第79話 Another View 「クラナと里長」

 暑い。


 まだ夏は先だというのに、里は茹だるような熱に侵されていた。


「おい、クラナ」


 悪いのは照りつける太陽かそれとも──


「おい、クラナっ! 危ないぞ!」

「──えっ? アッ!?」


 いや、違う。暑いのは火のせいだった。いけない。火を扱っているときに集中が切れるとは……。


「ばかもの。火傷するところだったぞ」

「うぅ……申し訳ありません」

「はぁ……まったく。もういい。今日は炊事場から出ろ」

「ええっ!? そういうわけにはいきません! おばあ様! 一体誰が食事を用意するというのですか!」

「何を言うか。飯の支度くらい私にもできる」


 結局私は主戦場と言うべき炊事場から追い出されてしまった。


 何をやっているんだ、私は……。


 しばらくして、おばあ様が食事を作り終えた。テーブルへ並べるのを手伝ったのだが、どの皿も少し火が通りすぎなこと以外は自分の作るものと変わらない出来だった。


 それはそうだ。元々料理は私が忙しいおばあ様の助けになりたいと会得した技能だ。そして、それまではおばあ様自身が作っていたわけで……。


 これでは里長の孫として失格だな。いや、そもそも料理が出来るからといって里長の孫としてふさわしいかどうかという話だが。


「クラナ。いいから食べなさい」

「あ、はい……」

「そういえば、笠瓜の仕込みの量が随分と多かったな。あんなに使いきれるのか?」

「えっ、あっ……すみません。間違ってリアの分も勘定に入れていました」

「そうか。あれは足がはやい。次は気をつけなさい」

「はい」


 またひとつミスが発覚した。無意識だったのだ。リアの分を2年間作り続けていたから。


 そう、これはただのうっかりミスである。うぅ……今日は落ち込むなぁ。


「ところでリアのことなんだが」

「えっ!」

「……なんて顔をしてるんだ」

「いえ、別に、なんでも……それでリアがどうしたのですか?」

「いやこちらも大したことではない。あの子に私のことを話してなかったなと思ってな」

「おばあ様のこと?」


 なんだろう。リアに話していないこと。おばあ様のことは正直、私も知らないことが多い。


「姿のことだよ。今私は里をまとめ上げるためにこうやって見た目を威厳のある姿に変えているが、一度も本当の姿をあの子に見せなかったのは少し後悔している」

「そうなのですか?」

「ああ。家族だからな……」


 うん。おばあ様の言う通り、リアも家族なのだからなるべく隠し事はしたくない。


 おばあ様の本当の姿を見たリアはきっと鼻の下を伸ばすんだろうな。……なんかムカつく。


「あの子の旅立ちが頭から離れないんだ。なんというか、こう……息子のことを思い出した」

「え、お父様?」


 なんでそこでお父様なんだ。リアは女の子だぞ!


「アンタの父も新しい村を作るため私の元を離れたとき、ああやって公衆の面前で女の唇を奪っていたからな」

「そうなのですか!?」

「おや、知らなかったのか?」

「知りませんよ!」


 私の記憶にあるお父様は、気の強い母を支えるようなそういうタイプの人間だった。その口から冗談を聞いた覚えもなく、ただひたすら優しかったという印象だ。だからお父様がそんな軟派な男だったとは知って少しショックだ。


 ……いや、そんな話母もいるあの村で、娘である私に聞かせるはずないか。お父様は昔、どこの女に懸想をしていたのだ。


「すごく難しい顔をしているが、安心しろ。奪った唇は私の愛弟子のものだ」

「おばあ様の愛弟子というと、えっと……」


 おばあ様は少し照れくさい話をするとき、こうやってすごく回りくどい言い方をする。


 おばあ様の愛弟子というと……私? なわけない。


「あっ、もしかしてお母様?」

「そうに決まってるだろ」

「ほっ……そうですよね」


 安心した。というよりも和んだ。まさか両親すら話さなかったエピソードを今になって聞くことが出来るとは。


「そういえば、お父様は新たな安住の地を求めて、北へ向かったんですよね。お母さまや他の人たちと合流したのはどのくらい後になるのでしょうか」

「そうだね……あの子が一旦里へ戻ってきたのは確か……出て行って30年くらい経ってからだったかな」

「さ、30年……」

「まあ、アンタの両親は共に長命種だったから、そのくらいの時間は問題ない」


 長命種が持つ時間の感覚は一応その分類にいる私でも少し引いてしまう。もう少し長生きすればわかるんだろうか。


「まあ、その、だからというか、アンタも気長に待つといいよ。お互い、長い時を生きる種族なんだからさ」

「はい。そうです……ね?」


 あれ? 今どういう話の流れだっただろうか。


「いえ、その、確かに私はリアが戻ってくる日を待っていますが、その……」

「いい。面映ゆいことを言ってしまった」

「いや! その! おばあ様は何か勘違いをしていませんか!?」


 そうだ。この話はリアが私に口づけしてきた話が発端だった。


「あの、おばあ様。私とリアはそういうんじゃないですからねっ!」

「誤魔化さんでいい。私には理解があるから」

「いや、誤魔化しとかじゃなくて! リアは私にとって妹分であって!」


 私は必死にリアとの関係を否定した。


 私とリアの素晴らしい関係を色恋などというものに当て嵌めたくないという崇高な気持ちが1割。その他はまあ、照れくささ。そんな私を見て、おばあ様は温かくほほ笑んだ。


「惚れた腫れた、というのは思いもよらない所からパッと立ち現れては消えていくものだ。今まで妹のように思っていた相手にそういう気持ちを抱いたとしてもなにもおかしくはないよ」

「いやだから!」


 拙い。お父様のことも相まって、おばあ様は完全に私とリアの関係を応援する態勢に入った。


 そもそもリアと私の関係ってなんだ。私たちは同性じゃないか。ありえないだろう!


