清朝の時代へ
第2話
展覧会当日。天気は快晴。
今日の気分は例えるなら天気のように清々しいものだ。
赤色のチャイナドレスに似た日本で作られた洋服に島野は身を包んでいた。
快晴の天気の為、太陽に焼かれぬように日焼け止めを軽く塗っておく。
白い肌故に焼かれてしまうとまるで火傷みたいになってしまうので必要なことだった。
清朝時代ならこんなことは出来まい。気分だけはその時代に居るように高揚しているが、きちんと現実も見ている。
ここは現代の日本。
彼女の思う清朝時代は18世紀だ。もちろん、それは重々承知の事実である。
だが日々のストレスの事を考えると、現実逃避は島野にとって重要な事だった。単純な性格故に、ストレスも溜まりやすい人間だったのだ。
「さて、いざ出発!」
ショルダーバックを肩に下げて、気分は上げて島野はアパートの一室を後にした。
──それが一時の自室の別れとなった。
近場にある駅に徒歩で向かい都内にある電車に乗り込んだ。
島野はとっくに成人済みであるが、車は持っていない。そのために公共交通機関を利用する。
車内は平日の午後という時間帯で空いていた。
空いている席に座り込み、車内の窓から見える風景を見つめる。
島野の黒い瞳に写る見ている建物はどんどんと後ろへと視界から遠ざかっていった。
10分ほどすると、展覧会の会場の近場の駅が見えてきた。
立ち上がり電車を降りる。
ICカードを取り出しタッチして改札口を出ると、展覧会の会場まで再び徒歩で向かった。
熱いアスファルトの地面の上を5分ほど歩くと展覧会の会場に到着。
建物内に入ると想像以上の規模の大きさの展覧会となっていることに驚きを隠せなかった。
島野がこの展覧会を知ったのはSNSからの広告からだった。テレビのCMでは見てことはなかったはずと自身の記憶を確認する。
だからここまで大きな会場だとは露程思っていなかったのだ。
立ち止まっていると後ろの人に迷惑する為、素早く入場券をスタッフから買って受け取ると会場の中に入り込んだ。
紫禁城の歴史は約400年ほどになる。
江戸城が約300年だったと考えるとやや長いと考えて良いだろう。
造られた時代は明の時代。
清の時代の1つ前である。
今や紫禁城は中国の世界遺産の1つとなっている。
(うわぁ。ラッキーなことにほとんど清朝の時代の物ばかり!しかも乾隆帝の時代だ。)
清朝、第6代皇帝の名である。
清朝の全盛期というものを作り上げ、西洋文化をこよなく愛したとされている皇帝。中国の時代劇ドラマでも乾隆帝の時代が多い。
2人の皇后と1人の妃を後に皇后の位にし、正妻として迎えていた。
そんな皇帝の肖像画の前に彼女は立って眺めている。
当時、皇帝だけが着ることの許された金色の服に龍の紋。
清朝を象徴とする髪型、
きめ細やかな刺繍がその金色の服に施されているのが見ることができた。
当時の刺繍工房の人間の技術の高さが垣間見える。
刺繍など、ピアノしか取り柄のない自分には無理なことだなと彼女は自身の不器用さを認めた。
(でもこの時代、後宮は特にしきたりが厳しいんだよねぇ。生まれたい時代とは思えないなぁ。)
ドラマで見る分には良いけど、と島野は他人事のように思っていた。
実際に後宮のしきたりは当時は厳しいものだったとされている。
現代の人間が生活を送るには快適とは言えないものだろう。
その厳しい時代にわざわざ行きたいとは島野は到底思うことはできなかった。
乾隆帝の肖像画をじっくりと眺めた後、他の展示物を眺めながらゆっくりと移動した。
肖像画は乾隆帝のものだけではない。
次は、当時の2人の皇后に皇后の次の位である
1人目の皇后、
乾隆帝の3人の正妻で最も愛されたとされいる皇后である。
乾隆帝は孝賢純皇后が亡くなった後、皇后に向けてと思われる幾つもの詩をよみ偲んだとされているほどだ。
性格は人々から尊敬される皇后だったそうだ。
島野が知る知識の限り、側室にも嫉妬を見せたことが1度もなかったとか。
節約にも熱心で、自分の為にお金を使うということはせずに宝石類の代わりに造花などで髪を飾っていたらしい。
ドラマでもそう描かれていることが多かったな、と彼女は思い出していた。
2人目の皇后、
名前は諸説あり、
皇后や妃嬪達は死後、皇帝から
乾隆帝の怒りをかった故に、正式に廃されてはいないものの死後も側室並の扱いを受けた悲劇の皇后とも言われている。
なぜ乾隆帝の怒りをかってしまったのかは未だ理由はわかっていない。
それは記録が残っていないからである。
(だからドラマだと悪人か、悲劇の皇后かで分かれるんだよねぇ。)
どうしてだろう、そう思いながら島野は腕を組んだ。
一説では継皇后は乾隆帝の誕生日に髪を切ったからではないか、とされている。
当時、髪を切るという行為は満州族の習慣で日数が決めらていた。
皇后が髪を勝手に切ってしまえば、皇帝や皇太后に対する『呪い』や『侮辱』になるとされていたのである。
彼女は自分なりに答えを出そうと思考してみたが、何せそれすら本当にあった出来事なのか記録に残っていないため考察のしようがない。
(実際にもしこの人に会うことがあれば理由がわかるのかな。)
そんなあり得るはずもない考えに最後には辿り着いてしまった。
島野は思考を切り替え、隣にある肖像画に目を移す。
3人目は生前は皇后ではない。
先程も述べたように
もっと詳しくいうと、乾隆帝が退位した後に諡号として皇后となったのである。
皇貴妃としての名は
死後、息子である 第15皇子永琰が皇太子となった事で諡号が改めることになり、
(この人は最初の皇后から教育をされていたんだっけ。でも後宮に入った日時は分からず。皇帝の妃は分からないことが多いなぁ。)
一夫多妻制だった為に記録が残っていない妃嬪達も沢山いるのだろう。
この3人はこうして現代の展覧会に展示される程の記録が残っているのだから、まだマシな方なのかもしれない。
3人の皇后に思いを馳せながら次の展示物を見ようと島野は移動することにした。
展示物は主に西洋のものが多かった。
それは乾隆帝が西洋に大層興味を抱いていたからである。
実際、イエズス会とも繋がりが深かったと記録されている。
もちろん清朝独特の物のあった。
彼女が見たいと思っていた展示物の1つである。
清朝の物といえば茶器だ、と展示物を見ながら気持ちを高揚させていた。
豪華な装飾が施されている物、質素な物も展示されている。
茶を入れる器に蓋がしてあるのだ。
飲む時は、何度か蓋を仰いで香りを楽しんでから飲むというのが普通だった。
(ドラマでよく見た茶器があるよ〜!いやぁいいね!)
島野は気持ちの高揚感を隠せずにショルダーバックの紐を握り締める。
ゴホンッと隣から咳の音がした。男性が、呆れた目でこちらを見ている。
どうやら島野はじっくりと見すぎて場所を陣取ってしまっていたらしい。
館内は私語厳禁となっている為、慌てて頭を下げて彼女は場所を移動した。
(夢中になっていた私も悪いけど少し感じが悪いような…まぁいいや。)
一番見たかった物は見れたし、と自身を納得させた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます