円明園のピアニスト

天羽ヒフミ

プロローグ

第1話 

──どんよりした曇天の日だった。

 季節は夏。

緑の木々が盛りを迎え美しさを見せ、若い木から老いた木まで凛として立つ季節。

 天気はまるで彼女の心情を表しているかのようで、表面上では笑顔を保っているものの内心はその日の天気のような気持ちだった。

 島野蒼しまのあおいはピアニストである。

腰まである漆黒の長い髪。

 その長い髪を存分に活かし横髪だけ後ろで纏めてハーフアップ。

後ろを薔薇の形をした金色のバレッタで纏めている髪に飾りつけられている。

 日本人にしては珍しい白い雪のような肌は蒼いドレスとステージに照らされるライトと反射してお似合いだった。

 観客席からの拍手に応えてドレスを摘んで黒いグランドピアノを横に優雅にお辞儀をする。さながらワルツを踊り終えたかのように。

 お辞儀も立派な演奏の一部である。油断は禁物だ。

 それをよく理解しており、ほんの少し他の人より整った顔を存分に活かして和かに笑顔を浮かべていた。

 リサイタルは今日も無事に成功であり、それは喜ぶべきことだった。

だが、彼女はどんよりとした気持ちのままでいた。

 そんな気持ちの中でも観客席から花束やお菓子などといったものを頂きながら、笑みを崩すことなく礼を述べて次のリサイタルへと観客を集める為に没頭する。

 ピアニスト、演奏家を生業とする者は観客を集める為に次のリサイタルを考えることも大事なことであった。

 今日もまたリサイタルを開いて幾分かの稼ぎを得ることが出来た。

 リサイタルとは音楽を楽しませるのが大前提ではあるが、プロを名乗っているからにはお金は発生するもの。

 それに彼女にとっては生活もかかっている為に綺麗事だけで話は終わらなかった。

 生活ができなければリサイタルを開くこともできない。

だが、会場のレンタル料金を抜いて2週間は生活が持つかという稼ぎである。

 有名なピアニストならもっと稼ぐことが可能かもしれないが、所詮は一介のピアニスト。2週間くらいが限度であった。

 それでも今日はお客さんが集まった方だけど、と会場を閉じた後に長い溜め息をらした。

 ピアニスト、演奏家、音楽家、と言えば煌びやかで華やかな世界を浮かべることだろう。

ステージに立ち、自らの演奏を披露し、稼ぎを得る。それを繰り返す。

 しかしそれは残念なことに素人の考えであり現実はとても非常だ。

島野蒼もかつてその考えの1人ではあったが全くもって違う。

 日本は世界的に見てもまだまだ音楽家の実力は低い。

 外国人の音楽家からは日本人は実力を低く見られてしまうということが、今の音楽の世界の現実だった。

 それだけではない。

 日本は音楽そのものが価値が低いのである。

その為に、日本でピアニストというだけで生活するという事は出来なかった。

大抵の音楽家はどこかで生徒や学生に教えている、というのが現実だ。

ピアニストだけで生活しているのはごく一部の人間である。


──どんなに才能があったとしても、現実はそうなのだ。


 島野蒼は有名音学大学を首席で卒業した優秀なピアノ弾きであった。

教授からも才能を認められ、将来有望とされていた人物だった。

 だが、卒業をしピアニストとして本格的に活動を始めてみればすぐに現実を見せつけられてしまう。

 リサイタルを開けば観客は集まるものだとまだ若い彼女は勝手に思っていた。

そこに現実という残酷なものを突きつけられた。


初めてのリサイタルの観客集は5人だった。

たったの5人と捉えるべきか。

5人も集まって頂いたと捉えるべきか。


 それは、島野の考え次第だった。


──確かにあったはずの音楽への情熱が冷めた瞬間だった。


 彼女がどちらの考えを取ったのかは語るまでもない。

そしてそのリサイタルをきっかけに島野蒼というピアニストの音楽の考え方は変わった。


『ピアニストという肩書きだけでは何も出来ない』


そう諭された出来事だったのである。

 それからはというもののリサイタルを開きつつ音楽教室で働く道を彼女は選んだ。

 演奏家としてのみ生きる、という選択肢は捨てた。

否、正しくは捨てなければ生きていくことが出来なかった。

 音楽の才能があろうがなかろうが社会はそれを見ていないのである。

世間知らずの若輩者のピアノ弾きはもうそこには居なかった。

 そんな島野の趣味は音楽とはかけ離れたものだった。

今日もその趣味の為にリサイタルを開いたと言っても過言ではない。

 楽しみは後でとっておくタイプの人間である彼女は、リサイタル会場を後にすると夕食をコンビニで買ってアパートの自室に向かった。

 空を仰げば未だ曇天が続いている。雨は幸い、降りそうではない。

今の自分の気分とは大分違うな、と至極どうでも良いことを考えていた。

 どんよりとした気持ちは晴れて季節に沿ったような夏らしい晴々とした気持ちに切り分かっていた。

 自室に着くと、リサイタルの疲れがどっと押し寄せてきてしまっていた。

慣れているものとは言え、人に演奏を聴かせるという行為は体力を使うものだ。

 だがお腹は空いているというのでどうにか夕食にする。

島野は自炊が苦手な方の人間だった。

 そして楽しみにしていた中国の時代劇ドラマを夕食を摂りながら夢中になって見ていた。

そう、島野の趣味というのが中国の時代劇ドラマ鑑賞というものだ。

日本の時代劇も嫌いではないが、どちらかといえば中国の時代劇の方が彼女は好んでいる。

 ピアノの仕事が上手くいかない時のストレス発散方法はこの趣味に没頭することであった。

 日本の時代劇ドラマでは見ることの出来ない衣装の煌びやかさ、独特のストーリー展開、豪華な物や建物などそれらを見ているだけでストレスが吹き飛んでいた。

 島野蒼という女は単純な人間といえばそうであった。


「今度、紫禁城の展覧会やるんだよね。予定はバッチリ空けました!」


 これで日々のストレスが少しでも発散できるだろう、と彼女はその日をまるで子供が遠足を楽しみにするかのようにワクワクしていた。


──その日が自身の人生を変える運命の日になるということも知らずに。



























































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