第15話 

 午後。

建設工事が始まった。

 宦官だけではない、普通の男も混じって西洋式の噴水を作るべく取り掛かった。

 若汐たち宮女のやることは、その男たちに茶や汗を拭くものなどを提供することである。

 地味な作業と思われがちだが、男たちがどれほど効率よく作業するかに時間とお金がかかっている。故に大切な作業と言えた。

 時折、宦官達の中にはうっとりとした表情で宮女を眺める者もいた。

女が自ら来てくれる環境なのである。

 普段は煙たがれる存在である彼ら。

だからだろうか。宮女が自分のところまで来るのに待ちきれないとわざわざ自ら言いよる宦官が何人もいた。

 男として大事なモノを失っていようが、欲がなくなることはない。

 そんな者はもちろん、見つかり次第上司である郎世寧や他の者たちから躊躇なく円明園から追い出されていたが。

 これは乾隆帝からの命ではなく、郎世寧が考え各自に命じていたことであった。

 莫大な工事をしていると言うのに女に見惚れているなど言語道断。

そのような時間は許されていないのである。


「郎世寧様、残りの設計図をお持ちしました。」

「ありがとうございます。」


 若汐は郎世寧付きの女官ということで、それ以上の仕事を任されていた。

 現代では倍以上の仕事をこなしていたので郎世寧に任された仕事は彼女にとっては大した仕事ではなかった。

 辛いと感じることは少なくとも若汐にはなかった。

──女官長を始め、宮女達が哀れに思っているなど知る由もない。



 夕方。

数時間で噴水の一部がどうにか完成した。

 集中して行っていた男たちと宦官、それを補佐していた宮女達のおかげである。

 設計図通りだと郎世寧は満足する。

 何度も設計図を見ていて頭に入っていた若汐は数時間でこんなにも出来る物なのか、と少し驚いていた。

 現代の建築工事の技術の高さも決して低くはないが、当時にしてはこれは高い方なのではないか。

文献でも残っているか分からない貴重な部分を若汐が見れた瞬間だった。


──皇帝が住まう寝殿、養心殿ようしんでんには乾隆帝、皇后、嫻妃かんひ愉嬪ゆひん が集まっていた。

 ドラマではどちらかが悪役によくなる皇后や嫻妃。

実際がどうだったかは記録されていない。

 しかし、若汐がタイムスリップした時空では皇后と嫻妃は仲が良かった。

それもそのはず、彼女らは乾隆帝がまだ皇子だった頃からの仲だからである。

 愉嬪も妃嬪としての位が低かったがその1人であった。彼女らは苦楽を共にした仲だった。

 特に嫻妃は叔母が先帝の怒りを買ったことで一族が没落。

それは苦難の道のりであった。


「陛下。今日から噴水の建設だそうですね?」

「あぁ。郎世寧に任せている。」


 皇后が尋ねると、乾隆帝は茶器を手にしながら答えた。

皇帝である彼からしてみれば噴水建設はなんということもないのだろう。

 それよりもこの当時は国事の方が懸念材料が多すぎた。

献上品として西洋から送られてきた翡翠の指輪を親指につけてそれを乾隆帝はくるくると回している。

 それは彼が考え込むときによくする癖の1つであった。


「円明園には素晴らしいピアノ弾きが居るのですよ。お時間があるのなら建設の見学がてら行ってみてはいかがですか?」

「何?ピアノが弾ける人間が居るだと?」

「はい。私も疑っておりましたがとても美しい音色を響かせてくれました。おかげで私は前を向く事ができたのです。」

「皇后娘娘、初耳ですよ。」

「ごめんなさいね。嫻妃、別に隠していたわけじゃないのよ。」

「もっと早く知りたかったです、娘娘。」

「そうね。ごめんなさい、愉嬪。」

「あの楽器を弾きこなせるとは…朕も興味がある。」

「円明園に行かれますか?」

「あぁ、行こう。嫻妃、愉嬪も一緒に来ると良い。」

「はい、陛下。」

「はい。」


こうして乾隆帝、皇后、2人の妃嬪は円明園に赴くことになった。

──ある1人の少女の運命が変わることも知らずに。


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