学校の蛇口からビール出てきたらいいと思わね?


「なあ、高橋。学校の蛇口からビール出てきたらいいと思わね?」


 グェッ! と特大のゲップをかましながら、無精髭をぼりぼりと掻く不潔な男が俺に話しかけてくる。

 本当にこいつ教師かよ。

 目の前に座る担任の牛窪うしくぼ先生の教員とは思えないほど怠惰な態度に、俺は日本の教育システムの欠陥を見出していた。


「……未成年の学び舎で、アルコール出てきたらまずいでしょ」


「そもそも、未成年は酒飲めねぇってのが意味わかんねぇよな。全員アル中になっちまえばいいんだよ。全員アル中ならもう、それが普通になんだろ? そしたら当たり前の基準が変わる。アルコール革命だぜ」


「発想が怖すぎる。アル中の過激派だ。そもそも、全員が酒飲めるわけじゃないんですから、その革命は成功しないんじゃないですか?」


「飲めるようになるまで、飲めばいいんだよ。飲めねぇ遺伝子は絶滅だ。これが自然選択と適応進化さ」


「まじでなんでこの人クビになってないんだ。教育に悪すぎる」


 牛窪先生はヘラヘラと昭和のアルハラ親父も真っ青な危険思想を垂れ流している。

 令和の日本にこんな野蛮な人間が野放しになっているのは、恐ろしいことである。


「それで、どうだよ高橋。最近、元気か?」


「まあ、普通っすよ」


「友達、できたか?」


「……現状維持っす」


「はぁ、あっそ」


「担任があっそとか言うな」


 俺の学校では数ヶ月に一度、このような進路面談という名の担任による尋問が行われる。

 牛窪先生に関しては、去年も俺の担任だったので、ある程度もう俺のことは理解をしている。

 なんだかんだで、俺としては絡みやすい先生なので、まだ訴訟は起こしていない。

 やっぱり、自分より明らかに下なダメ人間を見ると、心が落ち着くのだ。


「今回の進級のクラス変えでさ、まじで困ったんだよ」


「いきなりなんの話すか?」


「ほら、お前ってぼっちじゃん? ぼっちって、誰も引き取りたがらないからよ」


「聞きたくない事実すぎる。てか本人に聞かせるな」


 教員の中で、俺が地雷扱いされていたという驚愕の事実を、牛窪先生はヤフーニュースみたいな気軽さで喋ってくる。

 というか絶対今の秘匿事項だろ。

 確実に生徒に開示していい情報じゃないと思うんだが。


「だけど、なんかお前、藤田小雨ふじたこさめと仲良いからさ、お前を取れば藤田がセットでついてくるのはでかい」


「俺と藤田ってセット扱いなんすね」


「まあな。不登校にならないように、ぼっちには仲良いやつを同じクラスにするようにしてるからよ」


「さっきからまじでギリギリっすね。喋っちゃいけないライン超えてる気しかしない」


「おれだってバカじゃねぇ。お前だから話してんだよ」


「意外に俺のこと、信頼してくれてるんすか?」


「いや、単純に、お前話す相手いないじゃん」


「まじで訴えたろかなこの教師」


 俺は絶対にこんな大人にはならないと固く心に誓う。

 こんな純粋な高校生の心を弄ぶなんて許されない。


「でもまあ、藤田のやつ、前の担任にお前と一緒のクラスにしてくれって頼んでたくらいだからな」


「そうなんすか? まあ、あいつ俺のこと大好きっすからな」


「それな。まじで不思議だよな。てっきりお前が藤田に引っ付いてんのかと思ってたら、案外これが逆なんだもんな。この話をすると、周りの先生たちには疑われるけど、実際見てるとまじでそうだもんな」


「そうっすよ。勘違いしないでください。俺が藤田と同じクラスじゃなきゃダメなんじゃなくて、藤田が俺と同じクラスじゃないと嫌がってるんです」


「うける」


「なにうけてんだてめぇ」


 けらけらと、牛窪先生は笑っている。

 完全に俺を舐めきっている。

 いつか必ず見返してやる。

 かっこ見返す方法は未定かっこ閉じ。


「まあでも、感謝してるよ。お前のおかげで藤田がおれのクラスになったからな。あいつがいるだけで、クラスが明るくなる。担任からすればだいぶ楽できる。藤田は使える」


「使えるとか言うな。人の心はないのか」


「悪い悪い。今のはさすがに不適切だったな。やっぱ酒が足りてねぇわ」


 今のというか基本不適切だと思いますがそれはいかに。

 すると牛窪先生は、そこで一旦言葉を切ると、俺のことをじっと急に見つめてくる。

 なんだ?

 アル中の発作か何かか?


「でも真面目な話、お前ってなんで藤田と仲良いんだ? べつに、変な意味とかじゃなくてさ、純粋な疑問だ」


 珍しく、真剣な瞳で牛窪先生は俺のことを見つめてくる。

 俺と藤田が、なぜ仲が良いのか。

 もっとも、なんでここまであいつが俺に絡んでくるのかは、正直言ってわからない。


 だが、たしかに、きっかけはある。


 俺と藤田はたしかに同じ高校に通う同級生だったが、最初からあいつは俺にやたら絡んできたわけじゃない。

 明確に、ある日を境に、俺とあいつの間に明確な関係性が生まれたんだ。


「……さあ、なんでですかね」


 しかし、俺はあの日のことを、誰かに話すつもりはない。


 藤田小雨のたった一つの秘密。


 あの日の出来事を、あいつがどんな記憶として留めているのか、正確なことはわからないが、他人にペラペラと話すような事柄じゃないことだけは確かだ。

 だから俺は適当な返事で、牛窪先生の問いかけを煙に巻く。



「……グェップ! ほんと、なんでだろうな。まあ、どうでもいいんだけどな」



 短い沈黙を破る、下品すぎるゲップ音。

 どうでもいいなら聞くな。

 まじでこの教師むしろ教育される側の人間だろ。


 


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