第5話 悪夢

 高校生になって、最近特に小学生の頃の夢をよく見るようになった。いつも同じような夢で、いつも同じところで目を覚ます。だから、その先は見たことがないのだが、見たいと思うよりも、

「二度とそんな夢なんか見たくない」

 という悪夢を感じることの方が多かった。

 やはり苛めに遭っていた時のことが記憶の中にあるらしい。普段では思い出すことはないのに、夢というのは厄介だ。思い出してしまうと、普段なら続けてみることもない夢を悪夢というものは、立て続けに見せるものらしい。

 それまでは悪夢というものを見る方が珍しかった。ちなみに悪夢というのは純一郎が感じている思いからの表現で、普通の怖い夢というものと違った感性を持ったものだった。

 普通にいう怖い夢というのは、普通とは違っていること、つまり、それほどリアルに感じることのないもので、悪夢というのは、今までに感じたことのある怖いことを意味していた。

「怖い夢と悪夢の違いは、悪夢の場合は今までに感じたことのあるリアルな恐ろしさを見る夢のことだ」

 と考えていたのだ。

 苛めに遭っていたという記憶は、本当は思い出したくもない嫌な記憶だが、普段は記憶の奥に封印しているので思い出すこともないが、夢では思い出してしまう。そしてリアルに思い出す分には、いまさら思い出したとしても、それほど怖いという感覚はない。何しろ、

「過去のことだ」

 という意識があるからだ。

 だが、悪夢で見てしまうのは、せっかく過去の記憶として封印しているのに、夢というあまりリアルさを意識していない場所で見ると、急に恐ろしく感じてしまう。嫌だという感覚よりも恐ろしいという感覚の方が強い。それはどうした感情であろうか?

「夢というのは確かに潜在意識が見せるもの」

 リアルな悪夢を見始めたのは、この感覚を覚えるようになってからのことだった。

 夜になると眠るのが怖くなってきた。最近は小説も読まずに寝るようにしているので、夢を連想するようなものが小説だと思っていたが、それも違っているようだ。

「夢を見るのは、睡眠が浅いからだ」

 と言われているようだが、実は違っている。

 夢にはレム睡眠と、ノンレム睡眠というものがあり、レム睡眠は、

「身体は休んでいるが、脳波忙しく働いている」

 というもので、ノンレム睡眠というのは、

「脳は眠っているが、身体は姿勢を保つくらいの筋肉の緊張が保たれている状態」

 と言われている。

 実際に夢をよく見る場合は、前者のノンレム睡眠の時に見るものが多いという。やはり、脳が活発に動いているので、潜在意識もしっかりしているという証拠であろう。

 ただ、夢をどうして見るのかという科学的な理由はハッキリとしているわけではなく、数種類の諸説がある。

「いらない情報の消去」

 であったり。

「現実世界での問題の解決法を探すこと」

 さらには、

「新しい体験と過去の記憶との統合」

 のようなものもあり、イメージとしては、デジャブもこれと似ているのではないかと純一郎は考えたがどうであろうか?

 今まで見た夢で覚えているのは、そのほとんどは怖い夢であった。もちろん、悪夢もそのうちであるが、リアルな悪夢として一番怖いと思ったものは、

「もう一人の自分」

 を夢で見ることだった。

 もう一人の自分の存在というものを本で読んだことがある。いわゆる、

「ドッペルゲンガー」

 と言われるもので、

「自分のドッペルゲンガーを目撃すると、近いうちに死んでしまう」

 という都市伝説がある。

 死んでしまうというのはあくまでも都市伝説で信憑性はないが、著名人の中でドッペルゲンガーを見たことで死に至ったと言われる人が数名いることで、信憑性は一気に上がったとも言えるだろう。

 純一郎は、ドッペルゲンガーなる言葉も、その内容も何も知らなかった。そのうえで、

「時々もう一人の自分が夢の中に出てきて、その自分を見ると急に目が覚めてしまう。そして普段は覚えていないはずの夢を、その時は記憶している」

 という思いがあった。

 だから、もう一人の自分という意識が世間一般に存在していて、ドッペルゲンガーなる名前も存在し、古代という過去から受け継がれた伝説があることで、ずっと信じられてきたということを聞いた時、ただの偶然だったはずの意識が、夢と現実の世界を結び付けたような感覚を覚えたのだ。

 夢というのが普通であれば別に怖くもなんともないはずだったのに、夢が怖いと思うようになったのがいつの頃だったかハッキリと覚えていない。かなり小さな頃から意識していたのは分かっているが、初めて見た夢が怖い夢だったとは思わない。もしそうであれば、夢というものが怖いという意識がトラウマとして残ってしまい、夢を見ること自体が怖いことだと思うはずだからである。

