107話 ワインとチャイと温かな心 2
今日も雪が降り、外の寒さと中の暖かさとの違いから窓には結露が出来る。
それをアッシャーがソファーの上で立ち膝になりながら、タオルで拭いている。その手の左右の動きが気になるのか、クロは動きに合わせ顔を動かす。おまけにしっぽまでゆらゆらと動くのだから、テオはくすくすと笑う。
「週末限定の出店、っていう形でしょうか?」
「そうさ、期間限定でね。それなら店側にも負担なく、普段と違うことが出来る。なかなかいい案だと思うんだよ」
今日、店を訪れたのはアメリアとリリア、そしてリアムである。アメリアとリリアはマルティアの飲食店の有志で行うイベントに参加するようで、恵真もその話を興味深く聞く。
「ルースが言いだしてくれてね。あの子も勇気を出して発言してくれたからさ、なんとか上手くいけばって思うんだけどねぇ」
その言葉に恵真も頷く。ルースの控えめな性格は皆知っているのだ。そんな彼が皆にアイディアを伝えるのは、ひどく緊張しただろう。
恵真としても協力したいところなのだが、問題が1つある。それはアッシャーとテオを夜遅くは働かせられないという点だ。
「せっかくなので私も参加出来たら良かったんですけど、夜ですと難しいですね」
「いいんだよ。夜になると面倒な客も増えるしさ、男手のないこの店でそんなことをする必要はないからね」
アメリアの言葉にぶんぶんと、リリアが首を縦に振って賛同する。
「うちは父がいますからいいですけど、エマさまに何かあってはいけませんから!」
「ありがとう。でも、皆で一緒に何かするって楽しそうだね」
「エマさまと一緒に……それは確かに素敵ですね!」
恵真の言葉にあっさりと意見を変えるリリアにアメリアは笑う。そんなアメリアたちに、それまで沈黙を守っていたリアムが尋ねる。
「それは提供に時間がかからないものが中心になるのでしょうか?」
「あぁ、そうだね。さっと出来てさっと会計していかないと道を塞いじまうからねぇ」
「そうですか。でしたら、私が喫茶エニシの店番に立つことも問題はないですね」
「え、お前さんがかい?」
驚くアメリアだが、当のリアムはなんでもないことのように頷く。リアムの中には恵真への負い目があるのだ。
恵真がここ喫茶エニシの外へ出ないのは、リアム自身の発言がきっかけだ。防衛魔法と幻影魔法、そして魔獣であるクロのいる、ここ喫茶エニシは安全な場所である。
だが、一歩外に出れば、恵真を利用する者たちが現れる。武力でどうこう出来る者ならば話は早い。リアムの懸念は国や教会など権力を持った存在である。
そのために冒険者ギルドに所属するように勧め、マルティアの街での功績は恵真自身が作っていった。
しかし魔獣であるクロがいてすら、愚かな者はその魔獣ごと我が手にしようと考える可能性が高い。
一方で安全ではあるが、不自由さを強いているのは事実だ。そんな思いからもリアムは恵真が望むことには出来る範囲ならば協力をしたいのだ。
「いいんですか! リアムさん」
「えぇ、ただ毎回というわけには参りませんが」
「いえ、一度でも構いません! あ、大丈夫ですか? アメリアさん」
言ってしまった後から、慌てて尋ねる恵真にアメリアは豪快に笑って頷く。
「あぁ、構いやしないよ。限定で店を出すっていうのも面白いじゃないか」
「ありがとうございます! 寒いだろうし、温かい飲み物とかはどうかな。あ、お酒も大丈夫なんでしょうか?」
恵真の言葉に少し驚いたアメリアだが、すぐに首を縦に振る。アメリア自身も何か酒とそのつまみを出すつもりで考えているのだ。
むしろ、日頃は酒を出さない喫茶エニシがどんな酒を用意するのか気になるところだ。
「うーん、赤葡萄酒って何かこちらでおすすめのものはありますか? 飲みやすいものだといいんですけど」
「あぁ、それじゃうちで使っているのを持ってくるよ」
「お幾らくらいするものなんでしょう」
再び豪快に笑って恵真の肩にパンと手を置くと、アメリアはニッと白い歯を見せる。借りがあるのはアメリアの方である。時折、世話を焼くくらいでしか返すことが出来ていないのだ。
「いらないよ、そんなの。お嬢さんに世話になってるのはあたしのほうだからね」
「で、でも、それじゃなんだか悪い気がして」
「そうかい? じゃあ、またいい案があったら教えておくれよ」
遠慮する恵真にすかさずアメリアが言うと、慌てたリリアが恵真の前に立って庇う。恵真よりも頭一つ分低いリリアだが、恵真を守ろうと必死である。
「ダ、ダメです! エマさま、商売というのは優しいだけではいけません! したたかに振舞わないと出し抜かれるものなのです! リリアは心配です」
「おや、しっかりしてきたじゃないか。そうだよ、この子の言う通り。お嬢さんはもっと商売っ気を出すべきだよ」
「出し抜かれる……商売っ気ですか……」
商売人である二人が恵真に、商売の教えを叩きこもうとするのを穏やかに微笑みながら見つめたリアムが呟く。
「おや、だとするとホロッホ亭はじゃがいも料理とサワー、ポールさんの店はクランペットサンドを出せなかったことになりますね」
リアムの方をハッとした表情で振り返った二人は、次に恵真の方を見て真剣な表情で訴えた。
「エマさまはお優しい今の在り方が一番美しいとリリアは思います」
「そうさね、お嬢さんはお嬢さんのまんまでいいんだよ」
「は、はぁ、そうですか」
