65話 喫茶エニシの夏休み 3
「あれ?クランペットサンドはもう販売してないんすか?」
「バートさん!」
店内に入ろうとするリリアに声をかけたバートは辺りを見回す。クランペットサンドを店前で販売すると聞いていたが、その様子が見られない。そんなバートにリリアは笑顔で答える。
「もう売り切れたんです!とっても評判が良くて、皆さん『豆が入っているなんて思えない!』そう言って買っていって下さるんですよ」
「へぇそりゃ、よかったっすねぇ」
「えぇ!バートさんはどうしてこちらに?」
「あぁ、それなんすけど、今週の週末、空いてるっすかね?」
その一言でそれまで笑顔だったリリアの表情が一変し、眉間にくっきりとした皺が出来る。リリアの困惑した表情に慌ててバートは理由を口にする。
「トーノ様からのお誘いっす!」
「え!エマ様から?私にですか!やだ!初めからそうおっしゃってください!」
「…そうっすね、今、身に染みてそう思ってるところっす」
途端に相好を崩し嬉々として話し出すリリアに、困った笑顔を浮かべたバートは心からそう思う。
「夏休み」に関する催しを恵真が開くらしく、その日程の調整でバートはリリアの元へ訪れた。今週末を予定しているのでその日で問題がないかの確認である。
リリアは笑顔で快諾してくれたが、少し困ったようにバートをチラチラと見つめる。何か問題があったかと首を傾げるバートに、遠慮をしつつリリアが尋ねる。
「あ、あの…ナ、ナタリアは?」
「へ?あぁ!あの人にはトーノ様が直接聞いてみるってことらしいっす。まぁ、あの人は喫茶エニシの身内に近いっすからね!」
バートの言葉に目を丸くしたリリアは安堵したように微笑む。
「今の言葉、ナタリアにも聞かせてあげたいわ」
「え?」
「いいえ、なんでもないです」
直接的な物言いと毅然とした態度で誤解を招くことが多いナタリアが、その性格のまま受け入れられていることにリリアは安心する。これからも喫茶エニシでは、ナタリアはナタリアのままで過ごせるのだろう。
とすれば、次なる問題の解決を目指さなければならない。再び、リリアは困ったような表情に変わる。
「今度はどうしたんすか?」
「いえ…バートさんにご相談する事では…」
「うーん、でも相談することかどうか話してから考えてもいいんじゃないっすかね」
目の前で悩む知人を放っておけるほどバートは薄情な人間ではない。まして、バートは兵士である。兵士にも冒険者にもそれなりに矜持があるものなのだ。
バートの目を見たリリアは決意したように口を開く。
「あの…当日、何を着ていけばいいと思います?どんな髪型でお化粧はどうしたら?あ!手土産の問題もありますよね!……バートさん?聞いてます?」
「えっと…そんなことはトーノ様は気にしないっすよ?」
「…気にしない…そうですよね。気にしませんよね…そんなこと…」
「違うっす!そういう意味じゃないっす!どんなリリアさんでもトーノ様は喜んでくださるっす!」
「そうですよね!そういう広い御心をお持ちなんですよね、エマ様って!」
「っす…」
夏空の下、日々の訓練でも感じない疲労感を今、バートは感じている。招待状は恵真に頼み、ナタリアからリリアへ渡す方法を取って貰おうと思い、未だ恵真への思いを話すリリアを見つめるのだった。
_____
何かを始めるにはまず準備は必要だ。夏休みから夏祭り、つまりは縁日をイメージした食事会にしようと恵真は思い、スーパーなどで買い出しをしている。
製菓売り場では色鮮やかなチョコスプレーやザラメを手に取ってカゴにいれる。水あめも必要だし、そうなると新品の筆なんかも必要になるだろう。家にある冷凍した果実や季節のジャムやシロップなども使う予定だが、他にも買わなければならないものがたくさんあるのだ。
