第19話 欺罔〈きぼう〉

「暗殺集団の頭領が写真なんか残していていいのかよ」


 渥が現一狼の隣にきて、マグネットのそばに座った。


「いけませんよ」


 本当ならば、夢現流の頭領だっていけない。先代がここに写真を残しているのは、あってはならないことなのだ。


「でもなんで、この写真では服を着てないんだ?」

「苛酷な任務に向かう部下へのねぎらいだったんでしょう。これ、結城先生の部屋にあったものです」


 渥がひゅっと息を吸い、動きを止めた。

 部屋の空気が張り詰める。


「つまり、結城先生がゲイで、あなたがたのような美少年が好みではなかったか、と聞いています。いかがですか」


 ゲイにもいろんな人がいる。男が多い道場にいれば、確率的にそれはわかる。男女の仲で時折事件が起きていることからも言えるように、強引で乱暴な人間もいる。まして、結城はあの「龍」の構成員だ。手段を選ばない残虐非道な組織の傾向は、そのまま、構成員の性格にも影響を与えている。

 結城が「龍」らしい構成員であればあるほど、檜家の兄弟が襲われた可能性は高まる。昨夜の渥の様子からも、何かがあったことは確かだろう。

 渥が思いっきり手のひらを畳に打ち付けた。


「ふざけるな! 俺も兄さんも押し倒されたりしてない」


 紅潮したまま、鋭い視線で現一狼をにらむ。あまりに正直な反応に微笑ほほえみたくなる。

 錦が困った顔をして、渥の肩を押さえた。


「落ち着け。……現一狼さん、僕らの名誉のために言っておきますが、身体の被害には及んでいません。最初のうちは何もなかったんですが、渥が三回目くらいに見てもらっていたときに、問題がありました。僕が物音に気づいて渥の部屋をのぞくと、結城先生が渥の服をつかんでいたんです。それで、僕が先生を渥から離れさせたんですが、不意を突かれて、僕が壁に押しつけられてしまって。今度は、渥が結城先生を殴って僕を助けてくれたんです」


 一気に言うと、錦は珍しく大きな溜息ためいきをついた。顔色が悪い。


「そうだ。だから、別に被害なんて出ていないんだよ。俺のシャツが伸びたくらいで」


 渥がかぶせるように続ける。兄の話が終わりきるのを待たないのも、渥としては珍しい。

 昨晩の様子からして、身体的な被害はなくても、渥の精神的な被害は大きいように見える。錦の心の傷も顔色からわかる。


「どのくらい前のことです? お二人は、それを岩田さんに言ったんですか?」


 気まずそうに、錦と渥が顔を見合わせた。

 先に場を取りつくろおうとしたのは、渥だった。


「被害もないのに、言えるわけがないだろう。逆に、俺が結城先生をぶん殴ったんだし。それに、そのあとは、兄さんと俺は一緒に勉強を教えてもらうようにしたんだよ。兄さんはいつも刀を傍らに置いていたしな。鍵のかからない俺の部屋には、つっかえ棒をして、いきなりは入ってこられないようにしたし。だいたい、たいしたこともないのに、俺たちが文句を言ったら、結城先生を選んだ岩田さんが反省しまくるだろう? 冗談じゃねえ」


 現一狼につかみかからんばかりの勢いでまくしたてる。


「渥、岩田さんのせいにするな」


 ぼそりと錦が言った。渥は畳に視線を落とす。

 沈黙が重かった。

 二人とも、顔を上げない。

 おそらく、中肉中背ながらも日頃鍛えている錦も、大柄で俊敏な渥も、自力で簡単に制圧できない者を相手にするのは滅多にないことだろう。しかも、性的な対象として見られることは、初めてだったに違いない。

 そういう視線で見られていたと気づくことは、恐ろしいほどの恥ずかしさを覚えるだけでなく、自分でも驚くほどのショックを受ける。

 現一狼も四年前、ちょうど渥くらいの歳で味わったことだ。けっきょく、そのショックと前後の出来事が、忌まわしい三十人斬りにつながってしまった。

 