 そんな意識は今までにはなかった。だから最初の頃は怖い夢は存在しなかったはずだ。ひょっとすると、夢を見ていたにも関わらず覚えていないという意識もなかったかも知れない。もしそれを意識させるとすれば、夢の中に怖い夢が入ってきたからだろう。

「怖い夢というのは決して忘れない」

 そんな意識を夢の中で持っていたとすれば、目が覚めて覚えている夢だけが怖い夢なのだという確信を持った時だったのかも知れない。

 夢に関しては分からないことが多すぎる。科学的にも解明されていないし、何しろ覚えていない夢が存在する方が、純一郎にはおかしいという感覚であった。

「たった今見たはずのことなのに、どうしてそんなに簡単に忘れたりできるんだ」

 という思いである。

 忘れなければいけない理由がどこにあるというのか。忘れなければいけないのであれば、見なければいい。

 忘れたと思うからいけないのであって、覚えていてはいけないことだと思うと、それはまるでおとぎ話のようではないか。

 つまり、

「見てはいけない」

 と言われて見てしまい、見たことに対して罰を受けるという発想である。

 だから、覚えていないというのも、見てはいけない夢の世界の何かを見たために、罰として記憶に残らないようにされてしまったのか、そう考えると、おとぎ話というよりも、神話のようなものではないか。

 その日見た悪夢というのは、自分が小説の中で殺していった小学生時代の友達から殺されるというものだった。しかも、自分も友達も皆小学生、それだけでも恐怖なのに、さらに夢ならではの恐ろしさがあった。

 というのは、自分が殺されるのは、皆からリンチにあって殺されるわけではない。一人一人から殺されるのだ。

 つまり、一度誰かに殺されてしまうのだが、そこで夢は覚めることもなく、どうしたことか生き返って、さらに別のやつに殺される。そしてまた生き返って……。

 何とも言えない、

「恐怖のスパイラル」

 とでも言えばいいのか。

 スパイラルという言葉は、一種の二次元曲線と訳される。それが転じて、

「渦巻きを描くような状態が進み、ブレーキがかからない」

 と解されているようだ。

 恐怖が渦を巻いて、さらにブレーキがかからないと思うと、本当に恐ろしい。一度死んだのだから、そのまま永眠できればいいものを、さらに生き返って、また他の人に殺される。これほどの恐怖はあるだろうか。

 似たような恐怖を最近図書館で見た。自分の小説にさらにホラー色、オカルト色を与えようとよく図書館に行って本を物色するのだが、その時に、ギリシャ神話の一節を掻いたものがあった。

 その話はいわゆる、

「パンドラの匣」

 というもので、皆さんご承知の通り、

「開けてはいけないと言われた箱を開けてしまった」

 という、まるで浦島太郎のおとぎ話のようなお話であるが、その内容はまったく違っている。

 ギリシャ神話というくらいなので、神々と人間の確執の話が多い中、この話も類を漏れずに、神様と人間の因縁のお話であった。

 話の内容は、

「最初、人間の世界は男だけだったのだが、神様(ゼウス)は人間に火を与えてはいけないと言って神々に対して人間に火を与えることを禁じた。しかし、人間の世界が闇に包まれ困窮しているのを見た人間びいきのプロメテウスが、人間に火を与えてしまった。それに怒ったゼウスは人間をたぶらかし、不幸を与えるために、人間最初の女性としてパンドーラを創造し、人間界に遣わした。その時持っていた箱を開けると、一気に不幸や災いが噴き出した」

 という、かなり端折ってはいるが、こういう話であったが、この時に、プロメテウスは人間に火を与えたということで、極刑に処せられた。

 それは殺されるというものではなく、もっと残酷なもので、

「断崖絶壁に括りつけられたプロメテウスは、カラスにその身体を蝕まれるという刑を受けた。その日一日が終わり、死んでしまったプロメテウスは翌日には生き返り、またしてもカラスの餌食になってしまう。そんなことが三万年続くのだ」

 という刑だったのだ。

 その話を読んでいたからだろうか、純一郎は一人の友達に殺される夢を見ても、また翌日には別の友達に殺されるという夢を見る。それを認識できるのだから、当然前に見た夢の内容と覚えているということになる。それこそ、ギリシャ神話に出てくるパンドラの匣という話の、プロメテウスの受けた刑罰そのものではないか。自分が受けたショックがトラウマにでもなったのか、夢となってよみがえってくる。しかも、それは継続する夢であり、今までのどんな悪夢にもなかったことである。

