第4話

 ――どうしてここにいるんだろう。


 金曜日。仕事を終えた冬葉は混乱した思考のまま歩いていた。

 そこは綺麗な並木道。両側には様々な店舗が並んでいる。そのどれもがセンスの良さそうな店構えをしており、とても冬葉一人では入れそうに無いところばかり。当然、この通りに来たのも初めてだ。

 週末の夕暮れ時、通りには仕事帰りなのだろう人々が楽しそうに歩いていた。これから食事にでもいくのか、みんなスーツやお洒落な服を来た人たちばかりだ。それに比べて冬葉は明らかに安物の服。周りから浮いていることを実感せざるを得ない。

 冬葉は浅くため息を吐いて斜め前を歩く長身の女性に視線を向けた。

 スラリとスーツを着こなした彼女は、この通りを歩いていても違和感がない。それどころか絵になるほどだ。


「この先にね、美味しい焼き菓子のお店があるんだよね」


 藍沢は楽しそうに軽く前方を指差して冬葉を振り返った。冬葉は笑みを浮かべながら、どうしてここにいるんだろう、と再び思考を巡らせる。

 たしか仕事の息抜きで雑談をしていたときに藍沢に聞いたのだ。知り合いに贈るお礼の品として何がおすすめですか、と。そうしたら彼女は真面目に考えてくれた後「無難なのは、やっぱりお菓子じゃない?」と答えてくれた。


「お礼とはいえ、あまり高価なものだと相手も気が引けちゃうだろうし。あ、でも甘い物苦手な人だったらアレかなぁ……。アレルギーとかもあるかもしれないし。その人って、どんな人? 年代とか、性別とか」

「え、えっと、十九歳の女の子です。アレルギーとか好き嫌いはわからなくて」

「あー、じゃあ焼き菓子とかいいんじゃないかな。あんまり嫌いって言う人聞かないし。わたしの知ってる店、アレルギー対応の物もあるから良ければ紹介するよ?」

「ほんとですか? 助かります」

「じゃ、今日は定時退社して一緒に行こっか」

「はい。え……?」

「決まり! じゃあ、さっさとお仕事すませちゃおう」


 楽しそうに笑って藍沢は作業に集中し始めた。それが今日の午後のこと。

 本当に定時後にこうして一緒に買い物に来ることになるとは思わなかった。


「あの……」


 冬葉は前を歩く藍沢に声をかける。


「んー? あ、もしかしてお腹減った? どっかでご飯食べるのもアリだよね」


 職場にいるときよりも親しみやすい雰囲気の藍沢に少し戸惑いながら、どう言葉にしようかと迷う。

 お店を紹介してもらえるのは助かるのだが、正直言って予算が不安だ。この通りの雰囲気を見る限り、冬葉が想定している価格帯よりも高そうなのだ。お菓子は買えるとしても食事をする余裕は正直なところない。


 ――情けない。


 お金がないから外食は断りたいなんてどう思われるだろう。モヤモヤとそんなことを考えていると「あ、着いたよ」と藍沢が足を止めた。顔を上げるとそこは真っ白な壁の綺麗な洋菓子店だった。

 中はカフェも併設しているようだが、さすがにそろそろ閉店の様子。外から見えるカフェスペースにはクローズの看板が下げられていた。


「良い時間に着いたね」


 ニヤリと笑って藍沢は店に入っていく。冬葉は首を傾げながらその後に続いた。

 店に入ると店員の女性が愛想良く「いらっしゃいませ」と笑みを浮かべる。しかし藍沢の顔を見た途端「またこの時間狙って来たんですか?」と呆れたように言った。


「仕事終わりに来ると必然的にこの時間なんだよねー」

「まあ、こちらとしては助かりますけど」


 店員は苦笑しながら視線を冬葉に向ける。


「藍沢先輩のお友達ですか?」

「――藍沢、先輩?」


 冬葉が呟くと藍沢は頷いた。


「この子、高校の後輩なんだよね。同じバスケ部で、万年補欠の」

「一言余計です」


 冬葉は笑う。


「それじゃ、高校時代からのお友達なんですね」

「いや、そうでもないんですよね。偶然ここに先輩が来るまでは疎遠になってたんです。でも金曜の閉店前に商品が安くなるって知ってからはよく来てくれるようになって」

「安く……?」


 冬葉は呟きながら藍沢を見る。彼女は笑って「週末の閉店が近くなるとね、賞味期限近いものを値引きしてるんだってさ」と言った。


「まあ、賞味期限近いって言っても今日までってわけでもないし、お礼の品としては値段もちょうどいいかなと思ってさ。あ、でもその人と会う日が遠かったらちょっと無理か」


 それは考えてなかったと藍沢は難しい顔をする。冬葉は慌てて「あ、それは大丈夫です」と手を振った。


「今日会う約束なので」

「そうなの? って、え? 今日? 大丈夫なの、時間?」

「ああ、はい。それも大丈夫です」

「そう? だったらいいけど」

「先輩、友達の予定も聞かずに連れてきたんですか」


 店員の言葉に藍沢は笑って誤魔化すと「さ、本日のオススメを教えてください」と言った。店員はため息を吐いてから「どなたかへのプレゼントということでよろしいですか?」と冬葉に笑みを向ける。


