SS バートとハチミツ入り紅茶
「おや!バートじゃないか!」
屋台が並ぶ大通りを歩くバートに斜め前から声がかかる。少しハスキーなその声の主にバートは心当たりがあり、足を止めた。
「アメリアさん!久しぶりっすね」
それは角を曲がった場所にある「ホロッホ亭」の女将、アメリアである。朝にけたたましく鳴く魔物ホロッホのように、朝早くから開店し翌日の朝まで開けている、休み知らずの料理店。値段も手ごろなこの店は若い冒険者や兵士などがよく通う店だ。それはバートも例外ではなく、つい最近まで馴染みの店だったのだ。
「最近めっきり顔を出さないじゃないかい」
「はは、いや、まぁ…」
そう言ってバートは赤茶の髪を掻く。そう、最近バートはホロッホ亭から足が遠のいている。
冒険者であり、その腕も買われているリアムは多忙である。ランクとしては仕事を選べる立場にあるのだが、腕は勿論、礼儀作法や貴族への対応など他の者では行き届かない仕事が彼に回ってくる。適当に断ればいいとバートは思うのだが、責任感の強さかリアムはそんな仕事を受ける事がある。
そのため、喫茶エニシの開店準備にバートは小まめに顔を出す。だが理由はそれだけではない。
「ははん?これはあれかい?彼女だね」
「は?」
「隠すことないじゃないか、水臭いね。彼女が料理を作ってくれてるんだろ?飲み屋のエレナちゃんかい?薬屋のルーナちゃんかい?どっちにしろいい子だよ。アンタにはもったいないくらいだ」
「アメリアさん、違うっすよ!」
「じゃあなんだい、他の子にも粉掛けてたのかい?」
「そんなことしてないっすよ~...」
実のところ、その二人にもバートはちょっかいを出してはいない。ただ酒の席であの子が可愛いだのこの子もいいだのと、仲間と騒いでいただけである。それがアメリアにはしっかり覚えられていたとは。
「ま、なんにせよ良かったよ。このアメリアさんの料理より可愛いその子が腕を振るってくれたほうがいいじゃないかい!胃袋掴まれちゃったんだね、アンタ」
「ま、まぁ…」
まさかこれから新しく出来る強力なライバル店を手伝ってるとは言えずにバートは口ごもる。何より アメリアの言っていることは当たらずとも遠からずといったところだ。バートがホロッホ亭に通わなくなった大きな理由、それは恵真にある。
今日もバートは恵真の元で彼女が入れた紅茶を飲んでいる。温かい紅茶にハチミツを入れる、これが最近のお気に入りだ。ここで紅茶を飲む事がバートの定番になりつつある。静かに紅茶の風味を楽しむバートに興奮気味の恵真が声を掛けてくる。
「ほら!見てください!バートさん!二人ともすっごく可愛いですよね!」
「…うん、まぁそうっすねぇ」
素っ気ないバートの態度に恵真がムッとした顔をして抗議する。
「見てないですよね!」
「見てるっすよ」
「全然気持ちが伝わりません!こんなに似合ってるのに…」
バートは見ていないわけではない。だが、恵真とは見ている所やそこから感じとるものが違うのだ。
今、恵真とバートの前には、仕事着に身を包むアッシャーとテオがいる。白いシャツに身を包んだ2人は襟元にスカーフを巻き、そして腰には黒いエプロンが巻かれている。そう、そのエプロンは恵真お手製のだ。
貴族女性など刺繍を嗜みとしてすることもあるのだが、従業員となる子どものために嬉々としてエプロンを作る恵真は風変わりだとバートは思う。ミシンという魔道具を使ったらしいが、その縫製は細かく精巧だ。バートからしたら、可愛いとか似合うとかそういう話ではないのだ。だが恵真のそんな変わった性格や考えも慣れてきているバートがいる。
そもそもリアムがバートが嫌う典型的な貴族から離れている事がある。恵真も(無論とても奇妙で風変わりではあるが)その人間性が善人であるため、比較的受け入れやすいものであった。
バートが貴族を嫌うのにはその家庭環境にある。
子爵家の三男として生を受けたバートであるが、母は正妻ではなく側妻であった。バートが生まれる前に、妾の女性との間に男児が生まれた。正妻には女児が二人であったため、当主である子爵も子にもその母にも目を掛けた。そこで妾の女性が増長し欲をかき、家が荒れた。
その後、正妻に男児が生まれたこともあり正妻の怒りを買った女性とその子は家を追われた。その後、生まれたのがバートである。そのため、バートと母はそんな事が起きぬように格差をつけられ育ってきたのだ。
母は美しい人だったとバートは思う。商家の娘でその美しさと実家からの持参金や支援も望んだ結果、妾ではなく側妻となった。低位貴族でありながら側妻を持ったのは子爵家の懐事情がある。だが、それは名前だけのものでありバートや母の扱いは決して良いものではなかった。