 そうやって考えると、

「古代に書かれたにも関わらず、よくできている物語だ」

 と感心させられるが、夢を見ている本人としては、たまったものではない。

 夢の続きはまた明日見ることになるのも、夢の最後で予感できてしまう。まるでドラマの次回予告のようではないか。

 そんな予告などされなくてもいいから、何が起因してこんな夢を見ているのか、教えてほしかった。

 いくら小説とはいえ、殺したことが因果応報となって自分に襲い掛かっているのか、それを思うと、切ないだけではすまなかった。

 プロメテウスに与えられた罰のように、今日が終わっても明日がきて、また同じ目に遭わなければいけない。彼は生きながらに鳥に身体を蝕まれるという罰を毎日のように三万年も続いたというが、そんな想像を絶するようなものは別にして、いくら夢の中とはいえ、一度殺されて、また翌日殺されるのが分かっている夢を見なければいけないというのは、辛いというだけでは表現できない感情である。

 しかも、

「怖い夢ほど決して忘れない」

 というではないか。

 まさにその通りで、忘れように忘れられない呪縛を、毎日夢の中で殺されるという因縁に悩まされることになるのだ。

 ドッペルゲンガーという発想にも似ているかも知れない。夢の世界を一つの次元と考えれば、一度死んだ人間が生き返って、もう一度同じ次元にいるということになるのだ。もう一人の自分という発想もなりたつかも知れない。

 一体どんな因縁が働いているというのか、確かに一度は苛めに遭って、その数年後に仲直りしたはずの相手を、軽い気持ちとはいえ、小説の中で殺してしまうのは、ひどいことである。自分自身の中の罪悪感に苛まれたのかも知れないが、どうしてここまでの罰を受けるというのか、まるでプロメテウスのようではないかと思えてならない。さすがに三万年という歳月は気が遠くなり、気絶するほどの年数であろう。人の寿命だって百年もないのだ。日本の歴史としても、今で二千六百年くらいだというではないか。その十倍など考えられるはずもない。

 純一郎は自分を苛めてきた連中をいかにして殺したのかを思い出していた。

 そんなに残虐なものはなかったような気がする。普通に首を絞めたり、ナイフで刺したりなど、よくある殺人描写だったはずだが、その一人一人と思い出していくと、彼らが自分を殺そうとしているその手段は、自分が彼らを殺した描写だったのだ。

 夢というのは潜在意識が見せるものなので、自分が記憶していれば、その通りの反動が起こったとしても当然のことである。

 まだ、その頃は戦前戦後などのシチュエーションを考えていなかったので、普通に現代が舞台だった。

 首を絞めて殺したやつは、確か室内での犯行だった。一緒にゲームか何かをしていて、その時、ムラムラときた純一郎は、ちょうど手元にあった手拭いで友達の首を絞めた。偶然手元に手拭いがあったから、首を絞めようという衝動に駆られたのか、ムラムラときた理由もそのあたりにあるのかも知れない。

 友達は、必死で後ろを振り返ろうとした、純一郎は、断末魔の表情を見たくない一心で必死に首を絞める。友達は後ろを振り向くことができず、そのまま絶命していた。

 その友達から、今度は自分が殺される番だった。自分の夢ではまったく時代背景が変わっていた。そこは友達の家から少し離れたあぜ道の向こうにある空き地だった。友達の家も農家で、自分の家も農家だという「設定」になっていて、どうも時代としては、戦時中の学童疎開のような雰囲気だった。まわりは皆五分刈りにしていて、シャツにモンペという粗末な服だった。今の時代では信じられない光景である。

 空き地には防空壕のような穴があった。学童疎開するような片田舎で、防空壕があったというのもおかしな話だが、夢を見ていて、しかも自分の知らない時代を想像だけで頭の中で組み立てているのだから、少々の矛盾はしょうがないと言えるのではないだろうか。

 その穴に友達は自分を引き寄せる。するとそこにはもう一人先客がいた。

「あ、ごめんなさい」

 と言って、穴から出ようとすると友達が両手を広げて出口を塞ごうとする。

「おい、どうしたんだ? これ以上はいけないじゃないか」

 実際に、前にいる男の子は、それ以上先に進めないかのように、そこで立ち往生しているようだった。

 そんな状態で後ずさりなどできるはずもなく、友達は仁王立ちになって、穴の中で進むこともできず、下がることもできない純一郎を上から見つめていた。

 すると、穴の中にいたやつが、こっちを振り向いた。

「あっ」

 そこで自分を見つめているその顔、それはまさしく自分だった。普段は鏡を見なければ確認できないはずの自分の顔を一瞬にしてそこにいるのが自分であることに気付いたというのは、そこにいるのが自分であるということを最初から分かっていたということであろうか。

