第8話 夢の構造

 北橋は、純一郎のことをいろいろ調べてみた。彼には研究のために、人が与えられていて、探偵のようなことも彼に変わってやってくれる人がいた。彼に調べてもらったのだが、まず、純一郎の生い立ちから時系列で調査してもらった。

 その中でやはり気になったのが、小学生の頃に苛めに遭っていたということで、その友達も判明したことで、彼が小説の中で殺した連中は、その時の苛めをしていた連中だったということだ、

 すでに苛めは終わっていて、和解もなっている連中だったが、彼にとって若い程度ですまされないトラウマでもあったのか、殺害対象は彼らであった。

 実際に、殺してしまいたいというほどの恨みがあったわけではない。ただ、小説の中で殺人事件を起こしたいと思ったまでで、下手に殺人事件の場面を書いてしまうと、嫌な予感や気持ち悪さが残ってしまいそうな気がして、それならかつての苛めをしていた連中であればと思っただけのことだった。それほど深い意味はなく、あくまでも自分の中での都合というだけだった。

 だが、実際にはその中の数人が亡くなっていた。もちろん偶然にすぎないと思われたが、どうも気持ち悪いと思い、北橋はまずそのあたりの解明がしてみたいと思った。

 北橋が今やっている研究とどこかで繋がるかも知れないと思った。

 彼が今研究していて、そしてやっと実用化できるようになったものとして、かつて見た夢が分かるというものだった。本人が忘れてしまった夢を、封印している記憶の中から引き出して、どんな夢を、いつ見たのかというところまで引き出せるようになった。

 脳波の研究という意味での途中経過とでも言えばいいのか、今までブラックボックスだった夢というものにメスを当てることで、人の脳の構造を明らかにしようという考えだった。

 夢の内容をその人から取り出すことはさほど時間のかかるものではない。本人を夢の中に誘導し、夢を少し操作する中で、本人が開いた封印しようとしている記憶の世界を引き出す装置を用いるだけで、その部分を機械で吸収しようというわけだ。まるで音楽をパソコンでコピーするようなもので、時間的にも数時間で終わってしまう。

 その間、本人は眠っているわけで、気が付けば自分の部屋で眠っていれば、もし、何かの記憶が残っていたとしても、

「夢を見ていたんだ」

 という意識の元、そのまま記憶を封印すればいいだけだ。

 本人は封印された記憶を盗まれたなどという意識はない。そのあたりも北橋の開発した機械が記憶を操作してくれるのだ。

 一方で、事実関係を調査してくれた探偵による結果報告がもたらされている。とにかく彼の夢と小説で殺された人間の関係を見れば、何かが分かるような気がしたのだ。

 すると不思議なことが判明した。

 純一郎が小説上で殺害した連中は、必ず彼の夢に出てきているのだった。

 北橋の開発した機械では、人間の夢、つまり記憶の奥に封印したものと、さらに夢の原因である潜在意識を取り出すことに成功したのだが、その二つの結びつきを、まるでパソコンで操作するように、検索機能もついているので、キーワードさえ分かれば、研究にさほど時間を割くこともなかった。

 果たして彼の記憶もキーワードで検索することで、夢を見た日時と、さらにその夢に至った原因、そして時系列での潜在意識の動きとが徐々に分かってくる。

 さすがにそこまでは計算できないので、調べた内容からの想像となってくる。計算できないというのは、本当に計算できないのではなく、わざと計算しないのだ。ここでは人間の感性が必要になってくるので、わざと計算させずに、北橋自身の感性と分析とで解明する部分であった。

 純一郎が小説を書きあげるまでは、意外と時間が掛かっていない。書こうと思ってから数日で書き上げてしまうという恐ろしく短い時間だった。それだけその間での彼の集中力は恐ろしいまでに特化していた。ひょっとすると、今まで調査した人間の中でもこの部分に関しては徹底的に特化しているように思えてならなかった。

「この集中力が何か影響しているんだろうか?」

 と、北橋は思わずにはいられない。

 集中力を持って書いた作品が書きあがった日が分かってくると、その人物が死んだ日を比較してみた。すると不思議なことに、その本人が死んだのは、小説が書きあがる前であった。

