その男の子──度会夏彦は、ようやく名前を口にした葉松を冷えた目で見据えた。

「そうだよ。よくできました。僕の名前は度会夏彦。妹尾さんと汀くんだっけ? ははじめまして」

 妹尾姉妹は警戒しつつも会釈し、相楽はニコニコと笑ってはじめましてと返していた。

「一つ、気になることがあるんだけど」

 相楽が口を開いた。

「去年、君と入れ替わりで僕は転校してきたんだけどさ、それだけの事件があって、みんな忘れてたって、不自然じゃない?」

 確かに、その通りなのだ。

 一年前とはいえ、これだけ衝撃的な出来事だ。それをみんな忘れてしまっていたなんて、悲しすぎやしないか。……そんな相楽の意見はもっともである。

 そこで塞は相楽の肩を叩いた。振り向いた相楽に告げる。

「みんながみんな、夏彦くんを忘れていたわけじゃないんですよ」

 残っているみんなを示す。もちろん、葉松以外だが。

「なんでこのメンバーが残されていると思いますか?」

「うーん」

 度会は最初に言った。「さて、僕は誰でしょう?」と。「思い出して」と。

「委員長は覚えてるみたいだったし、山茶花ちゃんも覚えてるみたいだった……ん?」

 そこで相楽は気づいたらしい。

「もしかして、みんなは覚えてたの?」

 すると、香久山が笑う。

「誰がこの百物語を計画したと思ってるの?」

「塞くんならこの日にすると思ってたしね」

 球磨川も続く。他の面々も一様に頷き、八月一日が重たそうに口を開いた。

「風鳴駅で、飛ばされるのを見たって言っただろう?」

 そう、八月一日は確かにそう言っていた。つまり。

「まさか……」

「その通り」

 八月一日は、度会が駅に落ちていくのを目撃していたのだ。それならば、忘れられるはずもない。

「まあ、話してもいいか? 夏彦に伝えるって意味でも、俺たちの『それぞれの一年』ってやつを」

 八坂がそんなことを言う。誰も異論は唱えなかった。

 いじめで亡くなった子どもが、何故ほとんどのクラスメイトに一年で忘れ去られたのか。ちゃんと、経緯があるのだ。


「まずは僕からかな」

 八月一日が口を開く。事件を目撃した本人なのだ。彼から話を始めるのが妥当だろう。

「あの日も当然、今日みたいに夏休みだったんだ。茹だるような暑さの中、僕は、塾に行くために風鳴駅で電車を待っていた」


 八月の手前なので、家がお盆の準備で忙しいため、人はまばらだった。快速電車の五分後に来る普通電車に乗るためにホームで待っていたのだ。

 そんなとき、ふと、ふらふら現れたのが度会だった。度会のふらふら加減をおかしいと思い、声をかけようとしたら、駅のアナウンスが鳴った。

『間もなく、快速電車が通ります。この駅では停車致しませんので、お客様は白線の後ろに下がり、お待ちください』

 そのアナウンスは駅の構内に充分に響くものだったため、八月一日は声が届かないのを危ぶんで、一旦止まったのだが、それが間違いだった。

 度会はアナウンスが聞こえていないかのようにふらふらと歩き、白線を踏み越え──

「待って!」

 八月一日の叫びは通りすぎる快速電車に掻き消された。手を伸ばそうとしたが、誰かが後ろから引き留めていた。

「ちょっと、危ないわよ」

 そう言って八月一日を抱き留めたのは、八月一日と同じく塾に向かおうとしていた宵澤だった。


「あのときは蓮の正気を疑ったわ。確かにあの日は暑かったし、塾に行くのも億劫なくらいだったから、蓮も熱中症か何かで倒れるのかと思って慌てて……その向こうに度会がいるのに、気づいていなかった」

 悔やむように宵澤が告げる。しかし、それはある意味仕方のないことではないだろうか。

「人の手は二つしかない。それで掴める以上のものは捕まえられないよ」

 度会はそう、宵澤に微笑んだ。つまりは宵澤のことを恨んでいるということはないらしい。

「むしろ八月一日くんが巻き込まれそうなのを止めたんだ。一人の命を救ったことは誇ってもいいと思うよ」

「でも……」

 そんな簡単に、心の中で処理ができたら、どんなに楽なことか。現場にいた二人は、決して拭い去れない悔恨をずっと胸に抱いていた。

「蓮が『夏彦くんが』って叫ぶのはよく聞こえたけど、轟音が過ぎ去るまで、どういうことかわからなかった」


 轟音が過ぎ去り、しばらくして──駅を通りすぎてから、運転手が何かを轢いたことに気づき、ブレーキをかけた。その頃にはもう手遅れ。時速百キロ以上出ている電車に轢かれて助かる人間などいない。

 度会の遺体はもう人間だったのかどうかすらわからないほど原型を留めておらず、八月一日の証言がなければ、度会と断定されなかったであろう。

 特に持ち物もなかった度会、八月一日に目撃されていただけでも行幸と言えるだろう。

 度会の死はすぐさま両親に伝えられ、八月一日の口から、八坂にも伝えられた。


「あの日は驚いた。いつもより断然に蓮が暗かったから。まめな蓮が塾に行かずにうちに来たのも驚いたが」

 その日は、電車は運行見合せとなり、八月一日と宵澤は塾を休むこととなった。

 八月一日は事故についての聴取を受けてから家に帰り、ひどい顔色をしていたため、親に心配されたらしい。「何かあったの?」と言われたが、到底答える気にはなれず、親に心配させるわけにはいかないと家を飛び出し、八坂の許に行ったのだという。

 八坂は不思議そうに八月一日を迎え入れ……自室に入った途端、自分にすがって泣き始めた八月一日に非常に驚いたとか。

 落ち着くまで何も聞かずに背中をさすったりして慰めていた八坂だが、八月一日から話を聞くより先に、思いも寄らぬところから情報を得た。

 八月一日を慰める最中、母が来て、三日後に葬儀の予定が入ったと聞いた。普段はそんなことをいちいち伝えてきたりしないのだが、と不審に思っていると、母は度会の名を出した。度会の両親がわざわざこの寺まで出向き、ここで葬儀をさせてほしい、と頼みに来たらしい。それで、八坂は度会の死を知った。

 八坂と度会は特別仲がよかったわけでもない。言うなれば普通。時々、葉松から逃がすのに一枚噛んだりしていたが、普通のクラスメイトだった。いじめを受けているのを知っていただけに、とうとう自殺に至ってしまったか、と自分の無力を呪った。

 その後、八月一日から、どうも自殺とは趣が違うらしい、と聞き、八坂は自ら度会の死の真相について調査することにしたのだった。


「なぁ、隆治、これは覚えているか?」

「あん?」

 八坂の問いかけに、相変わらずの態度で応じる葉松。次いで八坂から放たれた事実はやはり今日、この日に百物語が行われた意味を裏付けするものだった。


「去年の七月三十一日も、ここで百物語をする予定だった。けれど突然中止だと言っただろう? その理由が、度会の死だったんだよ」

 それなのに、お前たちは、と珍しく感情の滲んだ声……怒りの籠った言葉を唱える。

「俺が寺を貸せないと知ると、度会の死なんてお構い無しに……別な場所で集まって、百物語をしたんだ」


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