 こちらが悲鳴を上げると、もう一人の自分はニヤッと笑った。その顔はまさに狂気の沙汰で、何を見つめているのか、目の焦点は合っていないかのように思えた。

 もう一人の自分は、そのまま穴の中からこちらを追い詰める。まだ何もされていないのに、すでに首が苦しくて、息ができなくなっているくらいだった。

 少しずつ後ろにさがろうとすると、後ろの友達が通せんぼするので、後ろにも戻れない。

「おい、出たいんだ」

 と、背中越しに友達に言った。

 背中越しでないと、目の前にいる自分にいつ襲われるか分からない気がしたからだ。少しでも目を離すと、このもう一人の自分は、自分の予測のつかない信じられない行動を取るに違いないと思った。

 しかし友達は手で純一郎の背中を抑えて、決して後ろに下がらせようとはしない。

「どうしたんだ? 俺は出られないじゃないか」

 というと、背中越しに友達の笑い声が聞こえた。

「ふふふ、お前はここから出られないのさ。お前はここで死んで、その先にいるもう一人のお前がお前本人に成り代わって、これからお前として生きるんだ」

 一体友達が何を言っているのだろう。

 友達には、もう一人の自分が見えないはずだったのに、どうしてそれがもう一人の純一郎だということが分かったのだろう。しかも、この言葉の意味はもう一人の純一郎とこの自分本人の運命を最初から分かっているような言い草ではないか。

 純一郎は恐怖を感じ、背筋にゾッとするほどの汗が一気に噴き出していた。

――このままだと、どっちかに殺されてしまう――

 そう考えると、次に浮かんできた思いはまた変わった感情だった。

「どうせ殺されるなら、どっちに殺されればいいんだ?」

 というものだった。

 友達に殺されたいか、それとももう一人の自分に殺されたいかという二者選択を迫られたが、どう考えてももう一人の自分から殺されるのは恐ろしいとしか思えなかった。

――どうせなら、友達の方がいいか――

 と、ふと感じると、目の前にいたはずの穴の中で燻っていたもう一人の自分が目の前から消えていた。

 煙のように消滅するとよく言われるが、煙どころか、まったく最初から気配がなかったかのように、忽然と消えていたのだ。

 すると後ろにいた友達が、

「じゃあ、望みどおりに殺してやろう。お前もそれが本望なんだろう?」

 と言いながら、首を絞めてきた。

 その時思い出したのが、小説の中でそいつを絞め殺してしまった時のことだった。

「お前は俺に殺された方がいいんだ」

 というセリフがあったような気がした。

 確か、誰か二人に殺されかけて、どっちに殺される方がいいかという選択を、殺される瞬間考えさせるという不可思議な殺人シーンだったような気がする。そんな不可思議な殺害シーンをまさか夢の中で自分が演じることになろうとは思ってもいなかった。

 これが夢だということは自分でも分かっている。毎日のように繰り返して見ているのだから、何となく分かっている。しかし、こんな自分が殺される夢を見たのが、何日続いているのかという感覚はハッキリ言ってなかった。二日目かも知れないし、一週間かも知れない。下手をすると一年間もずっと見ているのかも知れない。だからこの友達に殺されるのが初めてなのか、何度目なのかなど夢の中で理解はできなかった。

 夢を見ていることで、潜在意識が働くのか、明日もまた同じ夢を見るのだという意識が働いていた。

 いつまでもこんな夢を見ていると、現実の毎日もそのうちに繰り返すようになるのではないかと思えてくる。

 実際に繰り返すということはないが、

「夢を見ているのではないか」

 と考えることがあった。

 それは、小説などを読んでいて、

「どこかで見たような光景だ」

 と感じることだった。

 時代背景が戦前戦後のミステリーを読んでいるので、夢の中で出てきた光景がフラッシュバックしてくる。

 いや、逆にこんな小説を読んでいるから、夢の中にも想像した光景がよみがえってきたのではないかと感じられた。

 どちらにしても、夢が現実になり、現実が夢になるというようなイメージは、

「死んだのにまた生き返って罰をうけなければいけない」

 というプロメテウスの三万年という気も遠くなるようなスパイラルを思い起こさせるのだった。

「夢か」

 その日の夢はそこで目を覚ますことになる。

 普通であれば、これで一安心なのだが、まだ夢が終わったわけではない、また明日以降にこの夢の続きがあるのだ。

 ただ、ストリートして続いているわけではない。シチュエーションを変えて、まるで一話完結の関連性のあるドラマが毎週放送されるような感じだった。

 いつ晴れるとも知らない、悪夢という形の地獄だった……。

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