第2章「狂竜、ご令嬢ルーシー」
第10話「いつからだろう」
いつからこうなってしまったのだろう。私の大好きな家族はどこにいってしまったのだ。
――一体、いつからだろう。こちらを見る目に恐れと怒りが混じるようになったのは。
「おとうさま、うでがいたいの」
五歳の時、お父様に竜の鱗が生えたのを見せた時か。
「お前なんなんだよっ」
七歳の時、兄に通常の人間ではあり得ない力で吹き飛ばしてしまった時か。
「一体、なにをしたの化け物っ」
十歳の時、姉の友人に襲い掛かれ、竜化した腕で気絶させた時か。
「この娘は、化け物だわ」
いや、そうだ。きっと、十二歳の時、お母様に竜の爪で怪我をさせてしまった時だ。泣いて謝る私を、お母様は突き飛ばして詰った。――化け物、と。それまで唯一優しかったはずのお母様が豹変してしまった。
いつの間にかお父様は私を見なくなった。お母様は会う度に、汚らわしいものを見る目で避けるようになった。兄は殴るようになった。姉は魔法の実験台にするようになった。みんな、みんな私を人間とは扱わなくなった。
――誰もルーシーという名を呼んでくれなくなった。
みんな、みんな、私の竜の腕のせい。これさえなければ、あの人達はきっと――そう思っていた。
◆
学園でいつも通り、ミアちゃんの執事であるロルフをからかった私は上機嫌だった。彼がどこか体調が優れなさそうなのが気にはなったが。なんだかんだで、ミアちゃんが気遣ってくれるだろう。彼女は強情なところはあるが、根は弱く優しいのだ。それは日ごろからお世話しているロルフもきっと同意してくれるだろう。
ミアちゃん可愛かったなぁ。……いつ告白するのだろう?
彼女がロルフに異性として好意を持っているのは分かっていた。いつからかロルフを見る目が恋焦がれる乙女に変わり、笑いかける姿が一際美しくなっていた。
ロルフの立場もあるだろうけど、私はミアちゃんを応援している。それにミアちゃんの両親ならそこら辺は問題ないと思うのだ。私とは違う。
ミアの両親は大恋愛をして結婚したらしいのだから。本人がダメなら、周りから埋めてしまえばいい。ロルフだって、ミアちゃんを見る目はとても優しいのだから。
「ルーシー、話がある。後で私の書斎に来なさい」
夕食時、姉と兄が学園での生活を自慢気に語っている中、私は一人もくもくと食事をしていた。お父様の掛け声で、我に返る。
ほわほわとしていたはずの私の胸が一瞬で雲散した。
久しぶりだ。お父様から名前を呼ばれるなんて。しかし、視線は一切こっちを向いていない。お母様は笑みを浮かべて見ていた。その目は笑っているようには思えなかった。
名前を呼ばれたのは嬉しい。だが、素直にも喜べない。
「承知しました。お父様」
私はなるべく感情を殺した。さっきまでの楽しい気分が台無しだ。
本当は訊きたい。これでも、あなたたちの娘のはずだ、と。私の声を聞こえてないかの様に食事する姉と兄には、なんで仲良くしてくれないのと。無駄だと分かっているから、諦めているからなにも出来ないのだが。
夕食後、少ししてお父様の書斎に向かう。それはイングリス家の屋敷――その一番上の階にあった。木製の重厚な両扉をノックし「ルーシーです」と言えば、お父様の低い声が「入れ」と短く聞こえてきた。
中に入ると、お父様が正面の書斎机に、お母様は左手のソファーに座っていた。薄暗い間接照明がどこかおどろどろしい。
一体、今さらなんの用なのか。
「ソファーに座れ、私も今行く」
「はい」
お父様に言われた通り、ソファーに向かう。
「そこに座りなさい」
お母様が自分の正面を指す。彼女は上機嫌だった。さっきもそうだったが、これは妙だ。私と会う時にはいつも不機嫌なのに珍しい。何年振りか分からなかった。
「ふー、ルーシーこれを見なさい」
お父様は書斎机から移動すると、どかっとお母様の隣に座った。神経質そうな眼鏡奥の目が細まる。
間にあるローテーブルに、一つの冊子が彼の手で置かれた。
顎で開け、とルーシーを促してくる。
冊子は見開きで、赤く光沢のあるもの。私はそれをおそるおそる開く。
見開きにはでかでかと写真が一枚貼ってあった。どこかの家族らしい。真ん中に夫婦らしき人物が椅子に座っていた。どちらもいかにも悪どい貴族といった様子で、あまり品が無い。夫はでっぷりとお腹を太らせ、小さい眼鏡をかけている。妻は神経質そうで、かなりの細身だった。昔は美人だったのかもしれないが、かなりやつれているような気がする。
