腰折れうた。
木ノ下 朝陽
停車場より「大」の文字に相対す 父母に別れし我はただ一人
父の亡くなった後の始末は、まだ山のように残っていたけれど、
それら全部から目を背けるようにして、三泊分の荷物を抱え、西に向かう電車に乗った。
正直、くたくただった。
馬にでも喰わせたくなるような量の書類作成やら事務手続きやらを、
全部纏めて大川に放り込んでしまいたい…という衝動に、幾度も駆られたけれど、
結局、必死、…いや、ほぼ「決死」の思いで、全部片を付けた。
いちいちその度ごとに、他人と約束を取り付けながらの、
互いの顔を突き合わせての協議というものが不要なのは、非常に有難かったけれど、
その代わり、全てを自分一人で処理しなければならないと言うのは、
これはこれで心身両面を、それも様々な方向から、削り取られ、磨り減らされるものだ…と、つくづく思った。
このままでは、自分が干乾びきった涸れ井戸か、
または、採掘し尽くされた鉱山のようになってしまう、
…という、ほとんど危機感めいたものを覚えて、
まだ繁忙期には間があるのを幸い、半ば捩じ込むように休みを入れ、予定を組んでの、今回の箱根行きだった。
小田原で乗り換え、更に箱根湯本で登山鉄道に乗る。
行き先は、今まで三度ほどお世話になったことのあるお宿で、ある程度勝手が判っている。
お値段的にも、土地柄にしては手頃な方だ。
或いは「馬鹿のひとつ覚え」と嘲笑われるかも知れないけれど、
こんな心持ちの時に、知らない場所で、右も左も判らずに、うろうろ、おろおろするというよりは、ずっと良い。
部屋は畳敷きなので、靴を脱いで上がれるのも助かるし、
何より、必要以上に世話を焼かれないところなので、
三日間、食事と風呂以外、ずっと部屋に籠もって寝転がっていようと構われない…と判っていることが、一番有難かった。
いつもなら、内心できゃあきゃあ言いながら車窓から眺める箱根の景色も、
今の私の目には、以前来た時よりも、二段か三段ばかり明度と彩度とを落としたように映る。
宮ノ下で人が降りると、平日昼過ぎの登山電車の車内は、妙にがらんと静かになった。
ここから先は、一層山がちになる。
終点の強羅に着くまでの間、
何となく逃亡犯にでもなったような心持ちで、窓の外に流れる風景を眺めていた。
強羅でケーブルカーに乗り換えて、三駅先で降りる。
ここまで来ると、流石に「下界」とは気温も、風の吹き抜け方も違う。
ふと、何やら呼ばれた気がして振り向くと、
「大」の文字を頂いた山がそびえていた。
明星ヶ岳、標高924メートル。箱根外輪山の内の一峰。
小田原側から見た時に、この山の上に宵の明星が輝いて見えることから、この名が付いたという。
通称、大文字山。
毎年八月十六日には、大文字焼きと花火が、
(……いつか、大文字焼きを一緒に見に来ようね……)
不意に、母の声が聞こえた。
母とは一度、このケーブルカーに乗って、終点の早雲山で降りたことがある。
ロープウェイにも乗ろうと言ったら、「高いところは怖いから嫌だ」と、断固拒否された。
母はもう随分以前に亡くなった。
最後は病院のベッドで、酸素吸入機と、鎮痛用モルヒネの点滴の管に繋がれながら、生命の終わりを迎えた。
なのに、…笑顔も笑い声も、なんで今、こんなに鮮明に思い出されるのだろう?
父の声はまだ聞こえない。笑顔も思い出せない。
いつか、父の声も聞くことができるだろうか。父の笑顔を懐かしく思い出すことができるだろうか。
……それまで、もう少し生きてみようか…。
私は、もう一度だけ山を振り仰ぐと、今夜の宿に向かって歩きだした。
〈了〉
(2023, 6. 26.)
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