第8話
冬葉は少し後悔していた。心の中でため息を吐きながら隣を歩く女性を見つめる。
ジーンズにTシャツ、その上に羽織った薄手のジャケット。ラフでシンプルな格好なのに着こなしがスマートだ。
わかっていた。
仕事着のスーツすらあんなに着こなしてしまうのだ。私服のセンスが良いことは予想できたはず。自分にはそんな彼女の隣を歩くにふさわしい大人っぽい服がない。そのことをすっかりと忘れていた。
「なんか新鮮でいいね」
しょんぼりと歩いていると藍沢が嬉しそうに口を開いた。
「新鮮、ですか」
「うん。私服の桜庭さんがすごく新鮮。けっこうカジュアルなんだね」
「あー……」
冬葉は自分の着ている服を見下ろして苦笑した。
「これ、田舎にいるときに妹に選んでもらった服で……」
「へえ? 妹さんいるんだ?」
「はい。四つ下の。だからちょっと年甲斐もない服と言いますか」
「そんなことないよ? すごく似合ってるし可愛いって。妹さん、すごく桜庭さんのことわかってる感じする」
「そ、そうですかね」
服を褒められて嬉しいのか、妹を褒められて嬉しいのかよくわからないがどちらにしても照れてしまう。しかし、やはりどう見ても藍沢と隣で歩いていると見劣りしてしまう自分が嫌だ。
「ん、なんでちょっと後ろに?」
無意識に下がってしまっていた冬葉を見て彼女は「ああ、ごめん。歩くの速かったかな」と申し訳なさそうに謝った。
「よく言われるんだよね。歩くの速すぎるって。わたし、せっかちみたいで」
苦笑しながら藍沢は歩くスピードを緩めた。
「せっかちですか? 藍沢さんが?」
「うん。そう思わない?」
「思いませんけど。少なくとも仕事中はどんなにわたしがのろまでも辛抱強く待ってくれてますし」
「そうかな? 急かしてないなら良かった」
彼女は心から安心したように言うと「さ、着いたよ」と前方に視線を向けた。先週も来た洋菓子店。しかし先週とは違ってカフェスペースには多くの客が入っていた。
「混んでますね」
思わず呟くと藍沢は頷いた。
「ここはランチも美味しいからね。でも大丈夫。予約してるから」
言いながら彼女は腕時計を見る。
「時間もピッタリ」
それを聞いて冬葉は気の利かない自分にガッカリして肩を落とした。
「あの、なんかすみません」
「え、なんでガッカリしてんの?」
「だって予約とか、そういうのはわたしがするべきだったなって。どこに行くのか決めてたわけだし」
「いやいや。決めたのって昨日の夕方じゃん。言い出したのもわたしだし、店員に友達がいるんだからわたしが予約するのが普通じゃない?」
「そうでしょうか……。いや、やっぱり後輩であるわたしが――」
「まあ、そんな細かいことはいいから」
冬葉の言葉を遮って藍沢は「はやく入ろ。お腹減っちゃった」と冬葉の手を掴んで引っ張るように店に入った。
店内には入店待ちの人たちが椅子に座って並んでいた。外から見ていた感じではあまり席数は多くなさそうだ。
「こんにちは。予約していた藍沢ですが」
カフェのレジでそう声をかけた店員は彼女の後輩ではない。菓子販売の方のレジにいる店員も知らない顔だった。キョロキョロしながら案内されたカフェの席に着くと「今日は休みなんだってさ。
「紗英、さん?」
「ああ、後輩の名前。
「そうなんですか」
そういえば名前を知らないままだったなと今さらながら思い出す。藍沢は「で、どれにする?」とメニュー表を冬葉の方に向けて置いた。メニューの数は思ったよりも多く、優柔不断な冬葉にはすぐに決められそうにない。
「えっと、藍沢さんはどれに?」
「わたしは日替わりにしようかな」
「あ、じゃあ、わたしもそれで」
「いいの? 他にもいっぱいあるよ?」
「どれも美味しそうだから決められなくて」
苦笑すると藍沢は「そっか」と笑って頷いた。そして店員に注文をしてから彼女は息を吐く。ため息といった感じではない。どちらかといえば気持ちを落ち着けているような、そんな息の吐き方。不思議に思って首を傾げると彼女は「あ、ごめんね」と笑った。
「なんか久しぶりで」
「久しぶり……。あ、このお店でランチするのがですか?」
「あー、まあ、それもなんだけど。こうして休日に誰かと一緒に過ごすのが」
そう言って笑った藍沢の表情がまるで少女のようで冬葉はドキッとしてしまう。
「最近はずっと家でゴロゴロしてるだけだったから」
「それはあんまりイメージできないですね」
「そう?」
「藍沢さんはここみたいなオシャレなカフェとか、夜はバーとかに通ってるようなそんなイメージです」
「どんなイメージよ」
藍沢は軽く笑ってから「ほんと、ありがとね」と呟くように続けた。
「ここ好きなお店なのに来れなくなったら嫌だなって思ってたから」
「たしかに人気のお店に一人で来るのは勇気がいりますよね」
するとなぜか藍沢はきょとんとした表情を浮かべた。そしてフッと笑う。
「え、あれ? 違いました?」
「ううん。そうだよね。勇気がいるよ……。ほんと、今日は付き合ってくれてありがとう」
「いえ。わたしで良ければいつでも付き合いますよ。ちょっと高いお店は無理かもしれませんが……」
「そのときはわたしが奢るから任せて」
藍沢はサラリとそう言うと「今日、この後どうしよっか」とまっすぐに冬葉を見つめた。
「この後、ですか」
「うん。まだお昼だしさ。あ、もしかして他に約束がある?」
「いえ。今日は別に」
冬葉が答えると藍沢は嬉しそうに「良かった」と笑った。その笑顔を見つめながら冬葉は「なんか意外です」と呟いた。藍沢は不思議そうに「なにが?」と首を傾げる。
「今日の藍沢さん、職場にいるときよりもなんというか親しみやすいというか」
「え、わたし仕事中キツい態度してる? 気をつけてるはずなんだけど」
「いえいえ。仕事中も十分親しみやすくて頼りになる先輩なんですけど、今日の藍沢さんはなんていうか……」
「なんていうか?」
なんていうか、と冬葉は眉を寄せて真面目に考える。
なんという言葉が適切だろうか。かっこいい、とは違う。それはいつもの藍沢だ。しかし今日の彼女はいつもとは違って……。
「可愛いですね!」
力を込めて言うと藍沢は驚いたように一瞬動きを止めた。そして「いや、すごいまっすぐにそんなことを言ってくる桜庭さんがすごく可愛いよね?」と真顔で言ってきた。冬葉はどう反応したらいいのかわからずに「ふぇ?」と変な声を出しながら視線を逸らした。
「ほら、可愛い」
ククッと藍沢は笑う。そのとき注文していた料理が運ばれてきた。助かったとばかりに冬葉は胸をなで下ろしながら料理に目を向ける。
今日の日替わりはラザニアセットのようだ。ラザニア、パン、そしてサラダの皿が並べられていく。サラダの野菜はどれもざく切りされていて大きく、真っ赤なプチトマトが丸ごと乗せられていた。
「美味しそうですね!」
話題を変えようと早口で言いながら冬葉はフォークを手にしてサラダに手を伸ばす。
「あ、トマトもらおうか?」
そんな藍沢の言葉に冬葉は「え?」と顔を上げる。すると藍沢は、しまったという顔で冬葉を見ていた。
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