第7話 脳波

 そんな純一郎が大学を卒業し、就職した会社に、ちょうど高校時代の友達がいた。いつも相談に乗ってくれていて、逆に相手の相談にもよく乗ってあげていた、お互いに相談しあう間柄であったのだ。

 友達の相談事というのは、他愛もない。いや、そういってしまえば失礼に当たるが、リアルな悩みで、恋愛のことや友達関係についてなどの、身近なことが多かった。それとは対照的に、身近という意味では彼よりも身近だったかも知れないが、得体の知れないと思われても仕方のないような相談が純一郎の方には多かった。

 いつも、どう答えていいのか分からないと言った苦笑を繰り返すだけの友達が、有名大学を卒業し、同じ会社に入社することになった。

 だが、さすが相手は有名大学の卒業生なだけあって、一般に入社してきた連中とは一線を画していた。最初から社長付けとして、社長直属のポジションで、将来の重役はすでに約束されているかのようだった。

 一般的なマンモス大学を平均的な成績で卒業した純一郎などとは、レベルが違うくらいであった。

 その友達は名前を北橋博文と言った。理工系では全国トップレベルを誇る大学で、北橋はその大学を優秀な成績で卒業したという。いくつもの企業から内定をもらっていたが、彼だったら、もっと大手企業だったり、国立の研究所のようなところが似合いそうなのだが、なぜか純一郎と同じ会社に入社した。

「お前くらいのレベルがあれば、もっと大きなところに行けたんじゃないか?」

 と言ったが、

「いや、そうでもない。俺はここが似合っているんだ」

 と、何を根拠に言っているのか分からなかったが、自信を持ってそういったことは確かだった。

 彼は社長付けではあったが、郊外にある会社の研究所での使用権限を持っていて、社長からも、

「何か研究したいことがあれば、届け出さえすれば、研究所の施設や、助手を好きなように使ってもいいようにしておいたぞ」

 と言われていた。

 彼は、何かを研究しているようだったが、それは誰にも分からない。

 研究室というのは、会社から数キロ離れた山の麓に位置していて、そこでは彼のような優秀な人材が自由に研究に没頭できる。そんな環境を持った会社は他にはなく、彼がこの会社を選んだ理由はそこにあったようだ。

 実はこれは後から知ったことだが、この会社の本当の存在目的は、他の薬品会社や国家の国立研究所などが取り扱っている薬品の開発を、ここで行っていたようなのだ。表向きな開発は、自分たちの会社で行い、ここでは裏の開発を行う。したがって、開発に成功すれば、こちらの会社の大きなる利益にも繋がるが、開発に成功しなければ、開発費用はすべてこちらもちなので、大手薬品会社や国立研究所では損をすることはない。そのため、この会社の利益はほとんどが、この研究所の裏の開発費用に充てられるのだが、その見返りに、表立った企業からの利益に繋がりそうな受注は優先的に我が社へと流れてくる仕掛けであった。要するに、

「表の利益の都合はつけてやるから、裏の開発の全責任を負ってくれ」

 というのが、この会社の存在意義となるのだ。

 だから、好きなように研究していいというのは表向きなことであり、自由に使っていいのは間違いではないが、裏の受注がある時は、それ最優先であった。ただ、それ以外は自由に利用していいというのは間違いではない。あくまでも表向きと裏の顔が存在するということであった。

 ただ、彼ら専門スタッフのチームは、本当に優秀だった。開発依頼を受けて、今までに開発できなかったものや、失敗したものなどは一つもなかった。むしろ他の会社が独自に開発したものの方が圧倒的にコストもかかっていて、できた薬品が役に立たなかったり、副作用が生じたりと、肝心なところでの臨床実験の不足が致命的な結果を生んだりしていた。

 国家や、大手企業が専門の裏企業を画策したというのも、無理もないことであった。背に腹は代えられないとでもいうべきか、彼らにとって自分たちの利益だけの問題ではなくなっていたのだった。

 彼らの研究は相当なスピードで行われた。不眠不休など、研究が三度の飯よりも好きだという連中の集まりでもあるので、それほど苦になることもなく、効率的で何と言っても捉えるべきところをしっかり押さえることのできる連中の集まりだということで、受注されたもののほとんどは、納期の半分近くで開発されるくらいであった。

