第2話 手紙

 天井から床まで三方がガラス張りになっている小ぢんまりとした部屋は、調度はテーブルと椅子が置いてあるだけ。


 アレクシアが椅子に座ると、クラウスが傍で紅茶を淹れてほとんど音も立てずに目の前に置く。


「お待たせいたしました、アレクシア様。今日はトプフェンシュトゥルーデルです」

 反対に、食器をかたかた鳴らして入ってきたのは、通いの料理人であるリアだ。


 テルフス在住の主婦で、子供が独り立ちしてからは夫と二人で暮らしており、ご主人は仕事帰りによく彼女を迎えに来る。傍から見ていても仲がいい夫婦だ。


 まだほんのり温かいケーキはチーズフィリングが口の中でとろりと溶け、甘さの中に塩味とコクが後からくる。


「美味しい」

 リアはにっこりと笑って、ゆっくりお召し上がりくださいと言って部屋を辞した。


 紅茶を一口含むと、まったりとした口の中が渋で洗われるようにすっきりする。それでいて苦味がほとんど残らない。


 クラウスの淹れる紅茶は公爵の屋敷で飲んだそれにも劣らずで、こんな僻地でこの品質の紅茶を飲めるなんて何たる幸運だろうと思ってしまう。


 彼が素晴らしいのは紅茶の腕前だけではない。


 普段の執事の仕事の他にも、壊れたドアの修繕や庭仕事、買い物なども嫌がらずにやってくれる。


 彼とハンスはこの屋敷の住み込みで、まだ七歳のハンスに仕事終わりに勉強を教えたりもしている。


 叔父のところにも執事は何人かいたが、ここまで臨機応変な対応をしてくれる人はいなかったと思う。


 鄙にはもったいないような優秀な人材だ。


 お陰でとても助かっている。


「そういえば、手紙が届いております」

 クラウスは手紙を載せたトレイを差し出した。


 ごく普通の品質の封筒だが、封蝋は豪奢なもので、差出人はイニシャルしか書いていない。

 だが、アレクシアにはすぐにわかった。


「レターナイフはありますか?」

「失礼いたしました」


 クラウスは懐から小さなナイフを出し、アレクシアに手渡す。


 だが、柄を握っているのにクラウスは離そうとはしなかった。


「よく切れますのでご注意を」

 そう忠告して人差し指を伸ばして、アレクシアの指の甲をすっと掠めた。


 手袋越しではあるが彼の温もりを感じた。


 彼はとても優秀なのだが、時々距離感がおかしくなる時がある。

 その度にアレクシアは困惑して、時には顔を赤らめてしまう。


 今はそんなことより、手紙の方が重要なので空いている隙間に刃先を入れて開封した。


 見慣れた丁寧な文字で近況が綴られており、彼女が息災であるのが伝わってくる。


「え?」

 思わず声を漏らしてしまった。


 クラウスが窺うように視線を寄越してくる。


「アマーリエ様がこちらに一度挨拶にお越しになりたいそうです」


 アマーリエ・マリア・トラウテンベルクはこの国の宰相を務めた公爵家の令嬢で、一年前まで同じ貴族の子女が通う学舎で修学していた。


 といっても、彼女は公爵の家柄で婚約者は第二王子だったので、家格の違うアレクシアは取り巻きのうちの一人にしかすぎなかった。


 半年前、聖女が召喚されるまでは。


 異世界から来た少女はこの国に安寧を齎すと言われており、その際は王家の血筋の者が庇護者となることが慣わしだった。


 第一王子はすでに婚姻していたので、その役目は第二王子に回ってきた。


 それからは風見鶏が風の流れによって向きを変えるように、アマーリエに群がっていた人々は聖女に流れて行った。


 第二王子も何くれとなく世話を焼くうちに彼女の純粋さに惹かれて、いつしか恋へと変わっていくのにはそれ程時間は掛からなかった。


 そして、一年前の卒業の時に、アマーリエは婚約破棄を言い渡されたのだ。


 卒業パーティーの始まる前、生徒や家族が揃っている面前で、聖女に対する悪行を言い連ねて。


 それは第二王子が婚約を破棄するためのでっち上げであるのは周知の事実だった。


 だが、異をとなえる者はなかった。


 第二王子とアマーリエの婚約は解消され、父親の公爵も引責で辞職することになり、辺境伯として追いやられた。

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