4、賭け双六

 

 日が山際に消え、あたりは闇となった。


 長谷雄は、立ち止まった。

 月のない日に夜道を歩くことなどできやしない。

 彼は、大きくため息をつくとそのまま築地に寄りかかり天を仰いだ。

 闇の中、雲が流れている。

 合間をぬい、星が瞬く。

 その様は、浮き沈みしながら星が川を流れているようにも見えた。

 ぼんやりとその様を見ながら、竹林を渡る風音に耳をすました。

 常人ならば、物の怪が出ると不気味がるだろうその音も今の彼にとっては心地よいものであった。


 不意に、築地ついじの角からゆらりと二つの光が出てきた。

 長谷雄は、その闇に目を凝らした。

 ぎらりと輝く金の光が一瞬、鬼の目のように見えたのだ。


(ついに出たのか?)


 ほくそえみ再びその場を見れば、鬼の瞳と思ったのは勘違いで松明たいまつの灯りだということがわかった。


(ただの灯りか……。しかし、いつの間に?)


 闇の中から灯りを持ち現れた男は、供もつけずに一人で長谷雄の目の前に立っていた。

 宮中で見かけたことのない者である。

 多少古めかしい装いの衣であったが、仕立ては上等で立派な身なりをしていた。

 歳は長谷雄と大差ないように見受けられたが、その男の方が背も肩も広く豪腕であるように思えた。

 もっとも、殺気立った様子はないので恐ろしいとは思わなかった。

 ただ、貴族のなりはしているものの、只者ではない空気を漂わせていた。


「あなた様をお待ちしておりました」


 男は、長谷雄を見据え満足そうに嗤った。

 長谷雄は、ぞくりと背筋が冷たくなるのを感じた。



 ◆



 松明の灯りを片手に、奇妙な男は話を続けた。


「紀長谷雄様、あなたさまにお頼みしたい事があり、お待ちしておりました」


 遠雷のようなよく響く低い声が、長谷雄の心を鷲づかみにした。


「なぜ、私の名を……?」


 彼は恐怖ではない『何か』に捉えられ、声が震えた。

 今思えば、それは『運命』と言うものだったのかもしれない。


「あなたと見込んでの勝負ですから」


 男の瞳が闇に光り、まっすぐに長谷雄を見つめた。



 男が言うには、長谷雄に『双六勝負』を挑みたいとのことだった。

 長谷雄は以前、そういった賭け事や遊びに興じて浮名をながした時期もあったが、琴姫に出会ってからは目をくれることもなかった。


(双六か……。

 ずいぶんと久しぶりだな。気晴らしに、付き合っても良いかもしれない)


 何しろ、長谷雄はこの奇妙な男が気になったのだ。

 底知れない男に自分の気持ちを悟られぬように、長谷雄は社交の場で見せるようなとりすました笑みで答える。


「お受けいたしましょう。あなたのようなかたなら屋敷へお招きして一手お相手していただきたいものです」


「かたじけない。されど、普通の場所で打ってはあなたもつまらぬだろう? 場所は用意してある。ご案内いたそう」


 そう言って、男は歩き出した。

 長谷雄は、久しぶりに血が騒ぐのを感じながら男の後をついて行った。



 ◆



「ここは……」


 男に連れられてきたのは朱雀門だった。

 昼間なら、朱塗りの立派な門が見えるはずだ。


「どうぞ上へ」


「ああ」


 一風変わった趣向に長谷雄は驚いたが、男に促されるままに二階へ上がった。



 真っ暗な広い室内に、小さな蝋燭の炎が頼りなげに揺れめく。

 夜だというのに、なぜかなま暖かい風がただよっている。

 かすかに死臭を漂わせたようなその空気に、長谷雄の肌は密かに泡立だった。


「何を賭けての勝負なのですか?」


 不安に駆られた長谷雄の問いに、盤を挟んで向い側に座った男は落ち着いた様子で言ってのけた。


「『女』を賭けてでございます」


「女とは………?」


「実を申しますと、私がある『女』と賭けをしたのです。私が勝てばその女は私の物になる。長谷雄様がお勝ちになれば長谷雄様の物になるというわけです」


 男が思いつめた顔で言ったため、長谷雄は、どういっていいのかわからず苦笑した。

 確かに、その男は武人のような体躯で見た目に強そうな空気を持ってはいるが決し荒々しいと感じる物腰はなかった。

『女』が、そのような変わった提案をするというならば、よっぽどこの男が嫌なのか? 自分の知り合いなのか? それとも、その『女』が変わっているのか?


