懐中電灯が回って、次にぼう、と顔を照らし出したのは。

「わあっ」

「うおっ?」

 佐藤コンビのお調子者、譲二だった。

 香久山や球磨川を見習ってかどうかはわからないが、隣にいたもう一人の佐藤、嗣浩を驚かしていた。

「ったく、驚かすなよな」

「んー、山川ほど上手くは行かねぇか」

「いや、驚いたわ」

 コントのような二人のやりとりに空気が和らぐ。

 佐藤コンビがいじめっ子勢だがこうしたムードメーカーなところもあり、どこか憎めない。

 譲二はただのお調子者だし、嗣浩は煽り専門だ。直接的なことは何もしていない。ただ、葉松派閥に所属していることが明らかなだけで。

「とりあえず、始めるぞー」

「ういー」

 緊張感のない嗣浩の返事にがくっとしながらも譲二は口を開いた。

「じゃあおれは七不思議ネタ。

 姉貴の友達がさ、『トイレの手』っての見ちまったらしいんだよな。

 あ、みんなは『トイレの手』って怪談知ってる? うちの学校の七不思議の一つなんだけど。定番の花子さんじゃないのはご愛嬌かな」

 確かに、学校のトイレに関する七不思議で花子さんじゃないというのも変わっている。

「いや、でも歴史あるんだぜ? 今でこそ水洗だけど、まだ和式トイレだろ? まあうちの校は田舎だからな。少しずつ洋式も取り入れてるらしいけど、件のトイレはまだ入れ替わってないらしいなぁ」

 件のトイレとは『トイレの手』の怪談のトイレだろう。まあ、洋式に変わったら出て来なくなるかどうかは不明だが。

「そのトイレは昔、大きい穴のぽっとんだったらしくてさ、一回、小柄な児童が誤って転落、行方不明になる事件があったって。その子どもが手の正体だって、専らの噂だよ」

 譲二はさらりと話したが、結構悲惨な事件だ。現場がトイレというと少々気が抜けてしまうのは否めないが、その後その子は行方不明とされて未だに見つかっていないというのだから、それなりの事件である。

 「でさ」と、ここからが本番らしい。

「あるとき件のトイレに入った姉貴の友達が、なんかの拍子に大切にしてたキーホルダー落としたらしくて。まあ鍵とかはつけてない、本当にキーホルダー単体だったらしくてさ。問題はないんだけど、姉貴がその子の誕プレに渡したやつで、すっげぇ大事にしてくれてたみたいだから、申し訳なさそうにしてたんだって。

 うーんとね、デザインは手芸で作るような色んな形のビーズを糸に通してやったやつ。やっぱ姉貴もその子も女子だからかな。きらきらしてたのを一回見せられたよ」

 キーホルダーのデザイン云々の話はいらない気もするがそれはなんとも御愁傷様である。

「その数日後、偶然にもその子は何気なく同じトイレに入って用を足したんだって。で、水を流してからさ、あの、和式トイレの奥まったところから、唐突に小さな手がにょきっと伸びてきてさ、バイバイするみたいにその子に手を振ったらしいんだなぁ。

 声も聞こえたらしいよ。

『なんだかよくわからないけど、きらきらくれて、ありがとう』

 ってさ」

「それってもしかして……」

「そう。ぽっとんトイレの時代の子だ。ビーズの飾りでも真新しくて珍しかったんだろうな。礼を言ったってことは、喜んだってことだし。

 案外、噂よりいいやつなのかもな」

 これにて一幕、なんて言ってから、譲二は「あ」とやらかしたとでも言いたげな表情になる。

「……やべ、全然怖くねぇ話になった」

「ど阿呆」

 嗣浩がどつくが、まあ、一応これでも七不思議の怪談なのだ。よしとしよう、と球磨川が宥める。

 空気もなんだかほっこりした中、ゆらりと蝋燭が消えた。


「次は俺か」

 そう懐中電灯を手にしたのは須川。

 須川も目立たない部類の人物だ。ただ、何もしていないけれど目付きが壊滅的に悪いというのが隠れた特徴だ。その特徴故か、自ら目立つようなことは避けている。

 浮かび上がった顔は、やはり目付きが悪かった。ただし、間違っても誰も見ない。葉松などを見ようものなら、ガンを飛ばしたといちゃもんをつけられること請け合いであるからにちがいない。故に須川は誰のことも見ない。見えていても見ないふりをする傍観者陣営の人物だ。

