凄惨な光景が繰り広げられた屋内で、尚も残った十六人と度会はそこにいた。

「いやぁ、ありがとね、香久山くん、球磨川くん、八坂くん。手筈を整えてくれて」

 やはり、これの主目的は度会を呼び出すことにあったらしい。

「これでちょっとはすっきりしたよ」

 度会はそう語った。どれほどの暗い憎悪が彼を支配していたのか、よくわかる。

「……それで、みんなが綺麗さっぱり忘れてしまった理由なんだけど」

 塞は躊躇い気味に口を開いた。度会はん? と塞を見る。

「夏休みが終わっても、ここに残る人たちは君の死を悼んでいた。けれど、どうしようもないことが起こったんだ」


 一年前、八月末。

 夏休みが終わって、新学期が始まる。

 八月一日は、塞や八坂と朝早くに登校して、仏花を生けていた。

「まさか、これをやらなきゃならない日が来るなんて……」

 三人が三人共、苦々しい面持ちだった。

 机の上に花を生ける。さも死んだかのように見せて除け者にするとても初歩的ないじめ。けれど三人のやるこれはいじめではない。

 本当に、度会は死んでしまったのだ。

 気づけば八月一日は涙を流していた。八月一日は度会を目の前で亡くしてから、一ヶ月近く経つ今も、時折こうして放心状態になることがあり、日常生活に支障をきたすこともあるという。見かねた親は八坂の寺で療養するように、と預けていた。精神科に行くのが妥当であろうが、それは八月一日が拒否した。

 もっと行くべき人が行っていないのに、自分に行く資格なんかない。あの子を救えなかった自分に。

 そう、涙したそうだ。

 まだ心が完全に癒えたわけではないようだが、八月一日は自分の意志で学校に来ることにしたそうだ。

 花瓶に水を入れ、花を挿す。

 それを割らないようにと教室に運び、度会の席だった机に置いた。三人で黙祷を捧げる。

 そうしていると、突然教師が入ってきた。自分たちの担任だ。まだほとんどの児童が登校していないこの時間に来るとは何事だろうか、と三人は黙祷を中断して、教師を見る。──鶯色の目が印象的な、見慣れぬ子を連れていた。

「あ、三人共おはようございます」

「おはようございます」

 挨拶をするが、担任はどこか慌てているようだった。

 せかせかとした様子で鶯色の目の子の背を押し、早口に紹介する。

「今日からこのクラスに転入してくる汀相楽くん。机の搬入が遅れたから、この席使うよ。私物が残ってないかの確認、手伝って」

「え、でもここは夏彦くんの……」

「度会くんはいなくなっちゃったんだから」

 担任はそれだけ言うと何その花瓶、と塞たちが生けた花を見咎める。度会を悼むための花だ、と説明しようとしたのだが。

「いじめは駄目だよ?」

 勘違いしたらしい転校生──相楽の一言に、三人は言葉を失った。八月一日が錯乱状態に陥り、八坂がそれを介抱するため保健室に連れていく。取り残された塞は仕方なく、花を捨てに行くことにした。

 ショックだった。担任が何事もなかったかのように言うのが。来たばかりの相楽が、度会の存在を知らないのは仕方ない。けれど、それは担任が説明していなかったということ。

 何も知らない児童からだからこそ、その一言は効いた。

 僕たちのこれはいじめじゃない。

 言いたかった。けれど、言葉が出なかった。

 塞は花瓶の水を流しながら、一人えぐえぐと流しで泣いた。

 そこに後ろからガッと頭を流しの中へ突っ込まれ、強かに顔面を打ち付ける。何事かと振り向けば、葉松がよぉ、と取り巻きの佐藤たちを連れて、それがさも普通の挨拶であるかのように、塞に接した。

 塞は鼻からたらりと生温かいものが流れるのに気づき、拭うと、鼻血が出ていた。

 そんなことにもお構い無しに、葉松は花瓶と花を見て、勝手な憶測を立てる。

「ああん? 塞のくせにいじめでもしようとしてたのか? 生意気だな」

「生意気生意気ー」

 囃し立てる取り巻き、何もわかっていない葉松に、塞は絶望した。

「まさか……覚えてないの……?」

「はぁ? 何のことだよ?」

 葉松は『壊れた玩具』のことなど、この夏休みで忘れたらしい。

 朝の会に相楽が元・度会の席に着いてしまえばもう、




 度会夏彦という存在は、クラスから消えてしまったのである。






「そ、んな……」

 誰よりも絶句していたのは、相楽だった。その鶯色の瞳には罪悪感が漂っていた。

「そんなひどいことがあったのに……僕のせいで……」

 罪の意識に囚われ、相楽は頭を抱えていた。知らなかったとはいえ、自分が度会の忘れられる引き金となってしまっていたのだ。衝撃だったにちがいない。

「ごめんなさい……なんて、言ったらいいのか……」

 相楽が度会に頭を下げるが、度会は気にした風もなく、いいんだよ、と告げた。

「言ったでしょ? 元から何も知らない人を恨むつもりはないって。僕はそこまで性根は腐ってないよ。すぐに謝ってくれた君もね。腐ってるのは、忘れてしまった、忘れようとしたあいつらさ」

 息絶えた無数の死体、葉松が残した血の跡……様々な地獄のような光景が、そこにあった。

「でも、何もここまでやる必要はなかったんじゃ……」

 相楽が控えめに問う。しかし、度会はそれをすぐさま一刀両断した。

「何もここまで? はっはっは、笑わせてくれるね。僕はまだ、しかやり返してないんだよ?」

 その瞳はどこまでも、黒く、黒かった。

「でも、これくらいにしとくんだ。だって、見るだけの君たちにはキツいだろう?」

 ……? 度会の言う意味がわからない。

 戸惑う塞たちをよそに、香久山や球磨川は何やら察したようで、仄かに笑う。

「なるほどなぁ。これが僕たちへの罰か」

「……巻き込んでしまって、悪いね」

 球磨川の呟きに、ニヒルに応じる度会。

「でも、クラスの不祥事はらしいからさ。そこは本当にごめんね。頑張って耐えてね」

 そう言うと、度会は懐中電灯を置いた。






「じゃあ……またね」


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