第1章「炎狼、シスターレイラ」

第2話「這い回る噂」

 お嬢様の寝室は物静かだった。カーテンがしっかり閉じられているため、真っ暗である。

 ロルフは内心思っていた。このカーテンで日差しが完全に遮られているせいで、お嬢様の目が覚めないのではと。一度言ったのだが、あっさりと却下されたが。「ロルフが起こしに来ればなんの問題もないでしょう」と反論の隙すら貰えず、どうしようもなかった。

 真っ暗闇の中、ロルフは魔法で無理やり目を慣れさせる。これではまるで窃盗に侵入したみたいだな……。

 もっとも、さっさと起きて欲しいので足音は消してないが。

 視線を巡らせると、大人三人が寝れそうなバカでかいベッドには、すやすやと眠るお嬢様がいた。

 さて、と……。

 ロルフは窓に近付き、勢いよくカーテンを開け放った。

 部屋に日光が入り、あちこちにある人形の視線が刺さる。また、増えている……。


「お嬢様ー、朝ですよー。起きてくださーい」


 ベッドに近付いて声をかけるものの、反応は乏しかった。代わりに聞こえてくるのは、可愛らしい寝息だけである。サラサラの銀髪が太陽光に反射し眩しい。竜をデフォルメした人形を抱いている姿は、実際の年齢をよりも幼く感じさせる。

 まぁ、一回目で起きたことなんて無いんだけどな。

 今日はどうしようか……。以前、たまたま前日に覚えた悪夢を見せる魔法で起こした時は、酷い目にあった。だから、気を使わなければならない。

 ロルフは考えを巡らせ、一つ思いつく。


「上手くいくかは分かんないけど……」


 お嬢様の額に手をかざし、魔法をかける。ピンク色の妖しい光の帯が、お嬢様に吸い込まれていく。

 さてさて、どうかな?

 はたして反応は顕著だった。お嬢様は眉をひそめはじめたかと思うと、頬が紅潮し始め――


「待って!」


 勢いよくお嬢様は起き上がった。どうやら成功したようだ。どんな夢なのだろう。悪夢がダメならと、本人が一番望んでいることを見せられる魔法をかけたのだけど……。


「ロルフ……。もうちょっと、マシな起こし方はないの?」


 おっと。いつもよりも低い声に嫌な予感を覚える。お嬢様の抱く竜の人形が苦しそうだ。彼女の言うことはもっともなのだが、正直万策が尽きたのだからしょうがない。


「おはようございます、ミアお嬢様」

「その呼び方はやめてって言ってるでしょ。ミアでいいわよ、……ってそうじゃないわよっ」

「と、言いますと」

「毎朝、毎朝、変な起こし方しないでっていってるのっ」

「そうは言ってでもですね。普通の方法では起きてくれないじゃないですか、お嬢様。今日の魔法、そんなにダメでした?」


 なにも声をかけるとか、体を揺するとかで済むのであればロルフもこんなことはしないのだ。ひとえに彼女が一向に起きてこないのが悪いと思う。


「それはっ……」


 ロルフの問いに、ミアは顔を真っ赤にして押し黙ってしまう。無意識なのか竜の人形がますます苦しそうに歪む。こういう所は可愛い。


「ミア?」

「……とにかく、今日のはダメ。また考えて」


 むっ。そうもしおらしくお願いされると断りづらい。いいと思ったんだが、快夢魔法。というか、起こされる前提か。


「分かりました」

「うん」


 ミアは起き上がって、ベッドを降りた。クローゼットまで歩いて行き、そこで固まる。


「ロルフ? 早く出て行ってくれないかしら」

「お着替えのお手伝いは――」

「いらないわよっ。いい。わ、た、し、はもう子供じゃないのっ。いい加減大人になった私を見なさい、知りなさい、理解しなさい、その体の頭からつま先まで。二度と忘れないで。……忘れたら、ぶっ殺すわよ」


 うわ、本気の目だな。いまにも攻撃魔法を放ちそうな勢いだった。昔はもう少し柔らかい性格だったんだけど。

 ロルフはミアの剣呑な視線を受けながら部屋を出た。

 ミアの朝食のため、すぐ調理室へ向かうとすでに数人の料理人が働いていた。


「料理長、お嬢様が起きたので朝食の準備お願いします」

「おうっ。今日も怒られてたな、坊主」

「あはは……」


 料理長は快活に応えてくれた。どうやら、ここまで聞こえてたらしい。まぁ最近は、もはや定番になりつつあるからな。

 最初は結構心配されたんだが。

 苦笑いで流すと、屋敷のメイドたちにミアの起床の旨を告げる。起こすのも彼女たちにやらせればいいと思うのだが、ミアが頑として譲らなかったのだ。そのくせ文句をつけてくるので、最近のミアはよく分からない。

