68話 揺らがぬ思いと秋の風


 裏庭に出た恵真は秋の気配を感じる。

 あれほど暑かった日差しも穏やかで心地良いものに変わり、スカートをなびかせる風も湿度がなくひんやりとしてきた。

 育てていた野菜ももう収穫が終わり、その片づけをしている恵真の横でクロがバッタを追いかけ、ぴょんぴょんと駆けている。

 その様子をしゃがみ込みながら見つめていた恵真は、高くなった空を見上げるとため息を溢す。


 祖母が帰ってくるまであと数日。

 現状をどう報告するのかが恵真の目下の悩みであった。



*****


 

 開店直後の喫茶エニシはバゲットサンドを買い求める人で店頭も賑やかである。

 そんな声を聞きながら、恵真は今朝摘んだバジルの汚れを拭き取っていく。いつもより大量に収穫したのにはある考えがあるからだ。

 

「エマさん!全部完売したよ!買ってくれた人がね、お昼が楽しみだって言ってた!」

「エマさん…?えっと、どうかしましたか?」

 

 バジルの汚れを取りながら、集中というよりはぼんやりと心ここにあらずといった様子の恵真にアッシャーが問いかける。

 

 「え!あぁ、2人ともお疲れ様!ありがとうー!」

 「……」

 「……」

 

 ハッとした恵真が2人を労うが、アッシャーもテオも恵真の様子が腑に落ちないようでじっと恵真を見つめる。そんなまっすぐな2人の瞳の力に思わず恵真の視線が泳ぐ。

 

 「…エマさん、変!」

 「うっ!」

 「テオ!……えっと、でも僕もエマさんいつもと様子が違うなって思ってます。何か困った事でもあったんですか?もちろん、言えないのかもしれないけど……心配で」

 

 普段一緒にいるときの恵真との違いに気付いたのだろう。アッシャーがこちらを気にかけながら尋ねてくる。


 「心配かけてごめんね。ありがとう、アッシャー君」

 「エマさん!ぼくもだよ!」

 「ふふ、そうだね。テオ君もありがとう」

 

 嬉しそうなテオを困った顔をしたアッシャーが見つめている。アッシャーは再び恵真を見る。安心させようと笑って頷く恵真だが、彼は納得してはいない様子だ。

 思っていた以上に恵真の心境は顔に出ていたらしい。2人を心配させてしまった事を反省しつつ、温かなほうじ茶を2人分用意する。

 バゲットサンドが売れた後はしばらく店に客が訪ねてくることが少ないのだ。温かなほうじ茶と小さな菓子を用意し、恵真はバジルの準備に取り掛かる。


 夕方にはリアムとバートが訪れる。そのときに4人に今の状況をある程度、説明するつもりだ。もちろん、異世界から来たことは伏せたまま。

 キッチンに立つ恵真から見えるアッシャーとテオはマグカップからほうじ茶をこくこくと飲んでいる。心配してくれる彼らに真実を告げられないことに、恵真の心がちくりと痛むのであった。




 「トーノ様!お疲れ様っす!」


 夕暮れ前に喫茶エニシにリアムとバートが訪れる。明るく笑うバートに恵真は上手く笑顔を返せない。いつもとは異なる恵真の様子に、リアムとバートも気付いたようで表情が引き締まる。

恵真は先に席に座っているアッシャーとテオに片手を向けて、2人にも着席を促す。

 アッシャーとテオはどこかそわそわした様子でこくりとカップのお茶を飲む。リアムとバートは2人の様子や恵真の表情から、何か相談事や問題でも起きたのだと察する。


 「あー、じゃあオレ達も座って待ってるっすね!」

 「あぁ、そうだな」

 「すみません!今、お茶を用意しますね!」


 いつもとは違う香りが部屋には満ちる。茶葉の香りであろうか。どこか安心するような安らげる香りの中で、席に着いたリアムは前にいるアッシャーに微笑む。それを見たアッシャーはこくりと頷いた。

2人が訪れた事で安心もしたのだろう。アッシャーは恵真が切ったりんごに手を伸ばし、テオに渡す。それを受け取ったテオは口に運ぶとアッシャーを見て、にこりと笑う。アッシャーもりんごを手に取ると自分の口にと運び、テオに微笑む。


 瑞々しいりんごを食む、しゃくしゃくという音が微笑み合う2人の口から聞こえてくる。どうやらいつも通りの落ち着きを取り戻した2人から、リアムは恵真へと視線を移す。彼女は緊張した面持ちで茶が入っているであろうカップを持ってこちらへと向かってくる。

 セドリックからの報告に店外やアッシャー達の近辺での問題事は上がっていない。であれば、恵真本人が何かしらの問題か悩みを抱えているのだろう。そしておそらく、彼女自身がそれを口にしてくれるだろうとリアムは恵真を見つめる。