縁日や夏祭り、学園祭のために専門の商品を扱う店も街に行けばあるのだが、長時間クロに留守番させるのは気になる。喫茶エニシの買い物や下準備もあるため、なるべく地元で済ませたいのだ。
誰かの心配をして帰る家、制限こそあるものの何やら恵真には嬉しく感じる。大きな荷物を両手に持った恵真は可愛い黒猫の待つ家へと歩みを進めるのだった。
「ただいま、クロ」
「みゃおぅん」
恵真の帰宅にクロはご機嫌なようでぐんと伸びをした後、恵真の足元にくっついている。その背中を撫でながら、恵真はこれからの予定を頭で計算する。
明日は喫茶エニシの営業があるため、ワンプレートのメインの下準備をする。そのあとに手書きの招待状を書いておく。調理は当日でいいものばかりだが、祖母の家にしまってあるだろう幾つかの物を探しておかなければならない。
そんな恵真の態度にもっと丁寧に撫でろとばかりにクロがごろんと横になる。恵真は笑って、ふんわりとしたそのお腹を優しく撫でるのだった。
「流石!おばあちゃん!物持ちがいい!そして、保存状態もいい!」
「みゃお」
キッチンの棚の奥にもうひとつの物は見つかった。あちらは必ずあるだろうと予測していたものであった。夏になると必ずあれを出して、作って貰ったものである。だが、こちらは使用する機会がなくなれば処分されていてもおかしくはない物だった。
アッシャー達のポロシャツもそうだが、祖母は丁寧に保存してくれている。こんな機会がなければ探さず、何気ないこの愛情に気付かずにいただろう。大切に丁重に保存されているのは祖母にとって、恵真達と過ごしたその時間が思い出となって残っているからなのではないか。
豪胆で思い切った行動が目立つ祖母の細やかな愛情を今、恵真はそれを通して感じていた。
「あ、こっちがおばあちゃんのかな」
「みゃう」
恵真の記憶にもかすかにあるそれは祖母の物であろう。こちらもやはり保存状態が良く、また祖母のセンスを感じさせる質の良い品である。
これもまた夏休みを模した食事会には合うだろう。久しく恵真には縁がなかったものだからこそ、今年の夏に相応しい気がしてくる。
「よし!ちょっと頑張ってみよう!夏なんだもんね」
「みゃう!」
よくわからない宣言なのだが、クロの同意を受けた恵真は満足そうに頷くのだった。
明日の仕込みを終えた恵真は片付けをして、テーブルに向かっている。そう、夏休みの縁日をテーマにした食事会への招待状を書いているのだ。
招待状と言っても手書きの簡易なものだが、そのぶん丁寧に書きたいと恵真は思う。淡い花柄のA5の紙を半分にしたものに、日付やドレスコードなどを書いていく。今回は皆に確認し、参加を前提に招待状を書いている。そのため、返信が不要である。
ドレスコードを決めたのは普段通りの服で来てもらうためだ。いつも通りの温かい雰囲気の中で食事会を開きたい。気張って緊張した空間では食事を楽しむどころではないだろう。
名前を書き、必要な事を書き綴った恵真だが、1枚書いて何やら物足りなさを感じる。恵真が伝えたいことがこれでは上手く伝わらない気がするのだ。招待状の宛名はアッシャーである。恵真はアッシャーの姿を思い起こす。
ハリのあるこげ茶色の髪に同じ瞳、活発そうな少年だが弟思いで責任感が強い。バゲットサンドを販売することを提案したのは彼だ。店の前で販売したのもアッシャーのおかげである。
そう思い浮かべるとスラスラとペンが動く。恵真が綴ったのは招待状というよりは日頃の感謝を綴った手紙だ。だが、それもまたいいだろうと次のテオへの招待状を手に取る。
その日、遅くまで招待状のような感謝状を全員分、恵真は書き綴ったのである。
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「見て!お母さん!エマさんからの招待状だよ、3枚あるんだ!」
「週末の招待状だって。でも、体調には無理のない範囲で参加して欲しいって」