 昔はもう少し棘がなくて、可愛らしい感じだったんだが。最近はどうも機嫌が悪いことが多い。

 思春期なのかなぁ。でも、女の子のなんてどう接したらいいか分からないけど……。

 食事をする部屋に入ると、すでにミアの父親――ギルド長が食べ終えるところだった。

 ロルフは慇懃に挨拶をする。


「おはようございます。ギルド長」

「ああ、おはよう、ロルフ。ミアはもう起きているか?」

「ええ。先ほど起床されました」

「そうか、……後でミアに言ってくれないか? 最近、街で不穏な噂がたっているんだ。俺からじゃ、素直に聞いてくれないからなぁ」

「そんなことはないと思いますが……。噂というのは?」


 蓄えた髭をいじるギルド長はどこか苛立っているようにも見えた。余程、その噂に腹を据えかねているらしい。


「炎狼。炎を身に纏っている狼だ」

「それは、また……」

「厄介なのが、そいつが犯罪者たちを殺して回っていることだ。おかげで、一部の王国民から英雄扱いされ始めている。――誰を殺そうが、殺人者には変わらないんだがな」

「お嬢様には関係ないのでは?」

「俺がギルドマスターだからな。どういう形で恨み買うか分からん。炎狼を英雄扱いする王国民からな。狙われている犯罪者たちからも。まぁ、大丈夫だとは思うが、一応な」


 一転して、ギルド長は父親の顔になる。冒険者たちも恐れるギルド長も、娘には弱いらしい。


「承知しました。一層気を付けます」

「頼むぞ」


 そう言い残して、ギルド長は部屋を去る。入れ違いに、今度はミアがやってきた。着替え終わり、学園の制服姿だ。相変わらず竜の人形を抱いている、一緒に登校するらしい。


「ミア、なんでドア裏に隠れていたんですか?」

「……しょうがないじゃない。昨日、喧嘩したのよ。気まずいじゃない」


 そのままぶつぶつと言い訳を並べるミアを、朝食のテーブルにつかせる。執事であるロルフも対面に座り、メイドたちが料理を運んでくると、一緒に食事を始める。本来は同席しない方がいいのだが、ミアが嫌がるのでそれは出来なかった。


「ミア。聞いていたので分かるかと思いますが、身辺にはお気を付け下さい」

「……炎狼ね。そんな話があるなんて知らなかった。みんな知ってるのかしら」

「どうでしょう? ですが、学生というのは噂好きですからね」


 一度、それでえらい目にあった。王立学園の生徒だけあって、貴族の子息女が多い学校である。暇が有り余っている上に、お金もあるとくれば碌なことにならなかった。

 くるくると手持ちのフォークを回し、ミアはなにか考えていた。正直、下手な首は突っ込まないので欲しいのだが、この手のトラブルに興味は尽きないのだろう。

 ミアはそれきり、考えから浮上することなく学校に向かう馬車に乗り込んだ。

 これは――しばらく気を付けないといけないかもな。ミアに下手に動かれないようにしないと。もしかしたら、本人が知らなかっただけで、もう首を突っ込んでいる可能性もある。

 馬車は屋敷から出ると、朝の喧騒に包まれている道を進んでいく。あっという間に目的の場所に到着した。

 学園内の馬車乗り場は、まだ、さほど混雑していないようだった。到着したので、ミアに呼び掛ける。


「……ミア?」


 ロルフの呼び掛けにミアはまったく反応しなかった。竜の人形をぎゅっと抱き締めている。学校の周りには貴族の子息女たちが、馬車から降りてきていた。基本的に彼らは王国内に住んでおり、徒歩でも十分来れるはずなのだが、その選択肢がない。正確にいうと彼らの家にはだが。

 まったく反応しないミアを揺すると、ようやくロルフを見る。


「……あぁ、ごめんなさい。ロルフ」

「ミア、大丈夫ですか?」

「えぇ、あ、もう学校に着いたのね。行ってくるわ」


 ロルフがなにか言う前に、ミアはさっさと学校に行ってしまう。

 最近、ぼーっとしてることが増えたな。ツンケンしてる分には反抗期で済むけど、あの様子は心配になる。

 普段勝気なミアが、魂が抜けたように虚空を見つめているのは恐怖しかなかった。すぐ傍にいるはずなのに、次の瞬間にはふっと消えてしまいそうな気がしてならないのだ。

 あるはずのないイメージだが、やたらとリアルに浮かぶものだから、やってられない。

 馬車の中からミアが友達と談笑しているのが見える。その周り、屋敷にいたのと同じ紫色の蝶がひらひらと飛んでいた。


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