そしてその後ろ、立っている人物が二人。おそらく、この夫婦の子供だろう。ただ、あまりに見た目が違った。
左はかなり顔が整っている。金髪碧眼、真っ白い歯。学園にいたなら間違いなく女子生徒の噂になっているだろう。とてもこの両親から生まれたとは思えない。そして右――
「ルーシー、お前にはこの方と結婚してもらう」
「良かったわねー、ルーシー。あなたでも相手がいるのよ」
お父様が指を差したのは、右側の男性だった。こちらは写真の中の父親そっくりだった。太ったお腹に眼鏡、肌は脂ぎっているような気さえする。
けっ、こん? 結婚と言ったの? この男と? ……いやだ。
「サンドリア家の方々だ。サンドリア商店と言えば、お前も知っているだろう」
「とーってもお金持ちなのよ」
サンドリア商店。聞いたことは確かにあった。ただし、その商売繁盛の裏であまりよくない噂も耳にしている。特に女性絡みで。奴隷も何人も雇っていると。別にそれ自体は問題ないのだが……。
その中でも特に噂されているのが、女性奴隷に対するアークレーン・サンドリアの仕打ちだ。
「お父様、まさかとは思いますが、この男性はアークレーン様ですか?」
「……そうだが、なにか問題があるのか?」
「……っ。お父様も知っているはずです! このアークレーン様に関わる噂をっ!」
私が声を荒げると、お父様は蔑むような目で冷ややかにこちらを見てくる。伝わっていない。いや、気にも留めていないのか。
「はぁ。ルーシー。お前、その腕のことを忘れたのか?」
「なにが言いたいのです」
「サンドリア家はお前を嫁としてもらう代わりに、こちらに出資してくれるそうだ。かなりの額をな。家に居ても学園に通うことで金しかかからないお前をだ。ありがたく思いなさい。その腕があったら結婚もままらなかったのかもしれないのだぞ」
……一体、なにを言っているのだろう。私は眩暈がしそうになる。つまりは、なんだ。そういうことか。売ったのか。ここぞとばかりに。
「そうですよ、ルーシー。サンドリア家は、寛大な家なのです。あなたのような者でも喜んで出向かるとおっしゃっておりましたのよ」
まさかここまでとは思わなかった。いや、私が思いたくなかっただけか。まだ彼らの心の底では、せめて子供という認識は無くなっていないのだという。
両親の声が遠い。まるで透明な壁があるようだった。私はもうこの人達にとって子供ではないらしい。なんでだろう。
そっちがその気なら考えがある。
「分かりました。お父様、お母様。お二人がそこまでおっしゃるのであれば、私はその結婚をお受けいたします」
なにかを言い募っていた二人の声を遮る形で、私は言った。もはや避けることは出来ない。両親になにかを期待しても無駄だ。
「そう? 来週には顔合わせを行う予定だから、よかったわ」
「おお、そうだった。ルーシー、メイドたちに伝えておくが、その日は必ず家に居るんだぞ」
「承知しました、お父様」
逃げるしかない。
途端にウキウキと予定を伝えてくる彼らを見て、さらに決意が固まる。しかし、今すぐには無理だ。いきなり飛び出て冒険者なりどこかで働くにしても、ある程度の資金はいる。
貯金はある。学園に通うかたわら冒険者としてこっそり貯めたお金。しかし、それでは少し足らない。
すぐに結婚するわけではないはずだ。貴族同士の婚姻なのだ。段階を踏むはず。一か月。最低でもそれくらいはあるはず。その間に資金を溜めれば……、結婚するまでには間に合う。
いや、そうしなければならない。待っているのは、噂通りなら地獄だからだ。
それに国を出るなら、ミアちゃんたちにお別れを言いたい。あの娘たちだけは特別なのだ。
精々従順な振りをしておこう。その方が、色々とやりやすい。下手な動きすれば、地下牢に入れられる可能性もある。私は商品なのだから。買い手はアークレーンなのだ。どうせ、竜の腕が目的なのだろう。だとすれば、私自身の身の安全はかなり怪しい。
だから、今は――大人しく諦めた振りをしなければ。
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