 もっと言えば、小説を書き始める前でもあり、中には同じ日という人もいた。これは、小説を書いたから相手が死んだというわけではなく、

「相手が死んだということを彼自身に予感のようなものがあり、この人だったら、すでに死んでいるから書いてもいいんだという意識があったのかも知れない」

 と感じた。

 そう思ってからが封印した夢を見ると、もっと不思議なことが判明した。

「彼が殺したのは一度ではない。一度殺す小説を書いていて、その後になってもう一度その人が夢に出てくる。その時は生き返っていて(生き返ったという意識があるわけではないので、死んだという意識もなく)、もう一度その夢の中で殺しているのだ」

 ちょうどその時、今度は別の友達が死んでいる。そして、最初の友達と同じように、殺害現場を意識する小説を書くのだった。

 つまり、この一連の殺害現場を描いたことで、友達が死んでしまったという表向きに見える事実は、一気に集中して書いた小説を中心にして、一度生き返らせて、さらにもう一度殺すことで、彼の意識が因縁となって結び付いている。

 友達が相次いで死を迎えるというのは、純一郎のせいではあるのだろうが、そこに純一郎の潜在意識が死に対して責任のある問題を引き起こしているのかというと、そんなことはないようだ。

 調べている中で、因果関係が見受けられるが、そこに純一郎が悩み苦しむ理由はない。それでも悩み苦しむのは、自分の中にあるトラウマと罪悪感とが結び付いているからではないだろうか。

 小学生の頃、苛めに遭っていたことが、最初は悪いのは自分ではなく、苛める連中にあると思っていて、さらにもっと憎むべきは、それを見て見ぬふりをしていた連中だということに気付いていた。

 苛めの真の恐ろしさは、そんな他人事だと思っている連中の目だと気付くと、苛めを行う人間、苛められる側の人間、そのどちらも無意識のうちに、見て見ぬふりをしている連中の掌で踊らされているような気がしてくる。

 その構造を夢という形で純一郎は理解していたのだ。それが分かっていながら、なぜ自分を苛めていた連中をターゲットに殺さなければいけないのか分からなかったが、友達の死に、彼の小説が直接的な関係がないと分かると、どこか納得できた気がした。

 彼の小説は、一種の予言のようなものではないだろうか。もちろん、死んだ経緯を知るわけではないので、友達が死んだことと殺害描写は、何ら関係はない。

 中には自殺をした人もいた。彼は遺書を残しておらず、最初は自殺も疑念があったが、自殺するだけの理由がちゃんとあったことから、自殺に間違いはないとされ、事件性はないということになった。

 遺書がなかったのは、自殺自体が衝動的なものであって、死ぬということを一気にしてしまわないと、戸惑ってしまえば、死にきれないと思ったのだろう。衝動的でなければ、彼も死ぬことはなかった。

 だが、生前彼も苛めを受けていた。その内容は、小学生の頃に純一郎が受けていたような子供の苛めではなく、高校生になっての苛めだったので、実に陰湿で、実際に耐えられるものではなかったようだ。しかも、彼には小学生時代に純一郎を始めとして苛めをしていたという罪悪感があった。

 苛められているという意識と、自分の中にある罪悪感がまるで左右に置かれた鏡を見ているかのように、半永久的に自分の姿を映し続ける、一種のマトリョーシカ人形のようであった。

 その意識を純一郎は自分の夢の中で認識していた。彼は友達を殺す意識の中で、彼がどのような苦しみを持っているかに大いに同情していた。そして、彼を殺してあげることが自分の役目だと思うようになっていた。

 純一郎と、その友達は、夢の中では大いなる親友であった。夢の中に出てくるのは、本当の親友しかいないとさえ思っていて、純一郎が夢の中で誰かを殺すのは、憎くて殺すわけではない、殺すことで友達を苦しみから解放してあげられるという意識からだ。この時間を夢だと思っているので、それができる。そして、夢であるからこそ、一度殺したとしても、もう一度夢の中で会うことができるのではないかとも思うのだった。

 確かに一度殺した相手がもう一度夢に出てくることは可能だった。しかし、一度殺した相手は、最後には結果的に死の世界に送り返す必要があった。そのために、もう一度殺害するという、まるで身を切るような思いをしなければならない。これはいくら相手のためを思って夢とはいえ殺してしまったことに対して、自分が背負わなければいけない十字架に思えた。

