第10話 檜家

 医師が到着したのは、それから三十分後だった。岩田が出迎え、渥と現一狼も付き合う。


中野なかのです」


 コートを脱ぎながら医師が頭を下げた。どう名乗ろうか迷っていると、中野医師は座布団ざぶとんの上に正座し、微笑ほほえんだ。


「代替わりなさったんですね。先代はお元気でしょうか」


 現一狼は驚いて中野を見つめる。先代現一狼を中野までもが知っていたということと、これが、死体発見の一報で駆けつけた医師の第一声だということに。


「いえ、実は、先代現一狼は四年前に亡くなりました。その跡を僕が継いだんです」


 戸惑いながら答えると、中野医師と岩田が顔を見合わせ、沈んだ顔でお悔やみを言った。


 ――立ち寄っただけの家にしては、先代に親しんでいるな。

 

 先代はここで何をしでかしたのだろう、と現一狼は内心首を傾げる。

 

「中野先生も先代現一狼とやらを知っているのか?」


 何か言いたげにしていた渥が尋ねた。


「四十年前の事件のとき、いらっしゃったので」


 一瞬、岩田が渥をにらんだように見えた。


 ――四十年前、か。


 時期的に、ここに来たのは先代で間違いなかった。

 

「げんいちろうって、前も同じ名前なのか? 代々?」


 渥がイライラしたように言う。岩田がペン取り出し、座卓においてあった文箱からメモ用紙を取り出し、「現一狼」と書いた。


「確か、こういう字をお書きになるのです。前にいらっしゃったのは二十七代現一狼様でございました」

「ええ、僕は、二十八代現一狼です」

「じゃあ、あの記録にっているのか?」


 渥が思案顔になる。


「記録、というと、事件の?」


 現一狼が、岩田に視線を向ける。

 岩田が慌てたように顔の前で手を振った。しかし、渥はそれを無視して答える。


「記録は兄さんが持っている。うちでは今回みたいな事件がたびたび起こる。誰も警察に届けない。でも、記録ならある」


 ――通報はしないけれど、記録しておく。


 もし、檜家が殺しを稼業にしていたのなら、ありそうなことだ。

 

「渥様、そういうお話は」

「隠しておけ? 俺にはそういうのわからないな」


 渥は岩田を睨んだ。

 

「俺は、気分が悪いよ。早く、結城の死因を調べてくれよ。だいたい、なんでうちで殺人事件が起こる? もしかして、わざわざ殺人をしているんじゃないのか。金を取って請け負って」

「なんということをおっしゃるのです」


 岩田が声を荒げた。だが、すぐに、申し訳ありません、と渥に謝る。


「別にいい。ともかく。なんで、岩田さんも中野先生も、死体があるっていうのに余裕綽々なんだよ、気に入らないな。何か? うちでの殺しになれているからか? 代々?」

「それは」


 岩田が何かを言いかけ、言葉に出せずにうつむく。


「何だよ」


 渥が岩田に詰め寄った。

 

「でも、もしそうなら、渥さんは、殺し屋の家の子、ということになりませんか」


 現一狼が割って入る。殺人犯の息子であること、殺し屋の家系であること、そういうことを、自分は違うとはねのけることは容易ではない。世間の闇に隠れている状態でもきついのに、もし外に話が出てしまったらどうなるか。人の幸せを自分都合でしか考えない世間の反応の苛烈かれつさに耐えられると言い切れる人間がいるとは、現一狼には思えなかった。


「わかっているよ。冗談じゃないけどさ。でも、そうなら黙っているほうが嫌だってだけだ。いいから、本当のこと言えよ、岩田さん」


 岩田が肩をふるわせた。それから、畳に両手をつくと、頭を下げた。


「錦様と渥様が殺人犯の息子だということはあり得ません。檜家は立派な家でございます」


 渥は岩田の背中に、疑いの視線を注いでいた。

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