 こちらの方で、あまり早く納入もできないということで、ギリギリまで納入時期を抑えるくらいに早くできる開発は、この研究所の設備と、彼らの才能をフルに生かした最高の環境だと言えるのではないだろうか。

 そんな研究所なので、受託依頼以外の仕事が済むといろいろな研究を行うことができる。最近では、数年前に世界的に大流行した伝染病の特効薬の開発に成功したということだが、それはまだ表には出ていない。開発はどこからの依頼でもなく、この研究所による独自の研究でなされたものなので、それをどのように扱うかというのは、シビアな検討事項であった。それでも、この研究所の成果であることに変わりはなく、その底知れぬ力に、他の企業や厚生労働省はビックリしているくらいだった。

 それでも、ここの研究員はそんな表のことにはまったく興味がない。どこがどのように発表しようと、どうせ自分の研究として世に出すことができないのであれば同じであった。一人ですべてを研究できるようになるまでは、この研究所で研究をするしかないことくらい皆分かっていた。

 それでも、この研究所にいれば、他ではどんなに出世しても稼ぐことのできない収入を短期間で得ることができる。年数が経てば、共同出資で研究所を開設することもでき、そこで開発したものを、自分の名前で世界に発表することもできるようになるだろう。皆が目指しているのはそこだった。っそれまでに自分の知識と技量を、この天才と秀才の集まりの中で磨いていくことが、自分のこの先を決めると皆が思っているのだ。

 気持ちの強さは、そのあたりの企業で出世を目論んでいる連中よりもよほど強いものがあるだろう。政治家が出世を目論んでいる比ではない。金と欲だけに埋もれている連中になど、彼らが負けるはずなどあるわけはない。

 特にこの国はずっと平和ボケしていることもあって、政治に感心のない国民が多すぎる。それを思えば、政治家が出世するために金や欲に溺れるくらいは、大したことではないと彼らは思っていた。

「しょせんは、意識のない国民を欺いて、暴利をむさぼるだけのことだ」

 と思っていた。

 それでも、国家のための薬品開発が、そんな連中の肥やしになるのは、あまり気分のいいものではない。早く自分たちが開発したものを提示できるようになり、自分の地位を上げることで、国家を正しい道に導くという目的もあった。

 ただ、これも本音ではなく表向きの考えだ。彼らも自分の本当の目的がどこにあるのかハッキリとしていないのかも知れない。研究ばかりに時間を費やし、実際の国家運営などは知らないのだからである。それでもモラルが持っているつもりなので、今の国家を動かしているくだらない連中よりはよほどマシだと思っている。

 そして、それはまんざら間違ってもいないのだ。

 先ほど言った、世界で蔓延した伝染病の時でもそうだった。

 首相をはじめとして、厚生労働大臣などの一番しっかりしなければいけない連中のバカみたいな政策や、それに伴った発言が国民の怒りを買い、さらに政策が後手後手に回ったことで、経済が止まり、さらに死者を悪戯に増やしてしまったのは、完全に国家の責任だった。

 実際に、非常時代や有事というのは、ほとんどの国で、政府への支持率は上昇するものだ。

「今の元首に従って、国家の危機を挙国一致で守り抜こう」

 という考えが国民全員にあるからだ。

 しかし、我が国の政府は国民をバカにしているとしか思えない態度が続いた。

 税金の無駄遣い、医療機関に対しての暴言、芸能人動画の政治利用した挙句に、国民からの感情を煽ってしまったりと、ロクなことのなかった政府だ。

 他の国で政府への支持率が上昇する中、我が国では世論調査を行うたびに、政府への支持率がどんどん落ちていく。本当に最低の政権である。

 しかし、それに代わるかも知れない野党も腰抜けだった。いうだけは立派だが、批判するだけで何も政策を示さない。さすがにそんなところに政治を任せるわけにもいかない。そんな政府がどうなったのか……。国民がバカなのか、それとも政府がバカなのかである……。