 少し緊張した様子の恵真に、リアムは恵真が喫茶エニシを開きたいと言い出した日の事を思い出す。あのときは目を輝かせ、生き生きとした様子であったが今日はどこか困ったような内緒ごとを打ち明けるような雰囲気がある。

 あれから季節が廻り、今はこの喫茶エニシがあり、恵真がマルティアの街にいることが日常となっている。あらためて、人の縁は不思議なものだとリアムは感じる。

 そして、それこそがこの店の名前にもなっているのだから。


 席に着いた恵真を自然に4人が見つめる。

 その視線を受け止めた恵真が自身の掌を胸元に置く。そして、息を軽く吐くと前を見つめる。その先には裏庭のドアがあった。

 恵真はゆっくりと自身の事情を話し出したのだった。




*****



 「へぇ、帰ってくるんすね。ご家族が」

 「ハイ……」

 「そして、ご家族はトーノ様が喫茶エニシを経営されている事をご存知ではないと」

 「ハイ……」

 「…エマさん、怒られちゃうの?」

 「う!ハイ、多分」

 

 少し呆れたような拍子抜けしたような、何とも言えない微妙な空気が部屋を包む。恵真の様子からしてもっと重要な案件、それこそ喫茶エニシが経営していくことが困難になる事態や恵真自身の身に何か起きたかを気にかけていたのだ。

 だが彼らは知らぬが、恵真からするとそういった事態に面している。

 

 第1の問題として恵真は祖母に営業に関することを報告していない。これはリアム達に話した通りである。だが、これは次の第2の問題が大きく関わっている。そして、リアム達にも第2の問題は相談できないのだ。

 第2の問題、それは恵真が店を開いたのが異世界に繋がるドアがある場所であることだ。そう、これを知るのは現在、恵真ただ1人なのである。

 

 そのため、4人は恵真が祖母に叱られるであろうとしか想像していないようで、笑いながら考えすぎている恵真を労う。


 「そうですね、やはり正直に話す事が1番の解決策ではないでしょうか。もし、それでもご納得されなければ私も口添えを致しましょう。どこまでお力になれるかはわかりませんが、トーノ様がこの街に必要であることは伝えられます」


 笑いながら穏やかにリアムが言えば、アッシャーも頷きながらその言葉に同意する。ぎゅっとこぶしを握って力強くアッシャーが恵真に言う。


 「僕たちもエマさんにお世話になっている事をエマさんのおばあさんに伝えます!本当に、俺たちそう思ってるから」

 「うん、僕もエマさんが頑張ってることを言うよ。そしたらきっとほめて貰えるんじゃないかな」


 恵真を励ますようにアッシャーとテオが言うと、バートもニッと笑い、白い歯を見せながら恵真を覗き込みながら瞳を合わせる。


 「商売も上手くいってるし問題ないはずっす!この街ではもう喫茶エニシもトーノ様も必要な存在なんじゃないっすかね」


 それぞれの言葉が1人不安を抱えていた恵真の心に沁みていく。

 そう、いずれにせよ祖母にはこの事態を打ち明けなければならないのだ。そして、そのうえで今後の恵真がどうしていきたいのかも。


 恵真は立ち上がると座っているアッシャーとテオの中間に移動し、左右それぞれの手で2人の頭を撫でる。不思議そうな表情を浮かべたが直ぐに嬉しそうに笑うテオ、なぜかわからず照れるがそのまま動かないアッシャー。


 「どうしたの?エマさん?」

 「んー、2人の存在を確かめたくって」

 「?」


 不思議そうな顔をしたのは兄弟だけではない。リアムとバートもその言葉の意味は分からなかったであろう。

 だが、恵真は確かめたかったのだ。

 今、ここにいるアッシャーとテオ、リアムとバート、この数か月共に過ごした4人が確かに存在することを。そしてこれからも彼らと共に過ごしていたいという自分の心を確かめたかったのだ。

 

 「ふふふ。エマさん、変なの」

 「テオ、そんな風に言わない!」

 「だって、会えなくなるみたいだもん」


 その言葉に穏やかであった空気が先程のように緊張感に包まれる。

 恵真の真意を確かめるように3人の目が彼女へと集まった。発言したテオはきょとんとした表情で、周囲の様子を不思議そうに見る。

 

 恵真は少し困ったような笑みを浮かべて、それぞれと視線を合わせる。

 裏庭のドアをきっかけに出会った人々、訪れた穏やかな時間は恵真にとってはもうかけがえのないものだ。

 それでも、いやだからこそ、別れも想定してこれからの恵真は動かねばならない。

 恵真の黒い瞳は穏やかなそして揺るがない決心を湛え、輝く。


 裏庭のドアから始まった日々はほんの少し恵真を成長させていた。

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