1話 恵真とクロと裏庭のドア


 久しぶりに見る祖母の家に恵真は安心感を抱いた。

 こっくりとした色合いのブラウンの扉、黒い縁取りの窓、広くもなく古いが手入れの良くされた家は住んでいる祖母の人となりが反映されているような温もりがある。

 小さい頃、一時期住んでいた祖母の家は恵真にとって懐かしい場所でもあった。


 急に祖母が長く家を空けることとなった。といっても体調を崩したわけではなく友人と海外へクルーズ旅行へ行くのだ。その間の家と飼い猫クロ(名前の通り黒い猫である)の世話を孫である恵真が任された。


 父や兄の働く先は祖母の家からかなり距離がある。母も祖母の世話や家事がある。ちょうど仕事を辞めたばかりの恵真には時間があった。何より家族で彼女だけが猫アレルギーではないのが一番の理由であった。


 「久しぶりだね、クロ!」


 合鍵でドアを開け、一番にクロを探す。祖母が出発したのが昨日。急いで荷物をまとめてきたのはクロが気になったからである。エサも水も十分にあるのはわかっているのだが、やはりどうしているのか気になっていた。


 「みゃーお」


 クロはダイニングキッチンのテーブルの上でゆっくりと伸びをする。キッチンとリビングは一体になっており、この家で最も広いスペースだ。10人ほどが座れる大きなテーブルがキッチンの左に置かれている。ダイニングキッチンはL字型になっており、カウンターも両側にある。柔らかい日差しの入る窓側にはソファーとテーブルが置かれ、そこでゆっくりと過ごす事も出来る。


 料理の好きな祖母はよく親族が集まると腕を振るってくれていた。このキッチンからは、ここで過ごす全ての人が見える。料理をしながら、食べる人の顔が見られる配置なのだ。

 窓際には飾り入りのドアがある。おそらくは中庭に続くドアであろう。祖母は庭を手入れするのも好きで、それも今回の恵真の仕事の一つだった。


 家に合う木の家具が置かれたリビング兼キッチン。食器棚に仕舞われた白やアイボリーの器にサイズごとに並ぶグラスたち。様々なスパイスや調味料の小瓶が並ぶケース。ドライフルーツや手作りのジャムが入った保存瓶。大小、大きさの違うよく使いこまれた鍋とフライパン。一人暮らしなのに大きなサイズの冷蔵庫。何気なくフックにかけられたエプロンやミトン。


 年月は経っているが、丁寧に清潔に扱われてきた使いやすそうなキッチンである。


 「おばあちゃんが帰ってくるまでちゃんと守らなきゃね」

 「ニィ」


 恵真はクロを抱き上げ、そう呟いた。


 「うむ、掃除終了!」

 「みゃーお」

 「流石、おばあちゃん。どこも綺麗にしてるんだよなぁ」

 「みゃーお!」


 どこか得意そうにクロは鳴いてしっぽを揺らす。

 新生活の始まりともあり、早朝から起きてみた恵真だが、祖母が不在にしてまだ1日。普段から手入れされているため、さしてやることも見つからない。粗方の家事を終え中央に置かれたテーブルセットの椅子に座り、頬杖を付きながらぼんやりとする。初日ということで気合を入れた分だけ、拍子抜けした気分だ。


 「せっかく役に立てると思ったんだけどな」


 都会での生活に疲れ、1か月前に仕事を辞め、家族の勧めもあり地元に帰ってきた恵真に仕事を探せと急かす事もなく、前々から4人で暮らしていたかのようなそんな穏やかな日々が続いた。


 だが、そんな家族の温かさに触れるほど恵真は自分にも何か出来ないか、誰かに必要とされたいという自らの想いにも気付いたのだ。自分がこの家を管理する事で祖母や家族の役に立ちたい、それがここに来た1つの理由だった。


 「いけない。このまま落ち込むのは良くない兆候だ」

 「みゃお」 


 憂鬱な思考を振り払うようにテーブルに手を付き、勢いよく立ち上がった恵真は冷蔵庫へと向かう。祖母の家の冷蔵庫は一人暮らしにしては大きく比較的新しいものだ。家具は古いものも手入れされ置かれているが、電化製品はそうではないので恵真にも使いやすい。物作りが好きな祖母は料理も好きで、調理用具も揃っていた。