正妻もその子どもたちも、商家の生まれである母やその血を引くバートを格下の者として扱った。商家である実家から多額の援助を受けなければ、存続が危ういのにと幼いバートは思ったものだ。だが、母は控えめに慎ましやかな生活を送っていた。
そんな母が時折、紅茶を入れてくれた。実家から贈られてきた紅茶にハチミツを入れて飲む。それが幼きバートの楽しみであった。2人だけで過ごす特別な時間、そのときに言われた忘れられない言葉がある。
ハチミツ入りの紅茶を飲むバートの髪を見ながら、度々母が言っていていたのだ。「同じ色だわ」と。そう言って母は優しく、バートの髪を撫でた。
バートの髪は子爵と同じ赤茶である。バートの髪の色を見ながら、嬉しそうに笑った母の記憶。それは幼いバートの心に波風を立てた。母がなくなった今でもそれは時折、小さな棘のようにバートの心をチクチクと刺す。母は父を愛していたのだろうか。その答えを聞くことが出来ぬまま、今に至る。
バートにとって甘いハチミツ入りの紅茶は母との優しく温かい記憶であり、小さな痛みでもあった。
恵真とアッシャー達のたわいもない会話を聞きながら、ぼんやりとそんな事を思い起こすバートは再び紅茶に口を付けた。
その日は仕事が早く終わり、予定にはなかったのだがバートは恵真の元へと向かった。おそらくアッシャー達もいるだろう。以前なら、こんな日はホロッホ亭に直行していたのだが。いつの間にか、恵真達の元へ向かうのがバートの中で自然な事となっている。アメリアの言う通りならこれが胃袋を掴まれるというものだろうか。
「トーノ様、お邪魔するっすよー!」
「あ、バートさんいらっしゃい」
「あ、バートだ!」
予想通り、アッシャーとテオがいる。ドアをノックしたバートは恵真が出る前に部屋の中に滑り込む。無遠慮な行為だが外から恵真が見えないようにするバートなりの配慮でもある。
「今日は暑いのでアイスティーを用意したんです。バートさんもいかがですか?」
「いいっすね!夕暮れですけど、日差しが強いっすもんね」
「もちろん、ハチミツは入れますよね」
細いグラスに氷を入れ、アイスティーを注いでくれる恵真はハチミツも用意してくれた。ハチミツを注ぎ、カラカラと混ぜるバートを見た恵真はふと、にこりと笑いこう言った。
「バートさん、同じ色ですね」
ひゅっとバートは息を飲みこむ。心臓が急に早鐘のように鳴り出し、息がうまく吸えない。なぜ恵真がその事を知っているのか、父を知っているのだろうか、だとしてもなぜ、頭の中で一気に疑問と不安がグルグルと回る。母と同じ言葉を似た状況で言われたバートは動揺し、ただただ固まっている。
そんなバートを見つめ、恵真が笑顔のまま言葉を続ける。
「バートさんの髪の毛の色、今は紅茶と同じ色です」
「…っ、こうちゃ…」
そう言われたバートはアイスティーの色を見る。赤みのある色、これが赤茶の自分の髪と同じ色だというのか。
「夕暮れの陽が髪に当たると赤みが増して紅茶色に見えますよ」
「本当だ、赤茶がオレンジっぽくなるんだな」
「紅茶が好きだからぴったりだね」
そう言って恵真達はバートの髪を見つめている。その様子は自然なものであり、それ以上の意味はないのだろう。そもそも、バートの家庭環境を恵真が知るわけはないのだ、そんな恵真達の言葉でバートは思い出す。
母と紅茶を飲むのはいつも夕暮れ時、場所は西日の強い部屋であった。そして、母は二人で紅茶を飲む時間以外には「同じ色だ」そう言って笑う事はなかった。それ以外の時に言われたことはない。
母も恵真と同じ事を言っていたのだろうかとバートは思う。
嬉しそうな母の笑顔、そして頭を撫でる母の優しい手、共にハチミツ入りの紅茶を飲んだ穏やかな時間をバートは思い出す。母が何を同じだと思ったのか、今では確かめようもない。だがその時間、母の愛情はバートに注がれていたことに変わりはないのだ。そしてバートにとってもかけがえのない時間であった。今、改めてそんな事にバートは気付く。
恵真は兄弟達にも紅茶を入れたようで、3人は何かを話している。その様子は穏やかで楽し気で、なぜここに足が向いてしまうのか、その理由がそこにはあった。
バートは肩を竦めて、冷たいハチミツ入りの紅茶で喉を潤す。それはバートが抱えてきた心の小さな棘をさらりと流し溶かす、そんなアイスティーだった。
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