紡言治世の絶対神

紫 和春

第1話 転移

 昼間なのにも関わらず、カーテンを閉め切っていることで薄暗くなっている部屋。その中で、カタカタとパソコンのキーボードを叩く音が響く。

 パソコンに向かう青年――北上優は必死の形相でキーボードを打ち続ける。

 北上がしている事、それは「小説を書く事」だ。北上が引きこもりを始めてすぐの頃、ネットの世界をさまよっている時に見つけた、あるサイトが原因だ。そのサイトを見ている内に彼は段々と小説を書きたいと思うようになった。

 北上はすぐに、一番手頃なサイトに会員登録し、それから毎日小説を書き続けている。彼自身、特に小説は好きでは無かった。日常的に読書をしているわけでもない。それでも北上が必死に書き続けている理由は、単純に自分の妄想を具現化しているに過ぎないのだ。

「よし、今日分の進捗は終わり……」

 そういってデータを保存し、ベッドへと寝転ぶ。時刻はもうすぐ十二時を迎えようとしていた。

「……今日はもう一話分書くか」

 その時、北上の腹がなる。時間もちょうど良いころ合いだろう。

「コンビニ行ってくるか……」

 両親は仕事に行っており、家には誰もいない。当然、引きこもりのため家事全般はからっきしダメである。

 家の鍵を閉め、最寄りのコンビニへと向かう北上。

 外は夏真っ盛りであり、セミの鳴き声が延々と響き渡る。日差しも照りつけ、北上の体力を奪っていく。

「この後の展開は……」

 小説の事を考えながら、コンビニに向かっていた北上。

 ちょうどその時であった。目の前の空間が歪む。それはまるで、CGでイメージされたブラックホールのようであった。

 それを見た北上は、一瞬体の動きが止まった。脳が本能的に理解することを拒んだからである。

 それはみるみるうちに大きく広がっていく。歪みが発生してから北上のところまで、一秒もかからなかった。

「う……」

 叫び声を上げることもなく、北上は歪みに巻き込まれる。そのまま、北上は意識を手放すのだった。

 †

 北上の意識が戻る。どうやら倒れていたようだ。

 起き上がるために地面に手をつけると、アスファルトで覆われた道路ではなく土の感触が返ってくる。

「な、にこれ?」

 周りを見渡してみると、そこには見慣れた町の景色はなく、鬱蒼とした森の中であった。

「どこだここ? 確かコンビニに寄ろうとして、それで……」

 記憶が混濁している。

「そもそもここはどこだ……?」

 現在地を探ろうと、北上は立ち上がって歩き始める。

 どこかの山林だろうか、斜面が多いような状態だ。普段運動しない北上にとっては、かなりきつい行動をとっていることになるだろう。

 しばらく歩いていると、森の木々が閑散とする場所に出てきた。

 太陽はまだ地平線に近く、朝方か夕方であることを教えてくれる。その光景を目にした北上は違和感を覚えた。

「おかしい……。さっきまで昼だったのに……」

 そう。北上の記憶によれば、まだ十二時過ぎくらいの感じである。なのに今、太陽は地平線の近くにいるようなのだ。

「待って? もしかして僕、誘拐された?」

 北上の脳裏に、悪い考えがよぎる。コンビニまでの道中で睡眠薬を吸引させられ、そのまま知らない山に捨てられた可能性だ。

 しかしこれでは、犯人の目的が分からない。身代金の要求をするのなら、自身の身柄を拘束していたほうが良いだろう。なのに犯人はそうしなかった。解放する理由はないはずだ。