 現一狼は少し迷い、ふう、と息をつく。


「ここだけの話にしておきましょう。結城先生も亡くなったんだし。それに、僕も貞操の危機は味わっていますからね」


 二人が顔を上げた。


「現一狼さんは、夢現流でいちばん強い人ですよね? 候補者同士が戦っていちばん強い者を決めるのだと聞いていますが」


 錦の言葉に、現一狼は、先代は何を話しているんだ、と内心突っ込みを入れる。


「まあ、そうですね」

「おまえを押し倒そうとするなんて、どんな猛者もさだよ」


 渥が膝を進める。


「それができるのは」


 錦が言い、渥がはっとしたように錦の方を見た。

 それから、そろって二人で現一狼を見る。


「お察しの通り、青龍です。まあ、僕も現一狼を継いだばかりでミスをしまして。あいつも武器を持っていなかったから、投げ合いになりましたけれどね」


 もし、今、同じことが起こったとして、青龍を引きはがせる自信はない。たまたま、強い怒りに囚われていたから、思わぬ力が出ただけだ。

 小柄な現一狼は、動きが速く、武器の扱いも器用なのが長所だ。そのために先回りしていろいろなことを考える。だが、あのときは、まったく頭が回らなかった。自分でも信じられないくらい動けたから逃げ出せたものの、普段の体力と腕力なら、制圧されていただろう。


「よくそういう状況から冷静に投げられたな」


 渥が驚き半分、呆れ半分という顔をしている。


「それができるから現一狼なんだよ」


 錦が変なかばい方をする。

 話がねじれたところで、場の空気がようやく平常を取り戻した。


「お恥ずかしい話です。僕も、岩田さんにどう言っていいのかわからなくて、自分の受験が終わるタイミングで、結城先生にはやめてもらおうと思っていたんです」


 錦が渥に視線を振る。渥もうなずいた。


「俺の友だちが個人レッスンの英語の先生を知っているっていうから、そちらに通わせてもらうつもりでいたんだ」

「僕も生徒会で一緒に働いたことがある後輩なので、信用できると思っています。ただ、英語の先生に相談したら、通信教育を勧められたので、そちらにする可能性も高いですね。会話の方は、由希ちゃんが通っている教室に入れてもらおうとも考えています」

「俺は、その方がいいかな。友だちに借りができるみたいで、気が引けるんだ」


 渥が浮かない顔をした。


「親友に借りも何もあるのか?」

「なんでもできる兄さんはないだろうけど、俺はあるんだよ」

「そうなのか?」


 きょとんとする錦を、渥がふてくされた目で見る。


「あるんだ。……現一狼は、どう思う?」


 一度、一対一で精神的な被害を受けているのだから、しばらくは一人で、あるいは集団での学習のほうが安心できるだろう、と現一狼は考える。


「学校の英語の先生がおっしゃるなら、通信教育なんじゃないですか。由希さんが通っている教室に渥さんも入れば、由希さんの帰り道も安心でしょうし。由希さんの学年は?」

「俺と同じだ。学校ではあんまり話さないけど」

「いったん家に帰ってきてから通うんだから、そこはリセットできるだろう。現一狼さんがそう言うなら、そうしようか」


 兄弟が納得するのを見届けて、現一狼は立ち上がる。


「僕、水でも飲んできますね」


 部屋を出ると、現一狼は表情を引き締めた。


 ――あいつ、構成員をエサに使いやがったのか。


 檜家に「龍」の構成員が潜入するメリットは、兄弟二人に傷を与えられることだ。もう一つは、現一狼をおびき出すきっかけになることだ。

 強力の岩田、訓練されている錦、俊敏で手の出やすい渥。

 いかがわしい出来事があったら、三人のうち誰かが動く。

 動けば、きっと。


「……」


 現一狼は嫌悪感をのどの奥に押しやり、廊下を歩き出した。

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