第17話 手蔓〈てづる〉

 夕食後、中野がひろ子と由希を迎えにきた。錦は岩田の居室に、現一狼は渥の部屋に移動する。


「まだ寝るには早いな。音楽でも聴くか?」


 渥がミニコンポのスイッチを押す。CDが回り、流行のロックユニットの曲が流れだす。


「道場でも、みんなよく聴いていますよ、この曲」

「ドラマの主題歌だからな。夢現流、道場なんてあるのか」

「あります。僕もそこで育ちましたからね。今頃は、もう消灯ですよ」


 現一狼となってからは、道場にはあまり帰っていない。そう気づいて、懐かしくなる。檜家の兄弟ほどではないけれど、あそこには暖かな空気がある気がする。


「早いな。午後八時半に寝付けるか?」

「無理ですね。みんな、布団の中で話しています。携帯のテレビを持っている奴がいて、ドラマとか見ていますよ」


 布団の中から青白い光が漏れ、音が聞こえてくると、誰彼となくそちらに引き寄せられていく。まるで誘蛾灯のようだった、などと思い返す。


「現一狼は見ないのか?」

「昔はみんなと一緒に見ていましたよ。でも、現一狼になってからは、ないなあ。ほら、ずっと道場にいられるわけではないですから、毎週見られるとは限らないので」

「俺も、兄さんが見ない限りは見ないな」


 渥がベッドサイドのテーブルにある水差しに手を伸ばす。コップに水を注ぎ、飲み干す。


のどが渇いたら飲んでいいよ。俺はもう、朝まで飲まないから」


 寝付けない、と言っていたのに、渥はベッドに潜り込んだ。


「現一狼、なんかおもしろい話をしろよ。俺、けっこう夜更よふかしだから、いい聞き手に……」


 とろんとした目で、おぼつかない口調で話していたが、やがて、目を閉じ、寝息を立てはじめる。


「どこが夜更かしなんだか」


 現一狼は小声で言って、CDを止めた。

 日中は険しい表情をしていることが多い渥だが、寝顔は穏やかだ。

 窓の鍵を確認し、念のため、扉につっかえ棒をして、現一狼も床に敷いた布団に横たわった。寝るともなく目を閉じ、身体からだと脳を休める。眠りが浅いのは、現一狼になってからの癖だった。「龍」の活動を追う現一狼は、いつ襲われてもおかしくない。身を守ろうとすると、こうなってしまう。


 数時間経った頃、うめき声が聞こえた。

 身体を起こすと、ベッドの方から、う、う、と声が聞こえる。


「渥さん」


 ベッドサイドの明かりを点けると、眠っている渥が、眉間にしわを寄せているのが見えた。悪い夢を見ているのか、額に汗が光っている。現一狼はふところから手ぬぐいを出し、渥のひたいに当てた。


 渥は身体を丸め、布団をかき寄せて、身体に密着させている。いい羽毛布団だから、暑いのかもしれない、そう思って現一狼は、そっと布団を引っ張ってみる。

 胸元にできた隙間に、風を送ってやろうと扇子を広げたときだった。

 渥が手で、パジャマのえりをしっかりとつかんでいるのが見えた。まるで、服が引きはがされるのを拒むように。一方の空いた手は、布団を求めて空気をつかんでいる。


「う……んっうぅ」


 乾いた唇から、うめき声が漏れた。

 喉も渇いてしまっているのだろう。現一狼は、怪我の手当用のガーゼの封を切り、水に浸す。唇を拭いてやると、渥のしかめ面が少し緩んだ。


 ――起きているときは、あんなに強気なのに、何が怖いんだろう。


 現一狼はベッドに手を掛け、渥を見つめる。

 さすがに、死体を見たのがこたえたのだろうか、それとも、中野たちの偽りの診断にいらだち、疲れを覚えたのか、ほかには。


〝ドアのそばに置いといたら倒れちゃったんだ〟


 つっかえ棒を手にした渥の声がよみがえる。


〝あんた、好きな人はいるのか〟


〝わかった。いいよ。兄さんの言うとおりにしよう〟


 殺人鬼と呼んだ現一狼に、いきなり「好きな人」などと聞いて、出会いがないという愚痴ぐちに納得したのはなぜだろう。


〝死んでいるんだから怖くないだろ〟


 そう言った渥は真顔だった。

 そして、結城が持っていた、青龍のマグネット。


「……まさか」


 もしかすると、結城にとって檜家に潜入する十分なメリットが、あったのかもしれない。

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