 北上はそんなことを考えながら、斜面を下っていく。斜面を下り終えた所で、少し開けた場所に出る。

 そこには、石のような物が複数個散らばっている、不思議な空間であった。

「どこなんだここ……」

 そんなことをぼやいていると、視界の端のほうで何かが動く。北上がそちらのほうを向くと、そこには黒い塊があった。

「何だ、アレ……」

 よくよく見てみると、動いているではないか。

 そして、北上は気が付く。

「く、熊!?」

 そう、熊だ。

 一瞬見間違いかと思った北上は、頭を振って再度見る。だが、そこには間違いなく熊がいた。

「に、逃げ……」

 踵を返して逃げ出そうとしたが、そこである事を思い出す。

 熊と遭遇した時は、背中を見せて逃げるのではなく、目を合わせたまま後ずさりするのが良いと。

 北上は振り返りそうになった体を止めて、熊に視線を合わせる。そして思い出した通りに、北上は視線を外さずに後ずさりを始めた。

 熊は威嚇するかのように、うめき声を上げている。

「来るなよ……。頼むから、来るな……」

 北上は藁にもすがる思いで呟く。

 熊が一歩、二歩と後ろに下がる。

 数秒後、勢いよく熊が突進してきた。

「来るなー!」

 思わず叫ぶ北上。

 その瞬間、北上の前に何かが割り込んでくる。

『天にまします我らの神よ、我に力を授けよ!』

『壁や、出現せぇ!』

 カァン! と何かが出現する音が聞こえた。

 北上が見てみると、そこには人影が。そしてその人影の前には透明な壁のようなものがあった。

 熊はその壁に阻まれて、こちらには来れないようだ。

「何やよるんや! はぁ逃げぇ!」

 北上には、変な日本語が聞き取れるだろう。

 しかし何を言っているのかは分かる。逃げろと言っているのだ。

 北上は、腰を抜かしながらも必死に地べたを這って、遠くへと逃げる。

 すると北上の後ろから、パァンと何かが弾ける音が聞こえた。

 振り返ってみると、そこには頭がなくなった熊の体があった。どうやら、横から別の人間が攻撃をしたようである。

「ふぅ。とんまこんなんでよか」

「よん分からん人んがおったがん、まぁ助かってよかよ」

 謎の壁を生成した人――少女は、北上に駆け寄る。

「立てん?」

 そういって、手を差し出してくる。

「あ、ありがとうございます」

 差し出された手を掴み、何とか立ち上がる北上。

「しがし、君んどこん人な?」

「え、なんて……」

 日本語として崩壊しているレベルでの訛り具合。いや、これを訛りと言って良いのだろうか。

「じゃけん、どこん人がな?」

「どこの人、と言われましても……。まずここはどこなんですか?」

「どこっと言われてんも、ここばナーカシ近くん山じゃ」

「ナーカシ……?」

「んや。ナーカシはうちらん町の名前でん。町んばこっから一時間歩いちゃちょころあるんど」

「そうなんですか……」

 北上は周りを見渡してみる。結局山の中には変わりない。

「んで、けっきょ君は誰ん?」

「僕、ですか?」

「君ん以外いなかと」

「あー、僕は北上優です。誘拐されたみたいなんですけど……」

「変な名前やんなぁ。うちばエリゆうんや。よろしゅくな。んでこっちばうちの仲間ん。リュウじゃ」

 横から熊を攻撃をしていた人だ。

「はぁ……」

「誘拐かぁん。それんとも迷子って所かん?」

「まぁ、確かに迷子かもしれませんが……」

「それんも記憶喪失っつうヤツかんも知れんばね」

「いや……、それはないと思いますけど……」

 とにかく、現状を把握しないことには何も始まらないだろう。

「なんらうちの町にきいや。そっから情報ば集めん」

「それって、ナーカシに行くってことですか?」

「んだな。そんに、それ以外んば行くところんあるんとば思えんげ」

「それはそうですが……」

「んだらば決まりがな」

 そういって、北上はエリ達のあとをついていくことになった。

 しかし、北上の服装は完全な軽装である。足元もサンダルであり、山の中は歩きにくい。

「んでも、んでそんな格好で山んば入ろうおもたん?」

「いえ、不可抗力と言いますか……」

「ま、深い詮索はせんね。安心し」

「はぁ……」

「んなことよりん、その喋りはなん? うちらと違う言葉しゃべってん?」

「そっちの喋り方がおかしいと思うんですが……」

「うちんばこれが普通ぎゃ。意思疎通出来てるんから問題なかろうけん……」

 その時、北上の脳裏にある考えが浮かんだ。

 言葉の壁、見たこともない場所、言葉を発することで発現した壁。そして意識を失う前に出会った謎の現象。

 それらを総合的に考えると、ある仮説に行きつく。

「もしかして、ここは異世界……?」

 北上も自分の小説で何度も書いたことのある題材だ。昨今の人気も上々で、一時期は社会現象にもなったことがある。

 もしかすると、自分は異世界に飛ばされたのではないか。そう思い込んでしまったら、それ以外に説明のしようがないだろう。

 現に、エリは魔法の詠唱のようなもので熊の突進を止めたのだ。そう考えるのが筋というものだ。

「いや、さすがに考えが飛躍しすぎか? 急に変な場所に来たから、冷静になれてないのかもしれない……」

「さっきっから何呟いとるん?」

「あ、いえ、なんでもないです……」

「せか」

 そして小一時間ほど山の中を歩くと、急に視界が開ける。

「到着や。ここがうちらの町、ナーカシじゃ」

 その様子は町ではあるが、どこか寂れた様子をうかがわせる。

 建物は基本的にコンクリートのようなもので出来ており、比較的近現代の様相を呈していた。

 そして遠くのほうをちらりと見れば、空の彼方に一本の筋のようなものが見える。

「エリさん、あの棒のようなものはなんなんですか?」

「ん? あぁ、ありゃ柱様にゃ」

「柱様?」

「この辺の言い伝えんば、柱様は天にいるん神様んに供物を捧げるんために作られたって話ば。あの柱様のふもとにゃ、それは巨大ば都市が存在するん話らしいんが、誰も行ったこたなか、本当なんか知らんのにゃ」

「はぁ……」

 古代の遺跡のような物だろうと北上は思う。しかし、遺跡にしては巨大すぎる。こんな遠くから見える塔なんて、どんな技術を使えば建設できるのだろうか。

 いずれにせよ、今の彼には関係ない話だろう。

「んじゃまぁ、まずは宿の手配ばしていがねんとな」

「宿……ですか? でも僕お金持ってないですよ」

「うーん。んだらリュウの家ば泊めてもらうんしかなかよ?」

「ワイん家か? 空き部屋あったかんしらんが、汚いかんすん。人様泊めるん向いてないんど」

「えー。したらばどうするん?」

 エリとリュウが困った様子で相談する。しばらく話し合って、一つの結論に至った。

「んだらキタカミユウ、組合に入るんちゃ」

「組合?」

「いろんな依頼なり作業なりを請け負う、まぁ便利屋的ん仕事じゃ。組合に登録んばすれば、キタカミユウにお金入んてどうにかなるんばろ」

「はぁ……。ギルドみたいなものですか」

 一応高校生であった北上は、仕事というものをしたことがない。

 それもそうだ。高校入学当初から引きこもりをしていた彼は、バイトの一つもしたことがない。北上は一抹の不安を感じるのであった。

「まぁ、組合には話通さんといかんけん。うちがついていってやるん」

「あぁ、じゃあお願いします」

 そのまま北上は、組合の一員となるために町の中を進んでいくのだった。

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