第2話 自己紹介


 快晴。東京都警視庁。巨大にそびえ立つ高層ビル。相沢凪は、感慨深げにそれを見上げた。鎌ケ谷警察署の十倍はあろうか。


 自分の新しい職場が、こんなすごい場所なんだと、若干の誇らしさを抱え、ついでに佐賀県名物栗羊羹の菓子折が入ったレジ袋を両腕に抱え、入口へと歩き出す。


 上司から勧められた『踊る大捜査線』。最初に勧められたときは、ビデオデッキ自体持ってなかったので(親に借りた)、勝ち誇ったように出された親指をへし折ってやろうと考えたが、見事にはまった。


 どちらかというと『所轄なめんな』という感じだったが、捜査一課もなかなかにカッコよかった。やっぱり、刑事は熱血だ。室井さんだ。織田裕二だ。間違いない。


「あった」


 刑事局捜査一課。案内板に探していた文字を見つけ、ドキドキしながら直行する。エレベーターを上がった廊下の突き当たり。透明ガラス張りのドア前で、入りづらそうにしてウロウロしている男性がいた。


「あの?」

「あっ、すいません。邪魔でしたね。どきますから」

「違くて。私、今日からここに配属になった相沢凪です。よろしくお願いします」


 深々とお辞儀をする。何事も第一印象。笑顔、笑顔。


「ああ。そうなの? よろしく」

「……」


 なんだか、新任の自分より、忙しなくて、落ち着かない人だと思った。歳は20代後半から30前半くらいだろうか。


「あの、これ佐賀名物の栗羊羹です。後で、切り分けるんで食べてください」

「ああ。ありがと」

「……」

「……あの」

「ん? なに?」

「入らないんですか?」


 そう尋ねると、なんだかバツの悪い表情を浮かべる。


「お先に」

「えっ! でも、私、新任なんで。ある程度は心の準備をしたいんですけど」

「そう。まあ、そう言う意味だと俺も新任のようなものだから。年功序列で君の方が早く行くべきだな」

「はぁ」


 相沢は怪訝な表情を浮かべる。新任のようなもの? 意味がよくわからない。やはり、警視庁は働き方改革が進んでいて、育児休暇でも取ってたのだろうか。それなら、明らかに入りづらそうにしている理由も、まあわからなくはない。


「なにしてるの?」


 そんな時。後ろから声が響く。振り返ると、そこにはもの凄い美人がいた。モデルと言われても納得してしまいそうな小顔。細身の長身。ただ、隣の男を睨んでるせいだろうか。目元のクマがファンデーションで隠しきれていない。


「違くて。私、今日からここに配属になった相沢凪です。よろしくお願いします」

「ああ、あなたが。警視庁捜査一課管理官の吉原里佳です。よろしく」


 ――あっ、好き。こちらに向かって投げかける優しい笑顔が、綺麗過ぎて、同性でありながらそんな感想を抱く。しかし、次の瞬間、また隣の男性を見る目が、深く厳しいものになった。


「さっさと入ってくださいよ。聞いてましたよ。年功序列? 目上の者が手本を見せるもんでしょうが」


 うわっ。ケリ。後ろから松下って人に、強めのニー入れた。この時点、この瞬間から、相沢は吉原に絶対服従を決めた。


 松下と呼ばれた男性が、イソイソ(コソコソ?)と部屋の中に入って数秒。まず、年が上そうな人たちがザワつき始めた。ヒソヒソと近くの人同士で小声で話し、いつの間にか全フロアの人たちの注目を集めている。


「失礼します!」


 後に続いて、相沢が大きな声で挨拶をするが、完全にアウトオブ眼中。全員が、松下と吉原の顔を交互に見渡す。しかし、そんな状況に臆することはなく、吉原は手を二回叩いて、全員の視線を集めた。


「はい、みんな。聞いてください。新しくできた猟奇犯罪特別捜査班。そこで、新たに配属された松下亮介さんと相沢凪さんです」

「吉原管理官。本当に連れてきたんですねぇ!」


 強面の太った中年が、机に頬杖をつきながら、大声をあげる。


 ――私のことじゃない、私のことじゃない。相沢は何度もそう自分に言い聞かせる。


「中里さん。反対なのはわかってるけど、上が決めたことよ」

「いや、俺が心配してるのはね。役に立つかってことです。その、元係長である松下さんのエセプロファイリングが」

「……」


 なんだか知らないが、とんでもないところに来てしまった。捜査一課とは、こんな殺伐とした職場なのか。ドラマでも所轄との軋轢が生じていたが、少なくとも課内のチームワークはあるように見えたが、全然違う。


 そんな相沢の戸惑いをよそに、吉原はパーフェクトウーマンな微笑みで返す。


「役に立たなかったら、飛ばす。それだけのことです」

「……っ」


 聞いてない。それも、聞いてないぞと、相沢は吉原を見るが、彼女はただ、天使のような微笑みを返すのみだ。


 ――その笑顔の意味はなに!?


「当面、私が管理官と係長を兼任します。仕事は主に異常犯罪。あなたたちの負担を少しでも楽にできるよう精進しますので、よろしくお願いします」

「当面? そいつが係長になる可能性もあるってのか?」 

「成果次第で。可能性はあります。もちろん、中里さんが係長になる可能性も」

「いや、俺はそういうのは」

「もちろん。成果を出してくれれば、の話ですよ」

「……」


 中里と呼ばれた太った刑事は、面白くなさそうにそっぽを向く。


 なんだろう。吉原が向ける綺麗な笑顔が、滅法怖い。


「じゃ、松下さん。自己紹介」

「……松下亮介です。よろしくお願いします」


 とてもじゃないが、フロア全体に聞こえないほどの覇気のない挨拶。そんな一言をボソッとつぶやき、早々に後ろに回る。次は、相沢の番だ。


 正直、自己紹介なんて、前の人ができすぎると緊張してしまうものだが、駄目すぎても逆に緊張してしまうことがわかった。


「こ、このたび刑事局捜査一課第六係の任を拝命しました相沢凪です。精一杯頑張りますので何卒よろしくお願いします!」


 全力でお辞儀をした。


 反応はない。


「あ、あの。これ、つまらない――いや、つまらなさすぎるものですが、佐賀県名物の栗羊羹です。実家、佐賀なんです。後で切って配りますんで」

「……」


 やはり、反応はない。

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