変わり身の早い二人に目を瞬かせた恵真だが、気持ちはすぐに週末の出店の料理へと移る。寒空の下で飲食するのだ。暖かいものが喜ばれるだろう。飲み物であれば、それほどに時間もかからず提供できるはずだ。やはり、赤葡萄酒であれを作るのがいいだろう。
そんな考えが次々に浮かび、恵真の頬は自然と緩む。
「今日も賑やかだな」
「うん、エマさんに終わったって言ってこよう」
「みゃう」
窓を拭き終えたアッシャーとテオ、それをきちんと見守ったクロは、恵真にそのことを報告しに行く。アッシャーとテオは手を洗ったあとに温かいお茶を貰い、それに便乗したクロもおやつを貰うことに成功するのだった。
*****
「トーノ様ぁ、持って来たっすよー」
「わぁ、バートさんが持ってきてくださったんですか! わざわざすみません」
アメリアの元から赤葡萄酒を持って来させられたのはバートである。数本の赤葡萄酒を一人で運ばされてきたらしい。
木箱に入った赤葡萄酒を一人で持ってきたバートは恵真の案ずる声に目元を押さえる。
「うぅ、それが普通の反応っすよね。アメリアさんってば人手はお前さん一人でいいだろうって言って渡されたんっすよー」
「ありがとうございます。バートさん、今温かいものをお入れしますね」
「……そうっすね。ありがたいっすけど、こちらの方の試作は?」
ちらりと運んできた木箱を見てバートが言うと、恵真はにっこりと笑う。
「こちらは夕方にリアムさんに試飲してもらう予定なんです。私もお酒が得意な方ではありませんし、まだ夜ではないですし」
「そうっすか、そりゃそうっすよねー……」
がっかりした様子のバートに、恵真は笑いながら別の提案をする。アッシャーとテオがいる今の時間でも提供できるものがある。それも週末の屋台の試作品の一つなのだ。
「もう一つ試作品があるんですが、試飲して貰ってもいいですか? アッシャー君とテオ君にもお願いしていいかな?」
その言葉にバートの表情がぱあっと明るくなる。現金とも言えるが料理を楽しみにしてくれるその反応は、恵真にとって不快なものではない。むしろ、作るものを喜んで貰えるのは作る気力にも繋がるものだ。
アッシャーとテオも重要な任務を依頼されたときゅっと眉を上げて、恵真に頷く。
「うん! 僕らでよかったら協力するよ!」
「はい。その日はお役に立てないんですけど、料理の意見なら大丈夫です!」
「よかった。それじゃ、3人とも手を洗って、席についてね」
「はい!」
力強く返事をした3人は温かな湯で手を綺麗に洗い、そわそわしながら席に着くのであった。
キッチンに立つ恵真が用意したのはいつもと同じ、紅茶の茶葉である。その周りには小さな瓶、砂糖、牛乳パックが置かれた。そして恵真が取り出したのは小鍋である。
その道具と材料を見た3人はそれぞれに推測を始めた。
「ミルクを入れた紅茶っすかね?」
「ずっと前に飲んだミルクがいっぱい入った紅茶じゃないかなぁ」
「あぁ、ロイヤルなんとかって言う甘い紅茶だな」
以前、ロイヤルミルクティーと苺タルトを出したことがある。それはまだ春のこと、バートやリアムが初めて訪ねて来たときのことだ。
そのときの緊張を思い出すとなんだかおかしい気もする程に、恵真はこのマルティア、そして喫茶エニシに訪れる人々に親しみを感じている。
「よく覚えてるね。皆、半分正解。ミルクを入れた紅茶なのは当たってるよ」
そう言って恵真は小瓶の1つを取って、皆に良く見えるようにする。
小瓶の中には乾燥した素材が入っている。もし、これがマルティアで販売されたならば、恵真は冒険者ギルドの貯蓄額を更に増やすことになるだろう。
「薬草っすか? え、屋台のものに薬草っすか!?」
驚くバートだが、恵真は気にした様子もなく笑う。
マルティアで薬草であろうと恵真にとっては食材の1つである。摂取して害がないのであれば、使っても構わないだろうとの判断だ。
「あー、えっと騒ぎになったりしないっすかね。あ、あと、販売価格の問題もあるっすよ!」
心配し、慌てるバートだが、恵真は気にした様子もない。アッシャーとテオは興味深げに恵真とバートの会話を見守る。
「えぇ、でも販売してくれるのはリアムさんなんです。だから、揉め事にはならないかと思うんです」
「うん、リアムさんなら安心だねぇ」
「そっか、販売はリアムさんなのか。それなら心配ないですね」
リアムへの信頼は厚いらしく、何の問題もないと思っている3人だがバートからすれば、屋台で薬草入りのものを販売するというその気軽さが心配なのだ。
今ではバゲットサンドの販売も数が増え、多くの者が買えるようにはなったが、数はその日に数十個だ。だが飲み物であれば、それ以上の数が人々に行き渡るであろう。
そのことを恵真にそっと忠告すると、恵真は驚いたような表情になる。
「それは気付いていませんでした」
「そうっすよね。やっぱりそうっすよねぇ、いやぁ、よかったっす! 気付いてくれて」
やっと事態の大きさに気付いたのだと安心するバートだが、恵真の口からは予想外の言葉が飛び出す。
「多くの人に行き渡るなら、より一層頑張らなければなりませんね!」
「へ?」
バートを見た恵真はその黒い瞳を輝かせ、嬉しそうな顔で微笑む。その微笑みにつられて、ついつい笑みを返すバートだが内心では大きなため息を吐く。
普段、温厚な恵真だが料理への熱量や勢いは誰にも止められないのだ。
ここはもうリアムに任せて、今日はその普通とは異なる紅茶を楽しもうと決め込むバートであった。
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