174話 ごちそうスープとご自愛スープ 3
寝ぐせのついた髪をしたオリヴィエは、不機嫌そうに尋ねてきたリアムを見る。
まだ下がらない熱、ぼんやりとして働かない頭、そして風邪がうつるかもしれないというのに訪れたリアムへの苛立ちからだ。
リアムはといえばオリヴィエの態度はいつものことと、表情ひとつ変えずに光沢のある容器をバッグから取り出した。
「なにそれ」
「スープジャーというらしい。トーノ様が用意してくださったのだが、温かいままスープなど水分の多いものを溢さずに運べるらしいぞ」
「え、じゃあそれって魔道具なの!?」
途端に目を大きく開くオリヴィエはしげしげとリアムの行動を見つめた。
上部が蓋になっているのだろう。大きなリアムの手で回してそれを開けると、銀色の内部が見え、ふわりと湯気が上がった。
そして食欲をそそる香りも立ち上がる。
「……魚の香り?」
「あぁ、そうだな。だが食べやすそうだぞ」
そう言ってリアムは白い光沢のあるスプーンでスープジャーの中身を掬い、オリヴィエへと差し出す。
その様子にオリヴィエの眉間には深い皺が寄り、訝し気な表情が浮かぶ。
「…………なに?」
「ん? 食べるだろう?」
「はあっ! 自分で飲めるから! 手は怪我してないんだから!」
「そうか、確かにそうだな」
そう言ってスプーンをスープジャーの中に入れ、リアムはオリヴィエへと手渡す。
ムッとした表情のオリヴィエだが、黙ってそれを受け取った。
実はここまでリアムの計算の範囲である。
ただ飲むように勧めれば、素直には飲まないことは想像できた。飲ませようとすれば、そちらに気を取られ、オリヴィエは自分で飲むことを主張するだろう。
予測通りの反応に内心で胸を撫で下ろすリアムだが、それを表情には出さない。
「これ、なにかすりおろしてるんだね。魚が入っていないのに魚の風味がある」
「すり流しというらしい。以前、信仰会の者にトーノ様がお教えしたものと同じだろうな」
病にかかる人を保護している信仰会では、その食事に悩むことがあった。その際に恵真が提案したのがすり流し汁である。
すりおろす器具がなくとも問題ないように、野菜を潰して作る方法を恵真は教えた。その調理法で今では信仰会ですり流しが作られている。
今回、恵真は昆布と鰹節で出汁をとり、レンコンをすり下ろしてすり流しにした。
いつも喫茶エニシで口にするポタージュに近いそれを、オリヴィエはそっと口にする。その姿にリアムはかすかに口元を緩めた。
「早く治せ。皆、心配しているぞ」
「そんなわけない」
「心配でなければ、俺もセドリックもこうして宿に来ないだろう」
「…………これ飲み終わったら帰ってね」
「あぁ、わかった」
その後、オリヴィエは無言ですり流しを口に運ぶ。
熱過ぎない温度の汁は口に含むとふわりと香りが広がり、痛む喉をするりと落ちていく。頬が赤くなり、汗も少し出てきたようだ。
空になったスープジャーを受け取ったリアムは、乾いた布を差し出し、汗を拭くように促すと約束通り帰っていった。
汗を拭ったオリヴィエはふぅと息をつく。胃に温かいものが入ったせいか、汗をかいたせいか、体が少し楽に感じる。
そのまま、ベッドに横たわり天井を見上げていたが、いつの間にかオリヴィエは眠りに落ちていくのだった。
それから三日間、リアムは毎日スープジャーを持ってオリヴィエの元へと訪れていた。スープの内容もその日によって異なる。
おとといはかきたま汁、昨日は人参のポタージュスープ、そして今日はじゃがいものポタージュスープらしい。
初日こそ納得していない様子のオリヴィエであったが、体調の回復と共にその態度も軟化する。
ここ数日というもの、夢も見ない。大きなベッドに小さく縮こまるように眠っていたオリヴィエは、今ではいつも通り天井を見上げて眠っていた。
「で、そのスープにこれを入れて完成だそうだ」
「あ! 何するのさ!」
スープジャーの中にぽとりとリアムがバゲットを入れ、オリヴィエが抗議の声をあげる。サイコロ状に切られたバゲットは、スープの水分を吸い込んでいく。
その様子に眉間に皺を寄せるオリヴィエだが、リアムは気にしてはいないようだ。
「しみしみのパンが旨いとのことだぞ」
そう言ってリアムはポケットから小さなメモを取り出す。
それを見たオリヴィエの眉間の皺はすぐに消えた。
そのメモが誰からのものか、一目でわかったのだ。
「アッシャーとテオからか……」
整った文字で早く良くなって欲しいと書いているのがアッシャー、不揃いな文字でしみしみのパンはおいしいよと伝えているのがテオからであろう。