 そんな薄っぺらい政府とは別に、裏ではこのような特効薬を製造するプロジェクトが動いていた。政府も他の企業もまったく知らない間にである。

 果たして開発に成功し、特効薬を作った会社がどのように動くかというのは実に興味深いが、それでも開発メンバーにとっては、そんなことですら、どうでもいいことだったのだ。

 世界的な電線が拡大してからの政府はすべてが後手後手だっただけではなく、その間にしたことといえば、火事場泥棒のような、

「自分たちに都合のいい仲間を残していくため」

 そのための、何と法律改正の決議だった。

 世間や芸能人からのSNSによる強力なバッシングを受けながらも強硬に行おうとした態度も許せないが、最後は茶番に終わってしまったことが大いに波紋を呼んだ、

 何とその渦中の人物が、一種の法律違反を起こしたのだ。

 法を取り締まるべき人間がである。

 しかも、それを政府が擁護するかのような行動に出たことで、さらに国民の怒りを買った。

「もう、この政府は自分たちさえよければ、国が滅んでもいいとでも思っているのか?」

 という言葉を、普通だったら、

「国が亡べば自分たちだってただじゃあいられないんだから、そんなことは思っていないよ」

 という当たり前の言葉すら、信じられない気がしてきた。

「本当にこいつらのことだから、国が滅んでも自分たちは生き残るとでも思ってるんじゃないか」

 と疑いたくなる。

 悪知恵を働かせて、まず最初にそっちの手配をしてから、政治に向かっているとすれば、本当にどうしようもないとしかいいようがない。そんな政府を支持した国民が悪いと言えば悪いのだが、支持の一番の理由に、

「他に首相の器になれる人がいない」

 というだけで、このような悪魔のような政権が生き残テイルのだとすれば、それはあまりにも本末転倒というべきであろうか。

                ◇

 おっと、少し私情が入ってしまい、読者諸君にはお見苦しいところをお見せしてしまったが、実に申し訳ないことをしてしまった。

 しかしご安心ください。この小説の世界での政府は、そんなリアルな世界とは一線を画しておりますので、ここまでひどい政府ではないことを確約するとともに、お話を進めてまいりたいと思います。ご辛抱いただき、申し訳ございませんでした……。

                ◇

 さて、薬品開発が一段落した時、純一郎の同僚である北橋は、別の研究に勤しんでいた。彼が研究しているのは、脳波についてだった。脳波と夢の関係について彼は研究しているのだが、この研究はここだけではなく、今はどこの研究所でも医学の発展を目指して行われている。まだまだ夢というものに対しての人々の考えは一致しておらず、いろいろな説が囁かれる中、その説に信憑性を感じた学者や研究者が、日夜、その立証について研究を重ねていることは、周知のことであろう。

 しかし、夢についてあまりにもいろいろなところで独自に研究を重ねてきている関係で、誰もその研究の最先端がどこにあるのかを把握していない。したがって、実際のゴールを知っている人がいたとしても、どの研究が一番近いところにいるのか、あるいは、もうその場所に達していて、達していることに気付いていないだけなのかということも把握できていないことから、混乱しか起こらない。

 そんな状態で、天才の中の天才と言われる世界的な権威の人たちですら分かっていない研究を、我が国だけで、しかも一研究所だけで行うというのも無理のあることではないか。そんなことは分かっているのだが、それでもやらなければいけない。それが研究者としての性というものであろう。

「俺たちは天才と言われているが、どれだけのレベルなのか分かっていない。それと同じで研究する内容も同じこと、まずは自分たちがどこにいるのかということを見つけることから始めなければいけない」

 というのが北橋の考えだった。

 北橋はまだ若く、研究員としてはまだまだ新米だが、考え方と信念はベテラン連中と変わらない。それだけ天才気質だということであろうが、研究員としては当然の考えで、だからこそ、ここを支えていけるのだ。