 恵真は冷蔵庫を開け、中身を確認する。旅行が長期な事も冷蔵庫に納められた食材は生鮮食品は少ない。


 「バターあるでしょ、卵ももちろんあるし牛乳もある…何がいいかな」

 「みゃーお」

 「こういうときは料理するって決まってるのよね」


 どうしようもなく落ち込むとき、やるせないとき恵真は昔から料理をした。元々祖母の影響か料理が好きであったし、集中して作る事、作った料理が誰かに喜んでもらえることで、それまでの気持ちを振り払える、そんな気持ちになるのだ。


 昔はよく真夜中にお菓子を作ったりしていたな、と恵真は数年前の事だが懐かしく思えた。2年前に部署が変わり多忙の中、自分自身が料理を好きな事すら忘れていた。それまでは自炊以外にも、帰宅後クッキーを焼いたりパウンドケーキを焼いたり楽しんでいたのだが。


 そんな事を思っていた恵真の耳に聞きなれない声が届いた。


 「うわ!来るなよ!俺らなにもしないから!テオ!危ないから下がってろ!」

 「お兄ちゃん!」

 「みゃーお」


 「え?クロ?どうしたの?」


 キッチンから顔を出し、声がしたほうを覗くと、裏庭に続くドアが開いていた。どうやら少年たちが裏庭から入ってきていたようだ。兄弟らしい二人はどうやら猫が苦手なようでクロを前に怯えている。テオと呼ばれた少年を守るようにクロに立ち向かう(?)少年は兄なのだろう。自身も怖いはずなのに弟を守ろうとするその姿勢を微笑ましく思いながら、恵真は二人と一匹に近づいた。


 「大丈夫?」

 「みゃーお」


 いや、クロに言ったわけでもないのだが…と思いつつ、返事のように鳴いたクロを抱き上げて恵真は二人を見る。張りのある焦げ茶の髪と瞳を持つ少年は少し日に焼けていて活発な印象を与える。後ろの少年はは柔らかそうな薄茶の髪に薄い青の瞳をしている。生成りのシャツに半ズボンと2人とも似たような服装で靴はボロボロだ。


 「君達、この近くの子?」

 「いや…、いえ!街の外れに住んで…ます」


 敬語は使い慣れないのだろう。緊張した様子でたどたどしく少年は話す。弟らしき少年は兄のシャツを握りながらキョロキョロと珍しそうに部屋を見ている。


 「どうしたの?ウチに何か用があるの?」


 恵真にも子どもの頃、こうして近所の家を訪ねた経験がある。あの時は確かバトミントンの羽根がそのお宅の庭に入ったのだ。ジャンケンの結果、負けた恵真が取りに行って謝った記憶がある。注意は受けたものの、正直に名乗り出た事を褒められ、くすぐったい思いでその家をあとにしたものだ、


 (さて、彼らは何を頼みに来たのだろう)


 兄弟の緊張が少しでも解れるようにと笑顔で恵真は尋ねた。


 「…あの!お願いがあってきました」

 「オレたちに仕事をください!」

 「お、お願いします!」


 小さな兄弟が頭を下げ、頼んでいるその姿は真剣だ。

 その姿に困惑しつつも恵真は口を開いた。


 「仕事って言われても…」

 「なんでもやります!他の店でも働いたことあるんだ!掃除とか皿洗いとか…他にもなんでも!汚れるような雑用とかもオレたち頑張るから!」

 「お願いします!」


 戸惑う恵真だったが少年達の様子からは必死な思いが伝わる。 


 「えっと、他のところでもお手伝いしてるの?」

 「うん、ウチの暮らしが大変だから」

 「ぼくたちいつも働いて食べるものをもらってる」



 どうやら街の人々はこの少年たちの生活を助けるために簡易な手伝いをさせているらしい。少年たちの生活を手助けするために店舗や家で何か手伝いをさせ、見返りとして食料を渡す。その考えを恵真は好もしく思った。ただ物を差し出すより、それは少年たちの自信にも繋がるだろう。


 恵真は少年たちを見て笑いかけた。



 「わかった、あなたたちに手伝ってもらおうかな」




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