「じゃあ、さっさと始めるぞ」

 人の目が自分に注がれるのがやはり嫌なのか、ぶっきらぼうな声が、やや早口に告げた。

「俺の怖い話なんて、そんな大したもんじゃねぇぞ」

 注がれる視線の数に辟易したようにそう前置き、言った。

「唯一怖かったとすれば、真夏日に陽炎で視界が歪んで意識を失いそうになったくらいで」

 これで終わりだ、と須川は懐中電灯を下げるが、そこに待ったをかけたのは、宵澤だった。

「さすがに短すぎじゃないかしら? 怪談かどうかも怪しいところだし」

 全員が思ったことを宵澤が代弁する。すると、須川が苦々しげに言った。

「これ以外だとトンボのシーチキンの話しかねぇんだよ。聞きたくねぇだろ、特に女子」

「いや、そっちの方が怖いでしょ、絶対。そこ配慮するとこじゃないし」

 宵澤の突っ込みも放置し、彼は乱雑に蝋燭を吹き消した。


「ところで、トンボのシーチキンって何?」

 古宮がこっそり塞に問いかけてくる。その何も知らないいたいけな眼差しに、塞は教えるべきか悩んだ。

「あ、私もそれ知りたい」

 そこに美濃が乗っかってくる。二人の純朴な眼差しに負け、塞は説明することにしたが、それでもまだ躊躇われる。

 須川はあっさり口にしたが内容はなかなかにスプラッタなのだ。

「……端的に言うと、トンボの体を引き裂いて殺すの」

 途端に二人の顔から血の気が引いていく。ものすごく短い説明にまとめたが、この説明だけでかなり具体的に想像できるだろう。

 ちなみに塞は葉松派閥の連中に目の前で実演されたことがある。シオカラトンボを捕まえろという命令がされて、虫取か、普通の遊びだ、と星川と一緒に安心したのも束の間、ハサミで縦に捕まえたトンボが切り裂かれた。羽根は手で千切り、ハサミではなく、カッターで、ツーと裂かれたトンボから体液らしきものが出たときはさすがに吐き気を催した。星川の提案で、こっそりトンボたちの墓を作ったのを覚えている。まあ、土をトンボの数だけ盛る作業だったが、一体、何匹が犠牲になったのか……十を数えたところで精神的に堪え、やめた気がする。

 女子は基本的に虫が嫌いであるから、いじめにおいても進んで虫を使うということはなかったのだろう。佐伯や吉祥寺はもちろん、茂木でさえ「トンボのシーチキン」というワードには顔をひきつらせていた。

「……世の中にはね、知らなくてもいいことってあるもんだよ」

 塞が思わず呟いた一言に、古宮と美濃は震えながらこくこく頷いていた。

「つ、次は誰だったかな」

 話の方向を変えようと塞が紡ぐと「あわわわわ」という女子の声がした。慌てふためいているのが如実にわかるこの声は……

「ちょっと弓江、あなたどうやったらこの至近距離で渡された懐中電灯を取り落とすのよ……」

「うぅ、ごめんなさい……」

 三森弓江。クラス一のどじっ子と言って差し支えないであろう人物だ。隣にいた宵澤に呆れられている。近くの永井が焦りっぷりが面白かったらしく、クスクス笑うのを見咎めた宵澤が容赦なく鉄槌チョップを下した。

 寸劇のような光景に、辺りは白けたように静まる。まあ、先程のスプラッタシーチキンの空気を吹き飛ばすには充分だったようだが、話を始めるには、微妙な空気だった。

 けれど自分のことでいっぱいいっぱいな三森はマイペースに「ええとええと」と頭を悩ませ、やがてぽんと手をついて語り出した。

「あ、そういえばあたしも七不思議一個思い出した。音楽室のやつ」

 まさかの即席か、と塞は心中で突っ込んだが、まあ小学生の話す怖い話としては、学校の七不思議は妥当なものだろう。

 はて、音楽室の七不思議はなんだったか。確か、これも一風変わった話だったはずだ。

「昔は小学校だけど吹奏楽部ってあったらしくて。とっくの昔に人数不足で廃部になったんだけど。

 でも廃部になっても真面目で熱心な子は毎日トランペットの練習をしてたって話」

 ここまでだと全く怖くない。しかし、その音楽室の熱心な練習生は熱心なあまりに生き霊、死霊になってまで練習に来るという話だったはずだ。

「音楽準備室にトランペットあるんだけど、気紛れに吹いてみたんだよね。朝早くてあたししかいなかったんだけど」

「あんたトランペット吹けたの?」

 意外な事実である。なかなか小学生で鍵盤ハーモニカやリコーダー以外を吹けるという話は聞かないから珍しい。

「うん、お父さんが趣味でやってるから」

 塞はふと、クラスのことを知っているようで全く知らないな、と痛感した。これまでの中でも、美濃がオカルト好きであることを知らなかったし、予想を上回る剛胆さを霜城が持っていることも知らなかった。園田の家が実際どれだけ厳しいのかも、星川が、自分の知らないいじめを受けているであろうことも。

 結局、学級委員という肩書きがついても、塞は自分は何も知らない、無力な存在だと嘆くしかなかった。

 そんなことを考えているうちに、三森の話は進む。

「である曲の一節を吹いてみたんだ。

 するとどうだろう? その続きを待っていましたと言わんばかりに何者か知れないやつが吹いてくれたんだよ」

「うえっ、それってつまり……」

 沼田が青ざめてごくりと息を飲む。「つまり」の先は、誰もが容易に想像できた。

 それをにこりと笑い、三森は肯定する。

「そう、会っちゃったの! 音楽室の幽霊に!」

 ……空気に反しててへぺろ感たっぷりに言うと、得意げな顔で、三森は蝋燭を消した。


 あと、二十一。


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