49話 ホットケーキとクランペット 4


 「それで、こちらを使うんですよね?」

 「はい、ありがとうございます」


 恵真がリリアに頼んだのは酵母と日頃使っているパン用の粉である。本来はイースト菌と強力粉など使うのだが、恵真はここで手に入る材料にこだわった。

 リリアが持ってきた酵母を興味津々といった様子でテオが見ている。


 「クランペットとはどんな料理なんだ?」

 「先程作ったホットケーキは卵や砂糖を使うんですけど、これは使わないんです。酵母、粉、ミルクが主な材料なんです。それだと作りやすいかなって」


 ボウルに元種となる酵母に、人肌に温めたミルクをゆっくりと注ぎながら混ぜる。そこに粉と塩を入れ、さらに混ぜる。


 「…で、この次は?」

 「寝かせます」

 「寝かせる?何をだ?」


 ナタリアはピンと来ない様子だが、リリアはパアッと表情を明るくする。


 「わかりました!生地を膨らませるためにしばらく時間を置くのですね!うちでもパンの発酵には時間を少し置いています」

 「そうです、そうです!時間を置くことで膨らむ力が増すので、これはしばらく寝かせておきます」

 「…そうか、寝かせるというのは比喩なのか」

 「どのくらい寝かせておくんですか?」


 リリアの言葉に恵真は少し考える。イースト菌ではなく、おそらく自家製の酵母であろう。発酵には時間をかけた方が良いはずだ。粉はライ麦に似ているため素朴な風味になり、少し酸味もあるかもしれない。


 「とりあえず一晩置いてみましょう」

 「そんなに長くか!」

 「えぇ、明日は時間がありますか?明日、ここで焼いて試食しませんか?ナタリアさんがバケットサンドをギルドに届けた後ではいかがでしょう」


 今回は通常のレシピとは違い変更点も多いため、実験的なものだ。焼いて味を確かめて、また発酵時間を見直してもいいだろう。ナタリアの面倒そうな態度と裏腹にリリアはなぜか喜んでいる。


 「いいんですか?明日も来ても!」

 「えぇ、一緒に焼いて食べてみましょう」

 「はい!ぜひ」


 こうして、約束に嬉しそうなリリアとあまり気乗りしていないナタリアは明日、再び訪れる事になったのだ。




_____



 「膨らんでます…ぷつぷつと穴があいてきてます!」

 「ほっとけーきと似てるね」

 「そうね、でも卵も入ってないしお砂糖も入ってないから甘くはないの」

 「…面白いな。この魔道具も興味深い」


  昨日、寝かせた生地を焼いているのを皆、興味深げに見つめている。恵真は今回、フライパンではなくホットプレートを用意した。ボウルに入れた生地をお玉ですくい落とし焼いていく。


 ホットケーキよりも大きな穴が生地に開く。これがクランペットの特徴でもある。イギリスなどで馴染みあるクランペットはスーパーなどでも販売され、ジャムやハチミツ、バターなどを塗って食べる料理だ。恵真も以前より関心があったのだが、手軽なホットケーキを作ることが多かったのだ。


 恵真は手際良くクランペットを焼き上げ、皿へと移していく。皿にはどんどん焼き上がったクランペットが上がっていくのを見たアッシャーが恵真に尋ねる。


 「これもホットケーキみたいにハチミツをかけて食べるんですか?」

 「うーん…それもいいと思うんだけど…」


 そう言った恵真はリリアをちらりと見る。恵真が店で出すのなら、ジャムやハチミツ、バターを塗り甘くして出すだろう。だが、それではここの国の人々には手が出しにくく、調理もしにくいものとなる。そもそも恵真が作るならホットケーキのほうが手軽である。だが、甘いホットケーキとは違うアレンジがクランペットなら出来るのだ。


 そのため、恵真が昨日閉店後に作っていたものがある。それを冷蔵庫から取り出してくると、しげしげとリリアとナタリアが見つめる。アッシャーとテオはぱぁっと表情を明るくした。それは彼らが以前、口にしたことのある料理だ。


