第45話
翌朝、冬葉は自宅で紗綾と向かい合って座っていた。彼女がやってきたのは午前七時半。今の時刻は八時半を過ぎたところだ。
「――紗綾、朝ご飯は?」
「電車の中でパン食べた。お姉ちゃんは?」
「わたしも紗綾が来る前に食べた」
そして会話は終わってしまう。かれこれ一時間ほどこんな状況が続いている。気まずいというよりはぎこちない雰囲気。紗綾は緊張したようにじっとクッションの上に座ったまま動かない。そんな会話が続かない部屋にはテレビの音だけが静かに流れていた。
「……えっと、十時に駅で待ち合わせしてるんだけど」
「メッセもらったから知ってる」
「うん。それで、紗綾は今日どこか行きたいところある?」
訊ねると彼女はわずかに眉を寄せて冬葉を見た。
「紗綾が行きたいところがあればそこに行こうって蓮華さんが」
「ない」
紗綾の声は固かった。冬葉は「そう……」と頷くと口を閉ざす。
紗綾が来た時に淹れたコーヒーはほとんど冷めてしまった。中途半端な温度のコーヒーを啜っていると「――お姉ちゃんは」と紗綾が手元のマグカップを見つめながら口を開いた。
「もし、わたしがあの人と話した後もあの人とはもう関わらないでって言ったらどうする?」
冬葉は彼女に微笑みながら「困っちゃうかな」と答えた。
「困る……。てことは、わたしの言葉よりもあの人のことを信じるんだ?」
「ううん。違う。わたしは二人とも信頼してるよ。だから困っちゃうな」
「……お人好し」
「そうだね。でも、それがわたしでしょ?」
冬葉の言葉に紗綾は驚いたように目を見開いた。そして苦笑する。
「まあ、そうだね。もしお姉ちゃんがわたしの言うことだけを信じるって言ったらそれはそれで見損なうかも」
「複雑だね、紗綾も」
「ほんとだよ。お人好しの誰かさんのせいでね」
そう言って紗綾は笑った。どこか安心したような表情で。冬葉はそんな妹に笑みを向ける。
「もう一杯飲む? コーヒー」
「……そうだね。あったかいの飲みたいかも」
「冷めちゃったもんね」
冬葉は笑って言いながら新しいコーヒーを淹れにキッチンへ向かった。
待ち合わせよりも少し早い時間。駅ビルに入っているテナントがパラパラと今日の営業を開始している。その様子を改札隣のベンチに座りながら冬葉は眺めていた。
土曜の朝なのでそこまで人も多くない。十時になれば駅ビルのすべてのテナントが営業を開始するのでもう少し人が多くなるだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていると隣で小さく息を吐く音が聞こえた。冬葉は苦笑する。
「紗綾、それ何度目のため息?」
視線を向けると紗綾がなんとも言えない表情でこちらを見ていた。
「ため息だって出るよ」
「なんで?」
「緊張するじゃん」
「別に緊張する必要なんてないでしょ? 蓮華さんだし」
「だからでしょ! もう! お姉ちゃんは分かってない」
なぜか怒られてしまい、冬葉は困惑して微笑むしかない。緊張している意味はよくわからないが、緊張しているだけであって蓮華と会うことが嫌というわけではなさそうだ。そのことに安堵しながら冬葉は時間を確認した。もうあと数分で十時だ。
「紗綾、どこに行くか決めた?」
「……まったく決めてない。そもそもこの辺りに何があるか知らないし」
「だよね」
そのとき紗綾が「あ、きた」と声を上げた。見ると蓮華がゆっくりとこちらに向かって歩いて来るところだった。冬葉が立ち上がると、それに気づいたのか蓮華は少しだけ表情を和らげる。
「おはよう、冬葉さん。それに紗綾ちゃんも」
近くまで来た彼女は柔らかく微笑んで紗綾に視線を向ける。しかし紗綾は座ったまま、固い表情で「どうも」と返しただけだ。蓮華は少しだけ首を傾げて困った表情を浮かべた。
「ごめんなさい、蓮華さん。紗綾、緊張してるみたいで」
「お姉ちゃん! 余計なこと言わないで」
紗綾は強い口調でそう言うと立ち上がって蓮華を睨むように見た。
「それで、どこ行くんですか? わたし行きたいところとか特にないのでそちらで決めてもらって大丈夫です」
「そっか。じゃあ、静かに話ができるところ行こうか」
言った蓮華の視線が冬葉に向いたので冬葉は小さく頷いた。その様子を見ていた紗綾が「なに、どこ行くの?」と眉を寄せる。
「カラオケだよ。すぐ近くだから、行こう」
「え、カラオケ……?」
「うん。あ、もしかして嫌かな……? あそこなら音消せば静かに話せると思ったんだけど。ドリンクも飲み放題だし」
蓮華が首を傾げると紗綾は「たしかに」と納得して頷いた。それを見て蓮華は面白いものを見つけたような表情で冬葉に視線を向けた。
「なんです?」
不思議に思って冬葉は訊ねたが、彼女は首を横に振って「じゃ、行こう」と歩き出した。
蓮華が向かったカラオケ屋は駅から五分ほど歩いた先にある大きなチェーン店だった。まだ朝だというのに高校生や大学生くらいに見える客がにぎやかに受付に並んでいる。
「みんな朝からカラオケ来たりするんですね」
思わず冬葉は呟く。
「冬葉さんは高校生の頃とか来たりしなかったの?」
「んー、しなかったですね。友達と遊んだりとかあまりしなかったですし」
「そっか。実はわたしもカラオケとか一人でしか来たことないんだけど」
「え……」
思わずといった様子で声を上げた紗綾に蓮華は「わたし友達いないからさ」と苦笑する。
「紗綾ちゃんは? カラオケよく来るの?」
「……たまに友達と」
「そっか。いいね。最近はどんな曲が流行ってるんだろ。紗綾ちゃん詳しい?」
「知らないんですか?」
「うん。テレビも動画もほとんど見ないから。スマホは連絡手段って感じだし」
「そうなんですか」
紗綾は何か考えるようにしながら黙り込んでしまった。それから少し待って受付を済ませると冬葉たちはドリンクバーでドリンクを選んでから指定された部屋に入る。部屋は三人にしては少し広く、ソファはテーブルを囲んでコの字に設置されていた。
「じゃあ、わたしはこっちに座るから冬葉さんたちはそっちに」
蓮華は言って冬葉たちと向かい合うように座る。そして彼女は「なんか、面接みたいだね」と笑った。
「ほんとですね」
冬葉も笑って、隣に座った紗綾に視線を向ける。彼女はまだ緊張した面持ちで蓮華のことを見ていた。
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