 それは、現実世界で助けてあげられなかったという思いがあるからで、その贖罪の意味からか、自分でその十字架を背負う気持ちで、現実世界でその友達を殺すという小説を書くという行動に出たのだ。

 北橋が純一郎の夢の中からそこまでのことを発見するまでには、彼にしては結構時間が掛かったような気がした。

 そして、考えたのが、

「これは引き出してはいけない記憶だったのではないか?」

 という思いであった。

 その人が必死で覆い隠そうとしている自分の中のトラウマを引き出してしまったという罪悪感を北橋も持った。

 確かに夢の世界を解明することは脳波の研究に役立つことで、人間の将来のためには必要なことだと思っている。

 だが、中には開けてはいけない

「パンドラの匣」

 があり、開けてしまうことで災いが噴き出すということも十分にありえる。

 それが、今回の純一郎の心の内と、苛めの問題だった。

 確かに苛めの問題に対して抱いている純一郎の気持ちを理解することで、彼と友達との相互理解ができ、苛めをなくすためのヒントになっているのではないかとも思えた。

 夢の研究には、それだけの成果が得られるものだと確信していたので、純一郎でその確証を得たいと感じた。

 実際にやってみると、どうにも歯にモノが挟まったような気持ち悪さが残った。それが何なのか、北橋はいろいろと考えてみた。

 そこで一つ感じたのは、

「純一郎の予知能力」

 であった。

 純一郎は、友達が死んだというのを予知したから、友達を殺すという夢を見たのだ。その死の原因までは分かっていなかったが、自殺をした友達の心境だけは分かったようだ。

 ただ、それ以外の死に方をした連中というのも、少なからず死を意識していた。自殺する勇気はなかったのだが、絶えず何かに覚えていたり、自分の運命を呪うかのようにずっと考え事をしていたために、事故に遭ってしまい、自分が死んだのかどうかすら意識する間もなく死んでいったのだ。

 だが、これは考え方によっては、幸運だったのかも知れない。

 死んでしまった人に、

「幸運だった」

 というのは、実に不謹慎なことであるが、一気にある意味苦しまずに死んでいけたのは、よかったのかも知れない。

 下手に死にきれず、絶命するまで苦しむというのも結構ある話だというので、それに比べればよかったと思うのは、生きている人間側のエゴのようなものだろうか。

 純一郎は、自分が小説で殺人現場を描く時、苦しまずに死ぬように心がけていた。意識してのことではなかったが、そこにあったのは、

「自分が殺されるとしたら、苦しみたくはない」

 という思いだった。

 すぐに自分に置き換えてしまったり、自分のことであれば、他人に置き換えて考えてしまう純一郎らしい考え方であったが。これは、他の連中でも皆同じだと思っていた。

 だが、そうではないことは、北橋の研究で分かっていることだったので、北橋の中では純一郎のこのような考え方が特殊なものだと分かった。

 だが、実際に北橋も純一郎のような考え方をする人間であり、

「自分は特殊なんだ」

 と感じるようになると、似たような考えの人がそんなに近くにはいないと思うようになっていた。

 そして、このような些細に思えることが自分と他の普通だと思っている人との歴然とした差として現れるのだろうと思った。

 しかし、そんな特殊な考え方をする人がこんなにも近くにいて、今自分がその人間の脳を研究していると思っただけで、感無量になるのだが、その都度、自分が思い込んでいたことが少しずつ違ってきているのではないかと思うようになると、信じていた自分への自信が崩れてきているような不安に駆られてしまう。

 本当であれば不安に駆られることなどないのかも知れない。不安というよりも、新たに発見したことを、自分の中での知識として積み重ねていけばいいだけなのに、それまでの自分への過剰ともいえる自信と、さらにプライドがその感情を許さないのだった。

「変なプライドは捨ててしまった方が、さらなる研究に邁進できる」

 という思いも実はあった。

 この二つがジレンマとなっていることも分かっていて、ジレンマがトラウマに変わってしまうのではないかということも理解ができる気がした。

 夢というもの、そして潜在意識、さらに予知能力、いろいろなキーワードが純一郎と北橋を結び付けていく。二人の意識はどこを目指しているのだろうか。

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