湊の場合④
詩が産気づいた。
湊は以前からの約束通り、詩の出産に立ち会った。
今の世の中は赤ん坊を産む事だって珍しい事なのに、更に夫が出産に立ち会うとなると、もっと稀になっていた。
最初はいつもの冷静な詩だったが、陣痛が三分間隔を越えると、詩は痛みに悲鳴を上げて、のたうち回った。
人格が変わった様に凶暴的になり、苦しむ詩に湊が手を握ろうとすると「やめて!」と振り払ったり「水! 早くしてっ!!」と命令口調だったり。
変わり果てた詩に動揺しつつも、かいがいしく、詩の世話をする湊。
――そんな状況のまま八時間が経つ。
なのに、まだ助産師は生まれる時ではないと言う。……信じられない。
そして陣痛が一分間隔になる頃、苦しむ詩の傍らで湊はずっと泣いていた。
こんなに痛がって、苦しがって……――もしかしたら、このまま詩も赤ん坊も力尽きて死んでしまうのではないか――という恐怖と不安に。
詩はそんなメソメソと泣く女々しい湊を睨みつけ「もうっ! 泣いてないで私の腰をさすってよ!! 泣きたいのはこっちだよ!!」と言うものだから、泣きながらも懸命に詩の腰をさすって、水を飲ませ、一緒になって「ヒッヒッフー! ヒッヒッフー!」といきみ逃しの呼吸をし続けた。
――それから、詩は女の子を産み落とした。
詩は難産の末の出産に意識が朦朧としていたが、助産師に大泣きする赤ん坊を見せて貰って、小さく微笑んで涙を零した。
それから、気が緩んで分娩室にへたり込んだ湊の方へと赤ん坊を連れてきてくれた。
「初めまして、お父さんですよ〜!」
白い清潔なおくるみに包まれた赤ん坊。
小さい。パーツが一つ一つ。
おもちゃみたい。
なんか肌もしおしおしている。
真っ赤で猿みたい、というか宇宙人みたい。
――でも、すごく可愛い。
「はい、どうぞ、お父さん」
「お、お父さんって……僕ですか?!」
「ふふふ、そうですよ。お父さん」
初めてお父さんと呼ばれて、なんだかくすぐったい気持ちになる。
湊はがくがくする足を踏ん張って何とか起き上がり、恐る恐る助産師から自分の赤ん坊を受け取った。肩肘がかたばって、ぎこちなく。
「……可愛い」
「そうですね、可愛いですね」
「可愛いなあ」
「そうですよね」
「こんなに可愛い子、僕、見たことないです……!」
「ふふ、そうですよね」
湊はおっかなびっくり、赤ん坊の握られた小さなぷっくりした手を人差し指でツンツンとつつくと、キュッと人差し指を握られた。
「う、うわあ! 僕の手を握ってくれた!!」
「それは
助産師は赤ん坊は刺激を与えられた事によって無意識に握り返す反射動作であると教えてくれたが、湊にはそう思えなかった。
この子は、湊から離れたくないと思っているんだと。……なんて、いじらしくて愛くるしい生き物なんだろうか!
湊は詩の元へ歩み寄る。後産も済んだ詩は、汗で額に張り付いた髪の毛を避けると、湊と赤ん坊を見上げた。
「詩ちゃん、ありがとう。ありがとう! 僕、今、すごく幸せだよっ!!」
「……ふふ、湊くん、なんだかキャラ崩壊しているね。でも、良かった。湊くんが、そんなに喜んでくれるなら、大変だったけれど、頑張ったかいあったよ……」
幸せだった。
自分達の結婚という選択は間違っていないと確信が出来た瞬間。幸せの最高潮だろう。
しかし、若い二人の苦難はここから始まる。
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