私はもう一度、嘘をつく。

及川 輝新

第1話

 園田そのだイトと初めて同じクラスになったのは、中学1年生の時だった。




 第一印象は、「あぁ、なんかカッコいい人がいるなぁ」。


 イトの性格を一言でいうなら、【自由奔放】。


 授業は平気でさぼるし、ピアス穴はガンガン開けるし、髪は茶色に染めるしで、教師陣も手を焼いていたらしい。


「その点、丘野おかのさんはいつも先生を手伝ってくれて助かるわぁ」


 間接的にわたしを持ち上げる魂胆なのだろうが、この先生は知らないだろう。




 わたしとイトが親友だということを。




 仲良くなった経緯はよく覚えていない。でも理由を突き詰めれば、「なんとなく」に収まる気がする。


 なんとなくどちらかが話しかけて、なんとなく馬が合って、なんとなく友達になった。


 友情ってそういうものだと思う。




 時が流れ、20歳の同窓会を迎えた。




 この間にわたしたちの距離は心理的にも物理的にも離れ、会うのは実に高校卒業以来だった。




 同窓会が始まり、わたしとイトは、座敷のテーブル2つ分の距離をずっと保っていた。


 イトは当時から垢抜けていたけれど、さらに美人になっていた。ショートカットの髪の色は茶から青へと変わり、遠くからでもよく目立つ。「席替え」と称して、この2時間で何人の男が寄ってきたことだろう。


 イトの隣は、わたしの特等席だったのに。


 ふと、切れ長の瞳がこちらを向く。わたしは反射的に顔を逸らしてしまった。




「なーにシカトしてんの」




 かつての親友が隣に座った瞬間、花の香りがふわりと漂う。


 まだこの香水使ってたんだ。


「べ、別に無視してなんか…」

「そ? じゃあ再会を祝してカンパーイ」


 掲げられたジントニックのコリンズグラスに、ウーロン茶のジョッキをそっと合わせた。


「イトもお酒、飲むんだね」

「あーね。てか飲んでないの、エイコくらいでしょ」


 ああ、まだ下の名前で呼んでくれるんだ。


 アルコールを摂っていないのに、胸の奥がぽかぽかする。


「それに酒でも入ってないと声かけられないでしょ。高校在学中、急によそよそしくなった元・親友には」

「うっ」




 わたしとイトは同じ高校に進学した。


 イトは中1の時から補習の常連だったので、家庭教師役を務めるのはずいぶん苦労したが、それでもなんとか2人そろって第一志望校に合格できた。


 受験生の間は勉強熱心だったイトも、高校に進学してからはすっかり元通りになってしまった。むしろ拍車がかかったというべきか。髪の色はさらに明るくなり、ピアスの穴も増えた。


 わたしは相変わらずの模範的な生徒で、生徒会役員になったり、テストの学年順位で1位をとったりしていた。


 やっぱりわたしたちは正反対だったけど、交流は続いていた。




 でもある日、本当に、何の脈絡もなく。




 わたしはイトを好きになった。




 友情の始まりと同じで、“なんとなく”だった。




 あるいは、髪をかき上げる仕草に見惚れたとか、蛇口の水を飲む姿にときめいたとか、きっかけはあるのかもしれない。


 何年も親友をやってきて、今さらどう振る舞えばいいのかわからなかった。


 次第にわたしがイトを避けるようになり、イトもそれを察し、三年で別々のクラスになったことでわたしたちの交流は完全に途絶えたのだった。


 わたしは逃げるように東京の大学に進学した。




「で、結局あれは何だったわけ?」




 グラスを傾けながら、横目でイトが尋ねてくる。


 そうだ、今なら言える。「ずっとイトが好きだったんだよ」って。


 お酒の席なら、きっと笑い話で済まされる。イトもうまく受け流してくれる。




 それなのに、わたしの口は動かない。


 だって笑い話なんかじゃないから。


 今でも変わらず、イトが好きだから。




 2人の間にだけ、沈黙が流れる。


「……じゃあさ、等価交換。代わりにあたしもひとつ秘密をカミングアウトしてしんぜよう」

「秘密?」

「そ。特にエイコには、墓場まで持っていくつもりだった秘密」


 意地の悪い笑みを浮かべ、イトがグラスを置く。


 ありえない想像をしてしまう。


 あるいは妄想。期待。願望。






「あたしね、今、女の人と付き合ってるんだ」






 世界が、止まる。






「今っていうか、元々ね。そっちが好きなの。大学の知り合いには普通に話してるけど、やっぱ地元の同級生にはなんとなく言いづらいじゃん?」


 口の中が急速に乾いていく。


 言葉が出てこない。愛想笑いが作れない。


「あ、でも心配しないで! エイコのことは一度もそういう目で見たことないから!」


 そういうって、なに?


 ちゃんと教えてよ。イトにとって、わたしはただの旧友?


 こうして2人きりで内緒話をしていても、ドキドキしないの?




 わたしは違うよ。


 その白くて細長い指に触れられたいし、漆黒の目でずっと見つめられたいし、薄桃色の唇に重ねたい。


「あの時は伝えてなかったけど、実はあたしも東京の大学に通ってるんだよね。てか今年から一人暮らし始めたんだ。エイコの大学からは遠いけど」

「……そう、なんだ」

「だからさ、またちょくちょく会おうよ。彼女も紹介したいし」


 やめて。そんなこと言わないで。


「きっとエイコとも相性いいと思うんだよね。あ、でも略奪は駄目ダゾ?」


 そんな度胸があれば、とっくに。


 もうイトとは会わないほうがいい。同窓会も切り上げよう。就職は地元でも東京でもないところで……。




「……うん、わたしもイトと会いたい」




 わたしの口からは、理性と反対の言葉がこぼれていた。




 いつか気持ちがあふれて、今度こそ決別することになっても。




 あとちょっとだけ、イトの温もりが届く距離にいたい。




 わたしはどこまでも、弱い人間だ。




「またよろしくね、親友」




 等価交換できるその日まで。




 わたしはもう一度、嘘をつく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る