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2024年2月20日 19:18
蜂蜜ひみつ様、此の度はたくさんの楽しい「塩っぱい」をお寄せ頂き、有難うございました。嬉しいことにこちらの作品は、「俳句は森羅万象を詠み、川柳は人を詠む」の原則に則りますと、無季俳句ではなく全て川柳でした!俳句には俳句の、川柳には川柳の魅力があるのはもちろんですが、カクヨムでは川柳にはライトの当る機会がないだけに、とても心強い思いで拝読させて頂きました。どの句も微苦笑の零れ落ちてしまうひと言で、特に「いらんもん 持つのも救い そうだろう」の句と、「意味なんて あってないよな ものだから」の句が大好きでした。これぞぼっち精神です!なのに、率直に申し上げさせて頂きますが、多くの句に、まだ十分に文芸化されていないつぶやきの段階に留まっているような軽さを感じてしまい、大変申し訳ございません。「痛い」とか「疲れた」と呟くだけでは意味は伝わっても、大切な何かが抜け落ちてしまっているような虚しさを感じてしまうのです。笑ったり怒ったりしている自分の思いを一旦離れてその姿を客観的に見つめ直し、写生することによって物事をして語らしめる作業こそが作品化するということではないかと思うのですが、いかがでしょうか?片言のような言葉遣いのたどたどしさも友未的に美しくないと感じてしまい、これも申し訳ございません。
作者からの返信
この度は丁寧にお読みいただいた上に、深く考察してコメントを賜りましてありがとうございます。友未 哲俊様の仰ること、ごもっともなことでございます。きっとこれは川柳というものでもなく、ただ字数揃えた1行詩で小説でありました。ここでは女性の私が作ったキャラクター俺氏の瞬間をカメラで切り取る。セリフが重要なファクターであります。例えば「痛い」は、なぜどんなと掘り下げ展開方向ではなく、自身を苦しめグジュっ一生膿み完治する事はないであろう、負った当時そう思い長いこと患ってた傷さえも、今ではそれにそっと触れ「ちょっと痛いな」と口に出してうそぶくこともできる、と、時の流れと男がその強がるようなセリフを口に出すその姿と空気感を書いています。「疲れた」は夜帰ってきて独りごちた薄暗いにそのセリフが消えゆく様を。ただこういったタイプのものは、やはり詩や小説という形態にて、ディテールの細かい描写を行う絵画的色付け方法が、自身に似合っているのかも知れません。作風は濃い色や暗い色を直接書き込みのではなく、軽やかに光を当て、そこにできる陰影を見るか見ないかは、読み手の自由、読み手が自分に当てはめフィードバックさせ空想で遊ベるようにするという、作者の狙い通りですので、むしろお言葉ありがたく思います。また作者自身もこういった本人資質に対し、友未 哲俊様の言う通りかと以前より理解しております。まさにこの作風でこういった俺詩がございます。「ナチュラルボーン・プラスチック」https://kakuyomu.jp/works/16817330659973113361/episodes/16817330660622421334何よりも自由を愛するので、字数制限は苦手であります。精進していつか友未 哲俊様のお眼鏡にかなうものが書けるようになりますれば、またお会いできれば幸いです。(大事な企画に美しくないお目汚しをお持ちしてしまい申し訳ございませんでした。そっとお離れいたしますので何卒お許しくださいませ)貴重なお時間を割いてご指導賜わりまして、誠にありがとうございました。ますますのご活躍お祈り申し上げます。
蜂蜜ひみつ様、此の度はたくさんの楽しい「塩っぱい」をお寄せ頂き、有難うございました。嬉しいことにこちらの作品は、「俳句は森羅万象を詠み、川柳は人を詠む」の原則に則りますと、無季俳句ではなく全て川柳でした!俳句には俳句の、川柳には川柳の魅力があるのはもちろんですが、カクヨムでは川柳にはライトの当る機会がないだけに、とても心強い思いで拝読させて頂きました。どの句も微苦笑の零れ落ちてしまうひと言で、特に「いらんもん 持つのも救い そうだろう」の句と、「意味なんて あってないよな ものだから」の句が大好きでした。これぞぼっち精神です!
なのに、率直に申し上げさせて頂きますが、多くの句に、まだ十分に文芸化されていないつぶやきの段階に留まっているような軽さを感じてしまい、大変申し訳ございません。「痛い」とか「疲れた」と呟くだけでは意味は伝わっても、大切な何かが抜け落ちてしまっているような虚しさを感じてしまうのです。笑ったり怒ったりしている自分の思いを一旦離れてその姿を客観的に見つめ直し、写生することによって物事をして語らしめる作業こそが作品化するということではないかと思うのですが、いかがでしょうか?片言のような言葉遣いのたどたどしさも友未的に美しくないと感じてしまい、これも申し訳ございません。
作者からの返信
この度は丁寧にお読みいただいた上に、深く考察してコメントを賜りましてありがとうございます。
友未 哲俊様の仰ること、ごもっともなことでございます。きっとこれは川柳というものでもなく、ただ字数揃えた1行詩で小説でありました。
ここでは女性の私が作ったキャラクター俺氏の瞬間をカメラで切り取る。セリフが重要なファクターであります。
例えば「痛い」は、なぜどんなと掘り下げ展開方向ではなく、自身を苦しめグジュっ一生膿み完治する事はないであろう、負った当時そう思い長いこと患ってた傷さえも、今ではそれにそっと触れ「ちょっと痛いな」と口に出してうそぶくこともできる、と、時の流れと男がその強がるようなセリフを口に出すその姿と空気感を書いています。
「疲れた」は夜帰ってきて独りごちた薄暗いにそのセリフが消えゆく様を。
ただこういったタイプのものは、やはり詩や小説という形態にて、ディテールの細かい描写を行う絵画的色付け方法が、自身に似合っているのかも知れません。
作風は濃い色や暗い色を直接書き込みのではなく、軽やかに光を当て、そこにできる陰影を見るか見ないかは、読み手の自由、読み手が自分に当てはめフィードバックさせ空想で遊ベるようにするという、作者の狙い通りですので、むしろお言葉ありがたく思います。
また作者自身もこういった本人資質に対し、友未 哲俊様の言う通りかと以前より理解しております。まさにこの作風でこういった俺詩がございます。
「ナチュラルボーン・プラスチック」
https://kakuyomu.jp/works/16817330659973113361/episodes/16817330660622421334
何よりも自由を愛するので、字数制限は苦手であります。
精進していつか友未 哲俊様のお眼鏡にかなうものが書けるようになりますれば、またお会いできれば幸いです。
(大事な企画に美しくないお目汚しをお持ちしてしまい申し訳ございませんでした。そっとお離れいたしますので何卒お許しくださいませ)
貴重なお時間を割いてご指導賜わりまして、誠にありがとうございました。
ますますのご活躍お祈り申し上げます。