「あ、えと、はい。プレゼントというか、お礼の気持ちというか。でもその人が甘い物好きかどうかよくわからなくて」

「なるほど。でしたら、こちらの詰め合わせがよろしいかと。クッキーやマドレーヌなど色んな焼き菓子の詰め合わせです。甘すぎず淡泊すぎない味で量的にも価格的にもちょうど良い感じだと思いますよ」

「じゃあ、それでお願いします」

「かしこまりました。少々お待ちください」

「ね? ここ、良いお店でしょ。店員に聞けば勝手に選んでくれるから迷うことなし」

「たしかに、そうですね。優柔不断なわたしには助かります」


 冬葉が笑うと藍沢も嬉しそうに笑った。


「味も保証するよ。カフェメニューも美味しいからさ、今度来ようよ」

「はい。是非」


 言いながらそういえば、と藍沢を見つめる。彼女は不思議そうに首を傾げた。


「いえ。その、後輩さん誤解したままですけど、いいのかなって」

「誤解?」

「わたしのこと、藍沢さんの友達って」

「え、誤解なの?」

「え?」

「いいじゃん。今は勤務外なんだし、友達で」


 気にした様子もない藍沢に何と返そうか迷っているうちに「お待たせしました」とレジに呼ばれてしまった。


「贈り物ということで、軽めにラッピングしておきました」


 レジカウンターの上には控えめだが可愛らしい袋が置かれていた。冬葉は恐縮しながら「ありがとうございます」と頭を下げる。

しかし、なぜか店員は「こちらこそ、ありがとうございます」と笑みを浮かべて視線を冬葉の肩越しに向けた。振り返った先では藍沢が壁に貼られたカフェのメニューを見ている。


「先輩があんな顔してるの、久しぶりなんですよ」


 コソッと彼女が言う。


「え、あんな顔って……」

「すごく楽しそうに笑ってるでしょ? 先輩があんな風に笑ってるの、いつ以来かな」

「でも、藍沢さんはいつも笑顔で楽しそうですよ?」


 冬葉の言葉に店員は「それは、きっとあなたのおかげですね」と優しい笑みを浮かべた。


「先輩、あんな人たらしみたいなタイプですけど、けっこう一途で繊細なんです。なので、これからもよろしくお願いしますね」

「え、はあ……」


 言われた意味がよくわからないが、とりあえず冬葉は頷きながら会計を済ませた。


「お会計終わった?」

「あ、はい。すみません。お待たせしてしまって」

「今度はカフェタイムに来るから、サービスよろしく」


 藍沢は店員にそう声を掛けると「じゃ、帰ろっか」と店の外に出て行く。冬葉も出口へ向かいながら店員を振り返る。彼女は優しい笑みを浮かべたまま「またお待ちしてますね」と手を振って見送ってくれた。


「良い人ですね。後輩さん」


 通りを駅へと向かいながら冬葉は言う。藍沢は「うん。良い奴だよ。あいつは――」と頷いた。その言葉には何か特別な想いが込められているような気がして冬葉は「そうなんですね……」と、ただ頷いた。


「じゃあ、今日はもう解散かな」

「え、夕飯は――」


 言ってから冬葉は慌てて口をつぐむ。藍沢は「なんだ。やっぱり一緒にご飯食べたかったんだ?」と笑った。


「いえ、その……」


 そういうわけではない、というと語弊があるが正直なことを言うには無駄なプライドが邪魔をする。藍沢は笑いながら「今日はもう十分楽しかったからさ」と言った。


「夕飯で楽しい時間を過ごすのは、また今度にしようかなと思って」

「また今度?」

「そ。それまでに桜庭さんの食事の好みを把握しとかなきゃね」

「わたしは何でも食べますけど」

「それは良いね」


 ククッと藍沢は笑ってから「じゃあ、駅はこの先だから」と立ち止まった。


「わたし、実はこの近所に住んでるんだよね」

「え、そうなんですか」

「うん。だからここで解散ってことで」

「わかりました。すみません、わざわざ付き合って頂いて」


 冬葉の言葉に藍沢は「いいよ。じゃあ、また来週」と手を振った。


「はい。また来週」


 冬葉も手を振ってから駅に向かって歩き出す。そうしながらチラリと後ろを振り向くと、藍沢が職場では見たことのない優しい表情で冬葉のことを見送っていた。

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