帰宅したアッシャーとテオは開口一番、恵真からの招待状のことを口にする。
ハンナも招待状を勤め先で目にすることはあったが、自身に送られるのは初めてのことだ。2人の息子は自分宛に手紙を貰ったのも初めてで、目を輝かせながら封筒を見ている。
「お母さん、招待状っていいね。エマさん、ぼくのこといっぱい褒めてくれてる!」
駆け寄ってきたテオの柔らかな髪を撫でて、ハンナは微笑みながら
「…こんなに素敵な招待状はなかなか頂けないわ」
「そうなの?」
「えぇ」
ハンナも自身の招待状の内容を確認した。
その内容は招待状というよりも、手紙という形式でハンナの体調を気遣いつつ、子ども達の働きぶりや当日はどうか普段通りの服装で来てほしいということが綴られていた。
「ふぅん…ねぇ、お兄ちゃんはなんて書いてあった?」
「…秘密。手紙の内容っていうのはそんなに簡単に教えちゃダメだ。これはエマさんが俺に書いてくれたものなんだからな」
「そっか、じゃあぼくも秘密にする!」
「まぁ、俺もたくさん褒めて貰ってるけどな!」
「ふぅん、ぼくもたーくさんだよ!」
きっとどちらの手紙にも日頃の2人を労う言葉が綴られているのだろう。少し誇らし気な表情から読まずともそれが伝わってくる。
懸命に日々を過ごしてきた。子ども達のために努力するのも働くのも当然の事だと思ってきた。それは今もハンナの中で変わらない事実だ。
だが、誰かにそれを認めて貰える、労って貰える事、何より子ども達の成長を喜んでくれる人が自分以外にいる安心感を、恵真やリアム達を通して感じた。
手の中にある1通の招待状になぜかまだ人の温もりがある気がして、ハンナはいつまでもその文を封にしまうことが出来ずにいた。
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「おやまぁ、あたしにもかい?」
「えぇ、マダムはご多忙ですし参加は難しいでしょうから、せめて手紙をと」
渡された封を開けたアメリアは笑みを浮かべる。その内容は忙しいかとは思うが、料理の話をアメリアとしたい。アメリアにこの国の料理や食材を教えて欲しい。そんなことが綴られていた。
「なんて可愛い商売敵だろうねぇ。こっちには借りがあるっていうのにさ。くれぐれもよろしく伝えておいておくれよ、坊ちゃん」
「えぇ」
今夜もホロッホ亭は賑やかである。その女将で多忙なアメリアが店を空けるのは難しいだろう。だが、招待状を出さないのも失礼に当たると恵真が書いた手紙。それを汚れないようにそっとアメリアは引き出しの中に閉まったのだった。
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明るい夜空を見上げるその瞳は、海のような緑の色である。
寝間着姿のオリヴィエは1人、真っ暗な部屋の中で窓際に立つ。ベッドの小さなサイドテーブルには白い封に入った淡い花柄の招待状がある。
シンプルな招待状、それは通常の招待状とは少し違った。少なくとも今までオリヴィエが貰って来た形式的なものとは全く異なる。恵真の丁寧な文字、アッシャーの元気な文字、そしてテオの少し間違えた文字でオリヴィエの来訪を願う言葉が綴られている。
そう、これはオリヴィエという少年に出された招待状なのだ。王宮魔導師もハーフエルフも、そしてこの瞳も関係ない。ただ、子どもであるアッシャーとテオ同様に、恵真の国の「夏休み」を少し体験してみないか。そんな内容であり、アッシャーとテオはどうやらオリヴィエが来るものと楽しみにしているようだ。
「…行かない訳にいかないじゃないか」
他に誰もいない部屋でオリヴィエは1人、招待に応じる言い訳をぽつりと溢す。微笑んだオリヴィエを夏の夜空の明るさが照らしていた。
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