「その女性は、どんなお方なのですか?」


 思わず口をついた言葉だったが、男は夢見る口調でこういった。



「この世の者とは思えぬ、清らかで美しい女だ……」


 男はうっとりと炎を見つめた。

 長谷雄はその視線の先に、琴姫を見た気がした。


(ああ、この男も恋をしているのだ)


 長谷雄はそう思った。


「あなたが、それほどまでに慕う女性ならばここで勝負するのはよしましょう」


「なぜだ?」


「あなたが、勝ったことにしてその方を娶ればいいではないか?」


 長谷雄の提案に、男は怒鳴った。


「それでは、何も得られない!」


 呆然とする長谷雄をよそに男は言葉を続ける。


「あの女に偽るようなことをできぬ。そうして、彼女を得たところですぐに夢幻のごとく消え去るだけ……! どうか勝負をしてくだされ、さすれば女も納得して私のものとなるといっているのです!!」


 男の必至な様子に彼は、一つ息を吐くと微笑んだ。


(正直なよい男だ)


「わかった。あなたは、立派な方だ。それだけ想われていれば女子も幸せでしょう。私は、存じ上げないがその女性のためにも正々堂々と勝負いたしましょう」


「決して後悔せぬよう、本気でお願いいたします」


 その言葉の意味を長谷雄は図りかねた。



 ◆



 そうして、この世のものとは思えぬという、美しい女を賭けて勝負がはじまった。

 長谷雄は最初、この男がそれほどまでに想うのならば、負けてやってもよいと思っていた。

 しかし、男の腕前のすばらしさに、いつしか長谷雄も賭け双六に夢中になった。

 女のことは二の次に、この男に勝ちたいと彼は思った。


 一進一退の勝負。


 そうして、一手また一手と賽をふり進めてゆくと、しだいに長谷雄が優勢となってきた。

 自分の勝ちを感じ始めた長谷雄が、ふと壁を見ると蝋燭の明かりに照らされた揺れる二つの影が目に止まった。

 ひとつは、長谷雄の影。

 もうひとつは男の影のはずだったが、その壁に映し出されている影は、長谷雄の影の二倍はあろうかという、大きな影。

 長谷雄は恐る恐る、男を見直す。


 群青色の肌。長い爪。鋭い牙。そして、二本の角。

 賽を割らんばかりの勢いで振り、次の一手に思い悩み金に光る眼をぎらつかせている。


 いつのまにかそこには、大きな青い鬼がいた。



 長谷雄はごくりと息を飲み、目を瞑る。


(今さら何を、最初からそんな怪異を期待して闇夜をうろついていたのではないか? ここで鬼に喰われようものなら本望だ。ならば、これが最後の勝負、勝とうではないか!)


 鬼でも鼠でも勝負をはじめれば、決着が着くまでは対等だ。

 長谷雄は大きく息を吐くと覚悟を決めた。


 振られる賽、進む駒。


 それは何処へ向かっていくのか、死なのかそれとも思いもよらぬ未来なのか?

 無心に双六に興じる長谷雄と青鬼。


 そして、ついに長谷雄が勝った。

 額の汗を拭うと長谷雄は何も見なかったようなそぶりで、


「わたくしの勝ちでございます」


 と、静かに一言だけ告げた。



 鬼を見れば、また男の姿にもどっていた。

 悔しそうにしているものの鬼とばれたとは露とも知らぬ様子。


「約束の女は日を改めて必ずお届けします」


 そう言うと、男は気落ちした様子で闇の中へ消えていった。


「私は、助かったのか?」


 自分では、いつのまにか命を掛けた大一番と覚悟していたため、鬼があっさりと引き上げ、しかも賭けの品である女を渡す約束まで確認していったことがまだ信じられず、いつまでも鬼が消えた闇を見つめていた。

 



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