 「ちりこんかん!だよね」


 テオの言葉に恵真は笑顔で頷く。恵真が持ってきたのはチリコンカンと刻んだキャベツだ。


 「そう、そのときより水分を飛ばして豆は少し砕いているの。お肉や香草は入れてないけど、しっかりした味とキャベツの甘みで食べやすくなるんじゃないかな」


 ライ麦に近い粉から作る生地の独特の風味に負けず、それを引き立てる具材にしたいため考えた組み合わせだ。豆やキャベツといった値段の点でも入手しやすい食材を選び、もし販売することになっても続けられる形を考えたのだ。


 恵真はクランペットにキャベツ、大豆のチリコンカンを乗せ、それをふわっと折りたたむ。これでクランペットサンドの出来上がりだ。温かいうちは勿論、冷めてからも食べられるだろう。


 恵真が作ったクランペットサンドを皆が食べている。心配そうにその様子を見ている恵真に向けられるのは笑顔だ。それを見た恵真もまた笑顔を返す。


 「美味しいです!うちの酵母を使ってるのにパンとは違う食感になるんですね…しっかりした大豆とトマトの風味とキャベツの瑞々しさが合いますね…」

 「挟まずに包むというのは面白いな」

 

 リリアとナタリアの言葉に恵真は安堵して、胸元を押さえて笑顔を返す。


 「良かったです…これなら、リリアさんのお店で販売できますか?」 

 「え…」

 「は…?」

 「え?…え?」


 リリアとナタリアの反応に恵真は困惑する。パン屋の娘であるリリアがバゲットサンドを気になり、ホットケーキも気になっている。つまりはそういった物をリリアの家でも作ってみたい、恵真はそう捉えていた。そのため、リリアの家の酵母やキャベツに豆など、こちらでも扱いやすい食材を選び、肉や香草、香辛料も使わなかったのだ。

 勘違いに頬を赤くする恵真にナタリアは用心深くその真意を尋ねる。 


 「…それはあなたがリリアの家で販売するという事か?あるいは権利を販売したいという事だろうか?」

 「え!いえいえ!私はもう、バゲットサンドで手一杯です!これはただの勘違いで…そのてっきりホットケーキの作り方を知りたいのかと思って!…でも卵や砂糖がないとホットケーキは作れないので、似たようなものでリリアさんのお店でも作れる料理を考えて…すみません!頼まれてもいないのに!」


 恵真にしてみれば、ナタリアに詳細に尋ねられると顔が熱くなる。頼まれてもいないのに勝手に店のメニューを考えているのは厚かましく感じられたのだ。ナタリアはそんな恵真に驚き、リリアの方を振り返る。リリアはその瞳に真剣な思いを宿していた。


 「本当にこちらを我が家でも販売してもいいのですか」

 「はい!もちろん、そうしてくれたら嬉しいです…すみません、勝手に」

 「いえ!あの、言いづらいのですが、うちでも外で販売させてもらっても良いでしょうか…」


 作り方を丸々教えて貰い、その販売方法も真似るのはリリアも心苦しい。だが携帯できる食品を販売する際に、店に入らず気軽に買えるのは興味を持ってもらいやすいだろう。実際、バゲットサンドをきっかけに屋台以外で店舗を持つ飲食店の中には店前での販売を行っている者もいる。恵真に許可を貰おうというリリアは誠実でもある。


 「…あー、そうですね…」

 「す、すみません…ずうずうしいですよね」

 「そんなことはないぞ、リリア」


 憧れの人から拒まれるのではないかという思いと親や店のためという思いにリリアは揺れながら、懸命に尋ねた。そんなリリアの肩に手を置いたナタリアは片眉を上げて恵真を見る。


