しずく姫~長谷雄草紙より~

天城らん

1、朱雀門の青鬼

 

 朱雀門すざくもんに住む鬼は、死体など見慣れていた。


 亡骸なきがららうのは、鬼として当然のことであったからだ。

 今、夜空にある細い月は、もうすぐ新月を迎えることを知らせ、鬼をことさら喜ばせた。

 暗がりに、金の目が爛々らんらんと光っている。

 転がるむくろに鋭い爪を立てている鬼の肌は群青色ぐんじょういろをしており、丸めた背は熊ほどもあった。

 鬼は、亡骸を持ち上げ無心にその左腕にらいついていた。

 いつもならば、そうしてすべてを食べくし鬼の食事は終わるのだったが、その日ばかりは違っていた。


 不意に、青鬼の耳にひとつの音が聞こえた。

 闇の中に暖かな光をともすような、琴の音。

 その響きに惹かれ鬼は、顔を上げた。

 見れば光の玉が、青鬼の目の前を蛍のあかりのように、ささやかな光鱗こうりんきながらただよっていた。


(あれは何だ?)


 澄んだ琴の音は光の玉から響いてきたようだ。

 鬼は動きを止め、闇に慣れた金の目で光を追った。

 瞳をらせば、それは人間の『魂』だった。


(いままで見たことのある魂とは違う。なんと美しいのだ。そして、この琴の音。胸が熱くなる……)


 あてどなく漂う魂は、すでに亡くなった者のものだと青鬼にはわかった。

 しかし、器を無くした魂はすべて魔界の閻羅王えんらおうの元へ行き裁かれるものと決まっている。だのになぜ、まだこのようなところを彷徨さまよっているのか? 鬼はいぶかしんだ。

 鬼は、口から喰らっていた腕を放し人魂に話し掛けた。


「お前はなぜ、こんなところへいる? 閻羅王のもとへ行くのに寄り道はいかんぞ」


 むんずとつかもうとする鬼の手を、軽やかな琴の音とともに光はするりとかわした。

 手に入れられないと、ますますやっきになるもので、鬼は更に追いかける。

 けれども魂は、鬼の鋭い爪も大きな手でも捕まえることはできなかった。

 鬼もさすがに観念して魂に問う、


「捕まりたくないのならば、何ゆえ立ち去らん?」


 光は明滅めいめつしながら、鬼の肩に留まった。

 それは、なにかささやいているようにも思えた。


「心残りがあるというのか?」


 そうは言ったものの、鬼の胸中は揺れていた。

 自分の肩に触れる魂から、いままで感じたことがない温もりが伝わってきたのだ。

 冷えた門の暗がりの中に住む彼にとって、それはとても甘美なものだった。


「このままにしておくのは惜しいほどの美しい魂だ。お前の魂をこの世にとどめるのはどうしたものか……」


 青鬼は、考える。

 目の前には、門に捨てられたいくつもの亡骸なきがらが静かに横たわっていた。


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