思い出したのか、球磨川の目に光るものが見えた気がした。

「僕はあの日、なつくんに助けられたんだ。『手押し車のおばあさん』の交差点で、僕は偶然そのおばあさんが飛び出すのを見かけて、止めようと自分も飛び出しかけて……腕を引かれて、気づくとおばあさんなんていなかった」


 七月三十一日の昼。

 球磨川は家のお使いで町に出ていた。あの日はコンクリートから陽炎がゆらゆらと立ち上るほど暑かった。

 冗談にならない暑さの中、球磨川は手押し車で信号無視して飛び出すおばあさんを見かけた。焦って引き留めようとし、ぐい、と腕を引かれた。

 真夏の暑さが見せた幻影か、それとも都市伝説の具現か、どちらかはわからなかったが、鼻先数センチのところを大型トラックが過ぎたのは、さすがに心臓に悪かった。

 振り返ると、度会がいた。

「危ないよ、球磨川くん」

「あ、ありがとう……」

 何故隣町の彼がここにいるのだろう、と不思議だったが、命の恩人だ。ひとまず礼を言った。

「集合にはまだ時間あるよ?」

 それとなく疑問を舌に乗せると、度会はあはは、と笑った。

「ちょっと楽しみすぎて早く来ちゃった。でも忘れ物したから家に帰らなくちゃ」

「おやおや」

 それにしても、と度会は愉しげに笑う。

「今の、都市伝説の『手押し車のおばあさん』じゃない?」

「うん、だとしたら生でお目にかかれて光栄だ」

「よしなよ、あとちょっとで死んでたかもしれないんだよ」

 内容は洒落にならないが、端から見たら、和やかな小学生の会話風景。球磨川もそう思っていた。

 けれど、振り返ってみれば、その時点で度会は、ふらついていた。

 そのまま見送った背中はどこか小さく、頼りない。

 けれど、それが悲劇に繋がることを、球磨川は露ほども知らぬまま、じゃあ、またね、と度会と別れた。

 それが叶わぬと知らぬまま。


 この数十分後に、度会は事故に遭う。

 奇しくも最期に言葉を交わしたのは、球磨川だったのだ。


「……いや、球磨川くんを救えたのは、汚点の多い僕の人生の中で、数少ない誇れることだよ」

 度会は球磨川に寄り添い、背中をさする。球磨川が耐え兼ねたように踞り、嗚咽する。

 そんな球磨川に代わり、香久山が話を引き継いだ。

「僕たちは当然、真実を知りたかった。だからお盆に、八坂くんの寺を訪れたんだ」


 お盆。客が多いであろう寺だが、重要な話し合いということで一日だけ手伝いを休み、八坂はクラスメイトを招いた。予め、七月三十一日に連絡を回していた。

 だが、集まったのは、球磨川、香久山、五月七日、八月一日の四人。

 他の面々は都合が悪かったり、体調不良だったり……そもそも話に興味がなかったりと様々だ。

 一番最後が圧倒的に多かった。悲しいことではあるが。

 そこで、二週間ほどでだいぶショックから立ち直った八月一日が、あの日、目撃したものを説明し、他にも、何故そうなってしまったのか、集められる範囲で集まった情報を交換した。

 そこで五月七日が持ってきたのが、興味深い情報だった。


 あまり人と話す印象のない五月七日だが、実は、霊感持ちでありながら落ち着いた所作というのが、いじめられっ子たちには安心をもたらすようで、時にいじめられっ子の相談役になったりすることもあった。

 そんな五月七日は、星川からこんな証言を得ていた。


「あ、あの日、ぼ、ぼくは『遊ぼうぜ』と言われて、その……逆らうと、痛くなるの、わ、わかってたから、でもまあ結局『遊び』でも痛くなるんだけど……葉松くんに逆らうこともでき、なくて……」

 どうやら、その『遊び』とやらに度会も巻き込まれたらしく、ぼこぼこにされたらしい。しかも星川を庇ったりしたため、いつもより数段暴力はひどかったらしい。

 葉松だけではなく、佐藤コンビや佐々木、稲生にまで殴る蹴るを繰り返されたらしく、彼らが帰る頃には歩くのもやっとなくらいだったという。

 しばらく星川が介抱していると、大丈夫だと立ち上がり、とても大丈夫ではなさそうな覚束ない足取りで去ったのだという。

「そのときにこのはくんには『また夜にね』と言って別れたらしいから、自殺の意志があったとは断定できないわ」

 その五月七日の推測に、八月一日が歯噛みする。それはつまり故意に落ちたのではなく、本当に事故だったということではないか……

 やるせなさに八月一日がまた泣き出し、八坂が宥めた。


「あ、あの日、わ、たらいくん、忘れ物……って帰ってった、のは、ぼ、ぼくも聞いたんだ」

 星川がそう告げる。

「で、でも、ひゃっく物語で持ち寄るもの、なんてほとんどなかったから変だなって……何忘れたか聞いたら、ろ、蝋燭って……」

 八坂が目を見開き、やるせない表情で拳を畳に叩きつける。

「蝋燭の一本二本くらい、用意できたのに……」

「僕も聞いてれば……」

 球磨川の顔も悔恨に歪む。度会は乾いた笑みを浮かべ、大丈夫だよ、と告げる。

「偶然が重なっちゃっただけだよ、あの事故は。それで話し合いは終わったの?」

「そんなわけないでしょ」

 香久山が笑う。

「それで終わったなら、今日こんなことはしてないよ」


 それは、今日の百物語の発端となる話し合いにもなったのだ、と香久山は語る。

「ねぇ、五月七日さん。夏彦くんの幽霊は見かけた?」

 香久山が、情報交換を終えると、そんなことを訊ねる。

「夏彦の? ……まだ風鳴駅にも行っていないから、わからないわ。もしかしたら、いるかもね。……もしいたとして、どうするの?」

「それはね、もちろん、あの子を、










 救ってあげるんだよ」


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