秘密の庭のローニャ
スズシロ
運命的な出会い
絵を描くのが好きだった。画家だった父の影響を受けて小さい頃から町や森に繰り出して絵を描いてきた。売れない画家だった父に愛想を尽かして母は出ていき、森の入口にある小さな家でローニャと父親は慎ましやかに暮らしていた。
父親が病に倒れ、闘病の末に亡くなったのはローニャが十五になった頃だった。暮らしていくためには金が必要だ。町のパン屋で働きながらローニャは絵を描き続けた。
(父さんが残してくれた画材が勿体ないもの)
それがいつもの口癖だった。口癖と言っても心の中で呟くだけだ。
「絵なんて飯の種にもならないよ」
パン屋の女将はそう言ってローニャに仕事をくれた。ローニャを心から心配した悪気の無い言葉だ。
(それでも、絵は私にとって大切な物だから)
「趣味です」と説明して休日は森に籠る。町で絵を描いていると心配されるからだ。身寄りが無くなり生活は不安定だが、キャンバスの上で筆を滑らせている時だけは全てを忘れられる。ローニャにとって絵は無くてはならないものなのだ。
秋の収穫祭の日、いつも通りパン屋に出勤すると「せっかくの祭だから見ておいで」と女将が小遣いを渡してくれた。
「宜しいのですか? 今日はお客さんも多そうですし、手伝った方が良いのでは……」
「大丈夫。ここはあたしと旦那で何とかするさ。たまには息抜きしておいで」
女将はそう言ってローニャを外へ追いだすと店の扉をぴしゃりと閉めてしまった。
(良いのかな?)
収穫祭は町の内外から人が来る。どの店にとっても一番の書き入れ時だ。本来ならば猫の手も借りたい程忙しいはずだが……。
(あれ?)
手渡された小遣いを眺めながらぼーっとしていると町行く人々の様子がいつもと異なることに気が付いた。皆綺麗に着飾って胸元に花を挿している。収穫祭に参加するのは初めてだったのでローニャにはそれが何を示しているのか分からなかった。
広場に出るといくつもの花屋が露店を開いていた。色とりどり花を売っているが、どの花も花束用では無くばら売りされている。
「すみません」
「いらっしゃい! 一本銅貨二枚だよ」
「あの、そうでは無くて……。皆さんお花を胸に挿していらっしゃいますが、あれには一体どういう意味があるのでしょう」
ローニャが恐る恐る尋ねると花屋は「ああ、観光客の方?」と言って「花」についての説明を始めた。
「収穫祭はね、未婚の男女の結婚相手探しの場でもあるんだ。花を挿しているのは『結婚相手を探しています』という合図なんだよ」
「な、なるほど……。そんな風習があるんですね」
「都会ならまだしも田舎だとなかなか出会いが無いからね。年に一度町に出て来て同じ年頃の相手を探す方が効率が良いのさ」
(もしかして、女将さんは気遣ってくれたのかな)
手に握った小遣いは銅貨五枚。花を買って結婚相手を探せという気遣いなのかもしれない。
(確かに私ももう十五歳だし結婚してもおかしくは無い年齢よね……?)
周囲を見回してみてもローニャと同年代の男女が花を身に着けて歩いている。婚約者がいてもおかしくは無い年齢であることは確かだ。女将としては身寄りのないローニャが一人でいるよりは、誰か良い相手を見つけて一緒になった方が安心という考えなのだろう。
(でも……結婚したら絵を描けなくなっちゃうかもしれないし……)
父に愛想を尽かして出ていった母の姿が脳裏に浮かぶ。売れているならまだしも、「売れない画家は穀潰しだ」とされるのが一般的である。もしも結婚して家庭に入ったら今のように気ままに絵を描くことなど出来なくなるのではないか。
それがローニャにとってなによりも不安なことだった。
「お姉さん、買うかい?」
「い、いえ! 大丈夫です!」
花屋を出て足早に広場を後にする。
(やっぱり今の私に結婚なんて考えられない!)
そんなことを言えば女将に呆れられそうだが、ローニャにとってそこはどうしても譲れなかった。
「わっ!」
急に何かにぶつかった感覚があり、尻餅をつく。
「ご、ごめんなさい……!」
考え事をしていて前をよく見ていなかったため通行人にぶつかったのだ。
「大丈夫か?」
「はい……」
すっと差し出された手を取り腰を上げる。
「前を見ていなくて……どこかお怪我は?」
そう言って相手の顔を見上げて息を呑んだ。
(なんて美しい方なの……)
逆光の中でも分かる整った目鼻立ち。キラキラと光る金髪はまるで金糸のようだ。小さい頃に父親に連れて行ってもらった美術館に飾られていた天使の絵画や彫像にも劣らない、芸術的な美を感じた。
「私は大丈夫だ。ぶつかってしまって済まない。君こそ、怪我は無いか?」
「は、はい」
「良かった」
男性はローニャに怪我がないことを確認するとその場から立ち去った。遠ざかって行く後ろ姿を眺めながらローニャはしばらくその場に立ち尽くす。
(描きたい。この世にあんなに美しい人間が居るなんて)
未だにバクバクと音を立てて鳴る心臓は抑えられても「描きたい」という衝動は収まらない。それは決して「恋」では無かった。思わず描かずにはいられない「対象」との出会いに他ならない。
少し前まで頭を埋め尽くしていた「結婚」についての憂いは全て吹き飛び、転がるようにして家に帰った。そしてキャンバスやスケッチブックを引きずり出し、記憶が薄れないうちに目に焼き付けた姿を写し取ろうとひたすらに鉛筆を滑らせたのだった。
「……美しい」
金髪の男性が描かれた一枚の絵画。それが完成したのは少し後のことだった。出勤して来ないローニャを心配したパン屋の女将がローニャの自宅を訪れて床に倒れているローニャを見つけ、「あんたもやっぱり絵画馬鹿の子だね」と呆れた顔をしたのはまた別の話である。
食事もとらずに絵を描き続けたローニャは幸せそうな顔で気を失っていたという。
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