小さなメモの一行の言葉、それだけなのだがオリヴィエの口元は緩む。
すっかり表情が柔らかくなったオリヴィエにリアムは話しかける。
「時間は今、いくらでもあるんだ。ゆっくり食事をするのも悪くはないだろう?」
「…………どうだろうね」
そう言いつつもオリヴィエはスプーンを手に持つ。ポタージュスープがしみ込んだバゲットをそっとオリヴィエが口に運んだ。
じゅわりとパンにしみ込んだスープが口に広がっていく。少々いつもより粗目に潰されたじゃがいものポタージュは優しいまろやかな味わいだ。
そのスープを十分にしみ込んだバゲットは柔らかく、喉を通っても痛みなどない。
普段、口にする携帯食とは正反対の食感と風味だが、オリヴィエは静かにそれを口にする。
無言で食べるオリヴィエにリアムも言葉をかけず、見守っている。
そのとき、廊下に賑やかな声が響く。
「いやぁ、こりゃまた立派な宿だねぇ。外から見たことは何度もあるけどさ、実際に入るのは初めてさ」
「うむ、広いな。この廊下で剣の打ち合いが出来そうだ」
「ちょっと、二人とも静かにして!」
「そういうリリアの声が一番うるさいぞ」
聞き覚えのある声にオリヴィエとリアムは顔を見合わせる。
宿を教えたのかと、じとりとした視線を向けるオリヴィエだが、リアムは首を振る。彼女達に宿の場所は教えたことはない。
「ちょっとどういうことさ」
「俺は知らないぞ。セドリックだろうな」
肩をすくめるオリヴィエだが、しかしその表情から怒りは見られない。
賑やかな声はどんどんこちらへと近付いてくる。
大きなため息をつくオリヴィエの表情は少しふてくされたものになる。
長年の日々がそうさせているのか、どうやっても素直になれないオリヴィエにリアムは困ったような表情で微笑むのだった。
*****
夜、冷蔵庫の野菜室を開け、食材を確認する恵真に瑠璃子が声をかける。
冬になり、夜は冷えこむ。パジャマ姿の恵真を心配したのだ。
「このまえみたいに出汁を取るんじゃないんでしょ? 明日でもいいんじゃないの、恵真ちゃん」
「明日はちょっと特別だから、確認しておきたくって」
「特別? あら、今までと何か違うことをするのかしら?」
そう尋ねられ、恵真は返答に困る。
今までも、実は彼らは参加をしていたのだ。
しかし、明日はより本格的な作業になる。
「あ、あとバンダナも二枚必要かも。こないだ使ったのはまだ乾いていないから」
「あらまぁ、そういうことね。」
事情を察した瑠璃子は楽しげに笑う。
キャベツ、人参、じゃがいも、たまねぎが冷蔵庫にはある。あと必要なのはトマトのホール缶。そちらは食器棚の下にあるはずだ。
明日、恵真が作ろうとしているのはミネストローネである。
今までオリヴィエへと作っていたスープは固形の具材はないものばかり。食事を面倒に感じるオリヴィエに合わせたものだ。
スープジャーを返しに来たリアムが言うにはスープに入れたバゲットも、オリヴィエはきちんと食べたと言うが、渋々といった様子だったらしい。
そういった意味では具沢山のミネストローネは挑戦である。
「あ、ベーコンはちょっといいやつをこのまえ頂いたから、それを使おうかな。今までのは体調に合わせて消化にいいものだったの。でも、少しずつ体力が戻ってきたオリヴィエ君にはボリュームがあるものがいいかなって」
今まですり流しやポタージュなどを用意していたのは、オリヴィエの好みもあるがなにより消化に良いものを心がけていたためである。
孫の言葉に頷きながら、瑠璃子はクロを抱き上げた。
「ふふ、さしずめ前回まではご自愛スープ、今回はごちそうスープね。寒い日が続くもの、温かい食事がいいわよね。じゃあ、私は先にクロと行ってるわよ」
「みゃうみゃう!」
「はいはい。わかりましたー」
「みゃうみゃ……」
抗議の声もむなしく、クロは瑠璃子に抱きかかえられたまま二階へと連れられて行く。その様子をくすくす笑いながら見ていた恵真だが、ふぅとため息をつく。
はたしてオリヴィエは明日、少し特別なミネストローネを食べてくれるのだろうか。しかし、悩んでも仕方がない。やるべきことをやるしかないのだ。
「明日は二つの意味で挑戦だね」
トマトのホール缶を食器棚の下から取り出した恵真は、明かりを消し、二階へと向かった。
冬の夜は長い。ゆっくりと睡眠をとって、明日に備える恵真であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます