日前の自身では考えられない判断であるとタチバナは思っていた。


「余計な苦労を掛けて悪いわね」


 今までの言動からタチバナは主に謝られるという事を気にしていると感じていたアイシスがなるべく軽い感じで謝意を伝える。


「いえ、それが私の役目でございますので……どうかされましたか?」


 それを受けたタチバナの答えが一字一句自身の想像通りだった為にアイシスが思わず笑みを浮かべ、その理由が分からないタチバナは当然それを尋ねる。


「何でもないわ。それじゃあ行きましょう」


 だがアイシスはそれに答えず、そう言うと看板の西側へと歩き出す。そうなればタチバナも従者という立場上それ以上の詮索はしなかった。


「かしこまりました」


 そう言ってアイシスに追従し、再びアイシスの右隣をその歩調に合わせて歩いて行く。


 そうして歩き出して直ぐ、アイシスは何らかの違和感を覚える。その正体は直ぐには分からなかったが、歩き続けるうちにやがて気が付く。見えている風景、具体的には足元に道が無い事に違和感を覚えたのだと。思えば屋外で道が存在しない所を歩くのは初めてかもしれない。そう思ったアイシスは見える風景が新鮮さを取り戻した事を感じ、此方の経路を選んで良かったと思うのだった。そうして改めて良く見れば目に映る草木の種類も圏内に居た頃とは違っており、先程までの退屈も自身の怠慢によって生じていたのかもしれないと思ったアイシスが過去の自分を反省しようとした時だった。


「お嬢様」


 タチバナがそう言ってアイシスの前に出て立ち止まり、左手でアイシスを制する。何が起きたのかと考えるより早くアイシスがそれに従って歩みを止め、剣の柄に手を掛けて周囲の様子を探る。何か良くない状況である。それを瞬時に察せる程にタチバナの短い言葉は真剣な響きを帯びていたのだった。

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