 「あの、外で販売するなら試食もして貰ったらいいかもしれません。豆って良いイメージを持たない方もいるので、食べて貰ったら良さがわかると思うんですけどね…」

 「え…」

 「あ、外で販売するっていうのはアッシャー君の考えなんです。えっと…アッシャー君、リリアさんのお店でも同じ販売方法でも大丈夫だよね」


 そう確認する恵真に、アッシャーが困ったように笑いながら頷く。恵真はハンナにもアッシャーの考えとして話し、今もまたアッシャーの発案として許可を取る。誇らしさとくすぐったいさにアッシャーは少し目を伏せがちになる。


 「…何か、お礼をしたいのですが何か望まれることはありますか?」

 「望むこと…ですか?」


 そう尋ねながらもリリアはそれがバランスを欠いたものだとも感じていた。リリアから見ても魔道具に囲まれて暮らす女性は質の良い服に身を包み、生活に困っているようには見えない。言われた恵真は少し悩んだようだが、リリアを見て遠慮しつつ返答する。


 「ええっと、ではナタリアさんもリリアさんもまた食事をしにいらしてください」

 「…他には、他には何かありませんか?お店にはもちろん来ます!私、前からずっと気になっていましたし、今日頂いた料理もどれも今までにない調理法で美味しかったです」

 「本当ですか!嬉しいです!ぜひ、またいらしてください」

 「…で、他には何を望む?」

 「…えぇ?」


 ナタリアは厳しい表情で困惑する恵真を見る。新たな料理を教えて貰い、販売方法も同じ方法を取るのだ、通常の飲食店はこれに金銭を求めるだろう。だが、恵真は店に来訪する以外求めないという。初めに金銭を求めず、後から要求するなど揉め事になるのも困る。今、自分もいる中ではっきりさせておきたいとナタリアは思う。

 そんなナタリアにしばらく考えた恵真は答える。


 「…じゃあ、ナタリアさんもリリアさんも私の事を「エマ」そう呼んで下さい」

 「え…!」

 「なんだ、そんなことでいいのか。エマ、これでいいか?」

 「はい、そんな感じです!…リリアさんもぜひ」


 だが、リリアは顔を赤くしたまま黙り込んでしまう。憧れの人に会い、手料理を食べ、新たな料理を教わり、最終的には名を呼んでいいと言われたのだ。だが、そんなリリアの心境を知らない周りは戸惑っている。特に恵真は馴れ馴れしかったかと少し反省する。


 「あ…もちろん、無理には…」

 「いえ!呼びます!呼びますとも!…え、エマ様。エマ様!素敵な料理をありがとうございます!うちで試して、おっしゃられたとおりの販売もしてみます!」 

 「え…あ、はい!大豆のチリコンカンも調理法も今、お教えしますね」


 リリアの呼び方に驚いたものの、なぜか赤い顔をしている事から余程の勇気を必要としたことがわかる。今後訂正すればいいだろうと、そこには触れずチリコンカンのレシピを教える恵真であった。




_____




「おい、冒険者ギルドへ持って行ったぞエマ」

「あぁ、お帰りなさいナタリアさん。暑かったでしょう、お茶いかがですか?」

「あぁ、貰おう」


 数日後の喫茶エニシには、すっかり打ち解けて会話をする恵真とナタリアがいた。それに戸惑ったのは様子を見に来ていたリアムである。ナタリアの恵真への振る舞いを見て、問題があるようであればセドリックに対応を促すつもりであったのだ。

 すっかり軟化したナタリアの態度に、これならば問題ないとリアムは安堵する。そこに明るい少女の声が響く。


 「エマ様!クランペットサンドですが、初めは遠巻きに見ているだけの人が試食をしたら買ってくれて…クランペットサンドはもう完売したんです!」

 「良かったですね!」

 「はい!これもエマ様のおかげです!」

 「そんな…一緒に料理出来て楽しかったですし」

 「…!ありがとうございます!」


 数日来なかった間に、ナタリアの態度は変わり、クランペットサンドという新たな物が生まれ、恵真は敬称付けで呼ばれている。忙しくとも小まめに喫茶エニシへと足を運ばねばとリアムは1人、ため息をつくのだった。




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