「俺たちこそ天才なんだ」

 と彼らが言っても、誰も否定しない。

 することができないのだ。彼らには信念とともに意識がある。それは、

「何も知らないということが、すべての罪だ」

 ということが分かっているということであった。

 北橋が研究を続けていたのは、伝染病の特効薬としてでもあったが、別の意味で興味を持っていたことに特効薬を強引に結び付けようという発想であった。

 それは脳波を刺激することであって、

「元々人間の中に潜在している意識以外のものを取り出すことができれば、それが特効薬として利用できるのでないか」

 という発想であった。

 人間は、脳の一部しか使っていないと言われている。そのため、超能力というものも、あながち信憑性のないものではないと言われ、脳波の研究が超能力の研究と一緒に考えられ、そのために過度な人体実験をしてしまうことも多く、そのたび、人権問題として取り上げられることもあった。

 またその発想が小説にも生かされて、脳波の研究からフランケンシュタインのような化け物を生み出すことになるというようなSFホラーを世に生み出すことにも一役買ったかのようにも言われている。

 純一郎も、実は自分が今までに書いてきた小説の中に、似たようなイメージの話があったのは皮肉なことであろうか。

 彼の書いた小説では主人公は実に気の弱い少年で、ただ何かがあると急に強引になり、自分の提唱する説が絶対であるかのような自信過剰な男に変貌するというのだ。

 その変貌は、ジキルとハイドのように、お互いに意識のない多重人格の様相を呈していて、まるで満月を見るとオオカミ男に変身するかのようなシチュエーションに似ている。

 そんな彼を正常に戻そうとする学者がいたのだが、彼が実はこの怪物を作り出した張本人だった。彼も怪物と同じで、ジキルとハイドのようだった。彼の方がそれを地で行っていると言ってもいいだろう。

 博士が作り出した怪物は、実際には博士自身であった。博士が意識を失っている間だけ怪物は怪物としての無敵な力を発揮し、人間にはそれを阻止することなど不可能だったのだ。

 博士は怪物を無意識のうちに意識して作っていた。つまり怪物は博士の潜在意識によって作られたものだった。

 博士が怪物のことを永遠に忘れ、自分を前後不覚にまで陥れないと、怪物は消滅しない。消滅しないと怪物は次第に凶暴になり、最後には世界を滅ぼすまでになっていてもおかしくない存在であった。

 博士の執念はなかなか怪物を打ち消すことにはならない。いわば博士自身が怪物なのだからである。

 そんな時、一人の青年科学者が、博士の脳を電流で狂わせてしまおうと言い出した。

 しかし、まわりの博士連中は、

「そんなことをして、二度と博士の意識から怪物が消えなければ、どうするんだ?」

 と言って、一斉に反対した。

 しかし、

「このまま放っておいても、結果は一緒なんだ。やってみる価値はあるのではないか」

 といい、結局結論が出ないまま、しょうがないのでやってみようということになった。

 青年科学者の判断と知恵で何とか、博士の脳を電流で刺激し、その記憶を破壊することができたのだが、そのため、怪物はこの世を彷徨うことになった。

 もう人間に危害は加えないが、果たしてこの顛末をどう解釈すればいいのだろうか。

 確かに博士は脳に障害を残し、二度と悪いことはできなくなってしまったが、博士がやろうとしたことが本当に悪いことだったと誰が言えるのか。作品は後味の悪さをきっと読者皆に与えるだろう。作者自身も後味が悪い。そんなことを考えていると、

「果たして誰が悪いのか?」

 などという議論はまったくの無意味であることに気付かされる。

「怪物も博士も、人類のために犠牲になったのではないか?」

 純一郎は作品の最後で、こう書いている。

「人間誰かを正義の味方にしてしまうと、誰かを悪にしなければならない。逆も同じで、悪を作ればその釣りあいを取るために、正義の味方を創造する。その繰り返しが小説というものではないか」

 この言葉は、アマチュアにしてはもったいないくらいの言葉ではないかと思えるほどだった。

 脳波を取り扱った小説を書いたことを、皮肉にも今の純一郎は忘れている。しかし、北橋が脳波の研究に没頭するようになった最初のきっかけは、この純一郎の小説だったということを果たして誰が知っているだろうか。

 純一郎も見せたことはなかったが、ネットに上げているのを偶然北橋が発見した。それがまさか大学時代の友達が高校の時に書いた作品だということを知らずにである。本当に偶然というのは恐ろしいものだ。