 ふと、リアの顔を思い浮かべる。キリっとした大きな目と形のきれいな鼻。肌は白くて綺麗でかわいい少女だ。そんな相手に私が懸想をするなんて……。


 というか何故おばあ様は同性同士という不毛な関係を応援するのだ。


「おばあ様。もし私がリアとそういう関係になったとして、おばあ様はそれでいいのですか?」

「いいに決まっているだろう」


 竹を割ったような返事に私は呆気にとられた。


「え、いや、待ってください。そもそも私が女性と結ばれた場合、世継ぎを作ることが出来ません! そんなこと、里長の血族として許されませんよ!」

「世継ぎ? そんなもんはいらん」


 「孫の顔が見たくないわけではないがな」とおばあ様は付け加えた。


 世継ぎがいらないとはどういうことだ? おばあ様はこの里の運営を放棄する気なのか?


「……実はな。ひとつ考えがあるんだ」


 困惑する私を見かねておばあ様は説明を始めた。


「私がリアを向かわせた国にルーナという狸がいることは教えただろう?」

「ああ、おばあ様の幼馴染という」

「そうだ。そやつが昔魔女と再会した際に、『選挙』というものを教わったそうだ」

「選挙?」


 聞き覚えのない単語に私は首を傾げた。


「これは民衆が指導者を選ぶシステムで、実は大昔に南の大陸でも記録のあるものらしい」

「指導者を選ぶ……」

「そうだ。ルーナが関わっているネイブルという国では似たようなことをしているらしいが、魔女から聞いたものを再現はできていないそうだ」

「ふうむ。難しいのですね」


 民衆が指導者を選ぶ。そんなことが可能なら、支配者の世継ぎ問題は起こり得ないし、愚鈍なものが権力を握ったときそれを覆すことも比較的容易だ。なんだか理想に聞こえる。


「うむ。難しい。魔女の話すシステムには問題もあるんだ」

「え、問題ですか?」


 恥ずかしながら、まったく思いつかない。


「まず、選ばれなかった指導者候補を推していた人間が出るということだな」

「それは仕方ないのでは? その人間が少数派ということになりますし……」

「本当に少数だったらな。例えば、1人の支持が足りなくて選ばれないものが出たらどうする?」

「えっ」


 その候補者を選んだ人たちの意見は届かないということになる。それでは拙いのでは?


「それが問題だ。それともうひとつ。例えば、バカな民衆が選んだ指導者は優秀と思うか?」

「えっとそれは……」


 言いづらい。確かに考えの足りない人間が選ぶと、やはりその程度の者に決まるんだろうと思う。


「そう、このシステムは選ぶ側の方が非常に大切なのだ」


 おばあ様はため息をついた。


 確かにそう考えると難しいな。でもおばあ様はこの方法をこの里で試すようなことを言っていた。ということは何か策がある?


「そこで、だ。私は数年前からこの里に種をまき続けている」

「はぁ……」

「気付かんか? 毎日、子供たちを集めて読み書きを教えているだろう?」

「えっ、まさかその『選挙』ために?」

「まあな。ただ、今すぐという話ではないよ。数十年、いや百か。少しでも里の人間の教育レベルを上げるのだ」


 単純に里の生活で文字の読み書きをすることは多くない。それでもその機会を増やそうとしているのはそんな思惑があるからだったのか。遠い話だ。


「とにかく私の後継者は『選挙』で今後決めることになるだろう。いろんな色が混ざり合ったこの里ではそれが一番いいと思うから」


 ハッキリとおばあ様は言った。そうか、私は後継者でも、何でもないんだ。


 少し現実感がない。私は当然おばあ様の跡を継いで自分が次期の里長をするものだと思っていたからだ。でもその必要はないと。


「そもそもアンタは里長に向いてないと思うんだ」

「えっ」

「指導者は時には里のために非情な決断を下す必要がある。例えばだ。もしリアがこの里にふさわしくない人物だったとして、お前はその首を切れるか?」

「首っ!?」


 私は頭をブンブン横に振った。そんなの無理に決まっている。


「それが指導者に求められる能力のひとつだ」

「そう……でしたか」


 私はガックシと肩を落とす。なぜこんなに私は悔しいのだろう。そこまで里長になりたかったのか?


 憧れがないとは言わない。何せ、私の尊敬する両親が村の長だったからな。娘の私も、という気持ちは当然ある。


 だが、初めて考えさせられた現実にそれらがぼやかされていく。


 ──私ってなんだろう。


 ふと思った。


 今まで里長の孫という肩書はそれだけで意味のあるものだと思っていた。でも、実はそうではない。それはただの血のつながりであって、『クラナ』と呼ばれてはいるものの、私自身に敬われる程の価値はない。


「里長向きでないだけで、もちろんクラナにはクラナのいいところがある。リアだってそこに惹かれたのではないだろうか」


 いつもは厳しいおばあ様が慰めるように言った。本当にそうだと信じていいのだろうか。


 リア。お前は私のどこを好いてくれたんだ?


 今も何処か知らない場所で頑張る妹分を想う。

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