第二章

第6話

 ようやく給料日がやってきた。といっても自由に使える金額はそれほど多くない。


「お姉ちゃん。優先度が大事だからね」


 何を買おうかメモに書き起こしているとテーブルに置いたスマホから紗綾の声が言った。


「わかってるってば。大丈夫。ちゃんと書いていってるから」

「じゃあ、まず最初に買うものは?」

「テレビ」

「……なんでそうなったの。違うでしょ。洗濯機でしょ? コインランドリー通いは辛いって言ってたじゃん」

「あー、たしかにコインランドリー行く度に思ってるかも。よく覚えてるね、紗綾」


 苦笑しながら冬葉はメモの先頭に洗濯機と書き加えていく。スマホからため息が聞こえてきた。


「なんで自分のことなのに覚えてないかな」

「いや、なんか今はテレビ欲しいなって思っちゃって」

「お姉ちゃん、昔からテレビほとんど見てなかったのに?」

「そうなんだけど、ドラマとか見たいなって最近思うようになって。あと、ついでにニュースとか」

「……ニュースがついでって」


 その言葉だけで紗綾の呆れた表情が浮かんでくる。冬葉は思わず笑ってしまう。


「でも、なんで急にドラマなんて」

「んー、なんか見てた方が盛り上がりそうなんだよね」

「何が?」

「藍沢さんとの会話」

「……気まずいの? 職場」


 一瞬にして紗綾の声が深刻になったことに気づき、冬葉は慌てて「違うよ。そうじゃなくて」と否定する。


「仕事の合間に藍沢さん、よくお喋りしてくれるんだよね。そのときにドラマの話がよく出るんだけど、わたしが見てないからなんだか申し訳なくて」

「ふうん? お姉ちゃんが見てないのにその人はドラマの話を続けるの?」

「うん。あらすじを教えてくれて、それがすっごく面白そうでさ。それで見てみたいなぁって」

「スマホで見れば――。って、そうか。お姉ちゃん、パケ放題じゃないんだっけ」

「そうなの。だから見るにはやっぱりテレビを買うしか……」

「んー。じゃあ、しょうがない。お姉ちゃんの人間関係の良化に必要ということで来月の購入候補だね」

「やったー」


 喜びながらメモに書いていると「それにしても」と紗綾が真面目な口調で「お姉ちゃん、最近はその藍沢さんのことか恩人さんのことばっかりだね」と言った。


「え、そう?」

「そうだよ。まあ、藍沢さんは職場の先輩さんだからわかるけど、恩人さんのことはちょっと心配だな」


 冬葉は「え、なんで?」とメモを書く手を止めてスマホを見つめる。


「なんでって、よくわからない人じゃん。名前なんだっけ?」

「蒼井蓮華さん」

「何歳?」

「十九」

「どこに住んでて何してる人?」

「さあ」

「なんで深夜の公園に現れるの?」

「散歩だって言ってたよ。あ、あと歌が上手くてすごく綺麗」

「……どうすんの。その人が壺を買ってくれって言ってきたら」

「え、なにそれ」


 再びスマホからため息が聞こえた。


「壺は極端にしても、お姉ちゃんは少し仲良くなれたと思ったら疑うことを忘れるから心配って話」

「えー、大丈夫だって。蓮華さんも普通の――」

「普通の?」


 普通の、と繰り返しながら冬葉は首を傾げた。年齢的には大学生なのだろう。学校には行っているのだろうか。それとも働いているのか。そういえば居候をしているようなことを聞いた気もする。


「……聞いてみようかな。彼女のこと」

「怪しいから会わないっていう選択肢はないんだ?」

「だって怪しくないもん」

「そうですか」


 紗綾はなぜか不機嫌そうな声で言うと「この後、会うんだっけ?」と続けた。


「うん。日付が変わるくらいの時間に公園で」

「――それが怪しいって言ってんのに」


 たしかに紗綾の言う通り、普通はそんな時間に待ち合わせなんてしないだろう。だが、冬葉と彼女にとってはそれが初めて会った時間であり、その時間に会うことに何も違和感はない。

 冬葉が黙っていると「まあいいや」とため息を吐いた。


「紗綾、最近はため息ばかりだね」

「誰かさんのせいでね」


 冬葉は苦笑しながら時間を確認する。テーブルの上に置かれた目覚まし時計は午後十一時半を指している。


「ごめん、紗綾。もうそろそろ行かなくちゃ」

「うん。あ、あと来週の連休なんだけど」

「来週……。ああ、ゴールデンウィーク?」

「そう。お姉ちゃんとこに行くからね」

「え? いいけど、布団ないよ?」

「一緒に寝ればいいじゃん」

「狭いでしょ」

「じゃ、適当にバスタオルでも掛けて寝る。とにかく行くから。決めたから」

「うん。それはいいけど、ちゃんとおばさんとおじさんに許可をもらってね?」

「わかってるよ」


 紗綾は不機嫌そうな声でそう言い捨てると通話を切ってしまった。


「ゴールデンウィークか」


 本当は自分が帰ろうと思っていたのだが、あの様子では紗綾がこちらに来ると言って聞かないだろう。家で何かあったのか、それとも学校で何か嫌なことでもあったのか。


 ――もっと相談してほしいのにな。


 ぼんやりとスマホを見つめながら思う。最後に彼女から何か相談されたのはいつのことだっただろう。そもそも相談されたことがあっただろうか。考えてみたが思い当たることはない。


 ――頼りないのかな。やっぱり。


 冬葉は小さくため息を吐くと出掛ける準備を始めた。

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