 小説の内容とすれば、ジキルとハイド、それにフランケンシュタインなどを主体にした、SFと言ってもいいかも知れない、ホラー色もあるが、SFだと書いた本人は思っている。

 そんな作品を今まで読んだことのなかった北橋は、まるで目からウロコが落ちた感覚だった。それまで知らなかった世界が開け、そこに今まで知らなかった何かに導かれていく感じだった。

 北橋は科学的な発想を基本に考えるが、超常現象を決して否定するようなことはない。科学者というと、

「この世では、科学で解明されないことなど存在しない」

 とよく言われてるが、北橋の考え方は少し違っていた。

「科学で解明されないことはないという発想自体が、科学を冒涜しているのではないか?」

 と思っていた。

 つまり、科学も一種の超常現象で、超常現象も一種の科学なのではないかと思っているのである。特に超常現象を科学と結びつけて考える方が多いかも知れない。

 例えば、

「人間は、脳の一部分しか使っていない」

 と言われているが、そうなると残りの使っていない部分を使いこなせる人が現れれば、その人が超常現象を操れる人間だとしても何ら不思議はないと言えるだろう。

 それが超常現象と言われているだけであって、もし、人が使っていない部分を科学で使用できるようにすれば、それは疲れている部分の脳は、科学ではないかと言えるのではないだろうか。

 ジキルとハイド氏にしても、それぞれ、自分の知らないまったく反対側にいる人間がたまたま表に出る時間がばらけていたのか、それとも、どちらかが意識して、相手を凌駕しようとしているのか、よく分からない。ただ、ジキル博士は自分の中のハイド氏を呼び出すクスリを作ることができたのだから、もう一人の自分の存在が自分の中にいることが分かっていたということであろう。そうなると、ジキル博士は本当はもう一人の自分も支配しようと思っていたのだが、まさか二人が同時に出てくることができないと知らなかったとするなら、呼び出したハイド氏の存在を何とか隠滅しようと考えるのではないだろうか。その考えがジキル博士を苦しめ、ハイド氏を余計に増長させたことで起こってしまった悲劇だとは考えられないだろうか。

 そう考えると、人間が神によって創造された自分たちを勝手に操作することは許されないという、宗教的な、神学的な考えが浮かんでもくる。

 そもそも、この小説が、宗教的な発想から生まれたのだとすれば、一種の戒めの小説だと言ってもいいだろう。

 ギリシャ神話や聖書のような人間に対しての戒め、そう考えると、これらの小説を書いた人間は、

「神によって選ばれた人間」

 だと言ってもいいかも知れない。

 その考えを実は北橋は持っていた。

「人間の中には神に選ばれし者がいて、自分もそうではないかと考えるようになった」

 もちろん、きっかけはあったのかも知れない。

 少年時代に神がかった経験によって、自分が、

「神によって選ばれた人間ではないか」

 と思うようになったとすれば、勉強を頑張って、他の人とは違う自分を作り上げようとする努力は、少々の甘い誘惑に打ち勝つことくらいは簡単なことであった。

 しかも、彼の努力はことごとく報われ、その成功がまた彼に自分が神に選ばれた人間であるという思いを確信に変える。

 一流大学に一発で合格し、他の連中を寄せ付けない成績を上げ、さらに彼の発想は、大学教授すらも驚愕させた。

 そんな彼が進む就職先は最初から決まっていたようなものだった。今の世の中に、このような秘密結社のようなものが存在するというのは、信じがたいことであるが、自分が神に選ばれた人間であるということを意識してしまうと、人間界での少々なできごとは何ら不思議なことでもなんでもない。実際に秘密結社に入ってみたが、別に驚愕するようなことは何もない。自由にやらせてくれるところであるのはありがたいが、それ以上の感情はそれほど持っているわけではなかった。

