11話 緑の瞳の魔獣
部屋に足を踏み入れ、リアムは何気なく室内を観察する。貴族の邸宅としては決して広くはない室内。落ち着いた温もりを感じる調度品は華美ではないが品質の良さが一目でわかるものだ。リビングと広いキッチンらしき場所が一体となった珍しい形の部屋であるが、異国の様式なのであろうとリアムは思う。
大きなメインテーブルの上には窓と同様に白く繊細なレースが掛けられている。レースの上にはガラスの小瓶に入った楚々とした野草が飾られていた。一見すると、この家の内装にはアンバランスにも思えるが家主の可憐な清楚さに不思議と調和している。
「うわ、凄いっすね。『一般』の人の家なのに家具も立派っすね!まるで魔道具師かお貴族様っすね」
「あ、ありがとうございます」
「ねぇ、バートは帰ってもいいんだよ?」
「バートさん、じろじろ見るのは失礼なんだよ」
さりげなく観察していたリアムとは反対に、不躾にキョロキョロとバートは辺りを見回している。そんなバートにアッシャーは釘を刺し、テオは素直な意見を発する。だがおそらくはバートは敢えてこういった態度を取っているのだろうとリアムは考える。こうした青年を演じることで、聞きづらい事も尋ねやすくなるからだ。
ソファーにはアッシャー達に聞いていた通り、黒い小さな獣がいる。冒険者であるリアムも知らない黒い獣は赤い首輪をして、ソファーでゆったりと微睡んでいた。その艶やかな黒い毛並みと首輪の赤の対比が美しい。だが目を瞑っているために瞳の色はわからない。
「どうぞ、こちらに座ってください。飲み物は何がいいですか?コーヒー、お茶、うーんアッシャー君にはギュウニュウ…えっとミルクとかジュースがいいかな?」
「…ご自身で入れてくださるんですか?」
「はい、私が入れますよ?」
リアムの問い掛けに黒髪の女性はそう言うと不思議そうに小首をかしげる。
やはり女性は一人で暮らしているようで、侍女やメイドがいるようには見られない。異国は女性の自立が進んでいるのだろうか。だとしても女性一人で住むのは不用心ではあるが、そこは魔道具や魔獣で対応できるのであろう。
ふと、リアムは自身の斜め後ろから強い視線を感じた。振り返りながらリアムは自らの慢心を後悔した。不用心だったのは自分の方だ。黒髪の女性や部屋に気を取られ、危機への確認が足りていなかったのだと。
ゆっくりと振り向いたリアムをじっとその緑の瞳は見つめていた。
「どうしたんすか?リアムさん」
「いや…やはり、魔獣なんだな」
「うわっ本当っすね、目が緑色っす!こんな深い緑はなかなか見ないっすね」
「あ、猫は大丈夫ですか?綺麗な瞳をしてますよね。この子、祖母のなんですが私が世話をしてるんですよ」
「そうでしたか。それは凄い事ですね」
「え、あ、ありがとうございます」
ソファーの上で微睡んでいた小さな魔獣は深い緑色の瞳でじっとリアムを見つめている。それはまるでリアムを値踏みしているかのように感じられた。リアムはただ黙ってその瞳を見つめ返す。魔獣はリアムを数秒見つめた後、フッと興味を失ったように目を瞑った。その様子に、内心リアムは胸を撫でおろす。
その様子を見ていたバートは何も問題がなかったことを確認すると安心したのか恵真に話しかける。
「あ、オレはお茶がいいっす!ミルクたっぷりでお願いします!」
「…僕は大丈夫です」
「…ぼくも」
初めて訪れたのにもかかわらず無遠慮なバートと気を遣う幼い兄弟達。そんな様子を穏やかな表情で黒髪の女性は見つめている。
この国の高位の人物であれば、バートの無礼さに早々に機嫌を損ねるだろう。いや、そもそも身分が高い人物であれば、不用意に屋敷にリアム達を招き入れはしないはずなのだが。
振る舞いも身に着けているものも高貴な身分を隠せてはいない。この女性は一体どんな人物なのだろう。
「じゃあ、バートさんにはミルクティーにしますね。うーん、もしよければ二人もそれにしない?甘いしミルクも入っているから二人でも飲みやすいと思うの。私もそれを飲むし、ね?」
「はい。ありがとうございます!」
幼い兄弟二人が気を使っているのを汲み取った女性が提案をした。アッシャーが返事をしたのを確認すると、女性はそのままキッチンへと足を運ぶ。その様子はどこか楽しげにも見える。
女性は白い縦長のクローゼットに手を伸ばす。ずっしりとした重厚な造りと滑らかな表面から、職人の技術が光る意匠であるがキッチンには不似合いでもある。だが女性がそのクローゼットから取り出す姿を見たリアムは己の目を疑った。
そのクローゼットを開くと中は光で照らされており、整然と並べられた食材が入っていたのだ。その中から、白い箱を取り出すと女性はパタリとそのドアを閉めた。
おそらくは異国の魔道具であろうそのクローゼットは食糧庫、それも冷蔵機能を備えたものであろう。この大きさで冷蔵するだけの魔力を備えた魔道具が一体いかほどの値打ちになるのかと考えるとリアムは震える思いがした。
そんなリアムの気持ちを知らない女性は楽しそうに説明をしてくれる。
「ロイヤルミルクティーにしますね。これって本当はその国にはないらしいんですけど、まろやかだしアッシャー君達でも飲みやすくなるんじゃないかな」
「凄いっすね、料理人みたいっす!」
「バート!言葉に気をつけろ」
「あ、すいません!変な意味じゃないっすよ!」
手を左右にブンブン振りながらバートが補足するが、高貴な身分の方に使用人のようだと言うのは十分問題がある。リアムが一体どうフォローするか頭を悩ませていると女性が驚く反応を見せた。
「いえ!料理人なんてそんな凄いものじゃないですよ!あくまでも趣味の範囲というか…昔からこういうの好きなんです。最近はしなくなってたんですけど…うん、でもやっぱりこういう事が私好きなんだなって思うようになりました」
バートの発言を不敬と咎める事もなくなぜか嬉しそうに笑っている。その姿を見たリアムはどのように発言するかを決めた。
「…そうなのですね。いや、バートが失礼致しました。御自身が好きだと思える事に挑戦できるその環境やお気持ちが素晴らしい事なのだと思います」
使用人である料理人を職人として評価しているのであろう彼女の発言。リアムは驚きつつ、その行為を肯定した。バートの発言へのフォローも兼ねてはいたが、それは他ならぬリアム自身の本心でもあった。
「いえいえ!そんな大層な事ではなくって…なんというか自分に限界が来た事で気付かされたというか…アッシャー君達が来てくれたおかげでもあるんで」
「オレ達がですか?」
心当たりがないのかアッシャーもテオもお互いの顔を見て、不思議そうな表情を浮かべる。
「うん、二人が来てくれて私が作った物を美味しいって言ってくれて。作った物を誰かが喜んでくれるのって嬉しいなってそう思えたの」
そう言って恵真は二人に微笑みかける。予想もしていなかった恵真の言葉に照れくさそうにはにかむ二人。その様子を見ていたリアムは、先日の兄弟の言葉を思い出す。
黒髪の異国の女性、トーノ・エマ。彼女がまるで親戚の子に接すかのように、優しく二人を見守る姿はリアムの眼に自然で好もしいものに映るのであった。
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