 ただ、この世の中の頂点とも言えるところに到達してしまうと、それまで考えていた疑う余地のまったくなかったはずの、

「神に選ばれた人間」

 という発想に、少し綻びのようなものが現れてきた。

 別にそれが彼を不安にするわけではない。

「頂点から下を見れば、まわりがこんなに遠くに見えるのだということを、改めて知った」

 という思いが浮かんできた。

 この思いは、最初からあったことだった。高いところから下を見ると、目がくらむという錯覚は子供の頃に感じたことだった。

 ただ、考えてみれば、北橋は自分が高所恐怖症であることを意識していたはずなのに、高みからの見物に関しては怖いとは思わなかった。高所恐怖症というのは、自分以外の人も同じ高さにいる場合に感じることであって、一人だけ高みに上がってしまうと、決して怖いとは思わない。

 その理屈を知ったのは、最近のことだった。少々のことは科学という発想で理解できるのだが、この高所恐怖症に対しては、理解できるものではなかった。だが、普段からまわりの連中が自分に近づいてくることを嫌悪する自分に気付いていた。それは自分の中に結界があって、その部分に近づいてこられることで、自分の他人にはない排他的な感覚が薄れてしまうのではないかと恐れていたからだった。

――この俺が何かを恐れる?

 それも驚愕だった。

 神に選ばれたはずの自分が恐れる?

 そう思うと、まず考えたのは、自分が神に選ばれているということを意識しすぎているのではないかということだ。

 聖書の中の警鐘として、天に弓を引くと神が怒って、世界中に人をばらまいて、言葉が通じなくしたという「バベルの塔」の話があるではないか。

 あまり神に近づくということは、神が嫌うことであると思うと、選ばれたという意識も、あまり考えすぎないようにしないといけないと考えるようになった。

 だが、本当に選ばれたのであれば、意識を薄めすぎると、今度はせっかくの神の意志を無にしてしまうことになる。本末転倒になってしまうとも感じた。

 ではどうすればいいのか。まずは高みに立ってから、自分は高所恐怖症に陥れば、自分が神に選ばれた人間ではないということだ、そう思い高みから下を見てみると、遠くに見えてはいるが、怖いという感覚はない。誰も到達できなかった頂に到着したという意識が初めて今までになかった自分への自信として生まれてきたのだった。

 その思いが北橋を脳波研究へと突き進ませることになったのだ。

 北橋は、純一郎に近づいた。純一郎が今までに書いた小説を全部読んでみたかったからだ。

 純一郎は自分が今までに書いた作品をすべて無料投稿サイトに上げていたわけではなかった。友達を殺すような小説はさすがに上げることはできなかった。自分のパソコンに誰にも見せずに保存だけしていた。

 北橋はそれを巧みな話術で見せてもらうことに成功した。純一郎はプロにまでなりたいという意識はなく、とりあえず、今は自分で思ったことを書き溜めて、そのうちに表に出せるような時期が来るのを待っていた。

 少し前なら、そんな時間がもったいないと思っていたのだが、過去の矛盾によるトラウマだったりする感覚からか、時間に対しての感覚がマヒしてきたような気がした。

「焦ってみても、何があるわけではない」

 という意外と冷静な考えを持っていた。

 その部分が見え隠れしている純一郎のことを、北橋も分かっていて、それで興味を持っていた。

 彼が小学生の頃に苛めに遭っていて、別に恨んでいるというわけでもないはずなのに、どうして小説の中で殺そうという意識になったのか、それが不思議だった。恨みに思っているのであれば、それこそ逆恨みの感情から、常軌を逸するような行動に出ても不思議ではないが、あくまでも純一郎は冷静だった。

 北橋は、そんな純一郎の冷静さが怖かった。北橋も冷静さという意味では、他の連中に負けることなどなく、群を抜いていると思っていた。それなのに、こんなに近くに自分に及ばないまでも、

「ひょっとすると一緒に一瞬だけでも高みにいることができる人なのかも知れない」

 と感じると、その瞬間、

――忘れていた高所恐怖症が襲ってくるのではないか――

 と感じるようになった。

 高所恐怖症というのは、自分だけの問題ではない。人が必ず絡んでくる。それがまさか自分とは最初から人間としてのランクが違っている平凡に思えていた人間によって引き起こされることになるのではないかと思うと、驚愕を通り越して、神様の存在すら怪しく思えてくるくらいだった。

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