四十四物語
九JACK
い
小学五年生、一学年四十余人。
形式上、二クラスになっているが、精神的に異常のある子どもが一人、親と本人からの希望で、所謂保健室登校のようなものを行っているだけ。けれど田舎の学校は過疎が進み、学年あたりの人数が減っている。けれど、一学年四十人を越えない限り、二クラスにはならない、という厄介なルールにギリギリ引っ掛かったそのクラスは、少々狭苦しいところがあった。
一教室に四十人。なかなか狭いし暑い。そんな状況の中夏休み前に双子の転校生がやってきて、教室は人口密度を増す。暑いこの時期に。
年度途中で人数が増えても、クラス替えになることは残念ながら、ないのだ。
「あーっくそったれ暑いー。なんで俺の席は窓から遠いし廊下も遠い微妙に前なんだ」
クラスのガキ大将のような存在、
「それは……先生が見やすい位置だからじゃないですかね?」
苦笑して答えたのは色素が薄くて赤くも見える茶色い目を持った、少し大人びた印象の男子。お目付け役のように葉松の真ん前の席に座している。
「ぐっ、優等生だからって、生意気なんだよ!
ガッと不機嫌も露に葉松は塞と呼んだ男子の椅子を蹴りつけた。
塞──クラスのまとめ役たる学級委員の
それから葉松を恐れた様子もなく、にこっと笑って、話題を変える。
「それはそれとして。隆治くん、君だけ算数のプリントありませんよ? 一枚足りない」
「は? なんで俺なんだよ? お前ちゃんと確認したの? 一回紙の枚数数えただけじゃんか」
さすがはガキ大将というか、悪ガキというか。難癖をつけにかかる。もちろん、鋭く睨み付けるのも忘れない。
しかし、それにもやはり動じず、塞はさらりと告げた。
「僕は紙の枚数をただ数えていたわけじゃありませんよ? 出した人の名前も確認しています。二度手間になっちゃうじゃありませんか。で、隆治くんのがなかったんです」
「はぁ? まさかクラス全員の名前覚えてんのか? 気持ち悪ぃ」
「当たり前じゃないですか。学級委員ですよ? 四十数人くらい覚えられなくてどうするんですか。それに一年生のときからみんな一緒で一クラスですし。あ、
やはりさらりと告げる。なんでもないことのように告げるが、その記憶力たるや、目を見張るものがある。ちなみに妹尾というのは、先日転校してきたばかりの新しいクラスメイトだ。
「ちっ……うざってぇ……」
口悪く葉松は観念したように机からごそごそとぐちゃぐちゃのプリントをほらよ、と乱暴に塞に投げつけた。塞はぐちゃぐちゃなそれに顔をしかめ、その後、プリントをよく見て更に眉を寄せた。
「ちょっと、白紙じゃないですか!」
初めて責めるような口調になる。だが葉松は「問題書いてあるじゃんか」と屁理屈を捏ねる。
だがその程度で言い負ける塞ではなかった。
「問題、解かれてなければ意味ないです」
ずい、とプリントを示す。他の児童は正解不正解かはともかく、なんとか解答を出しているが、葉松のは真っ白だ。
「だってわかんねぇんだもん」
「授業全然聞いてないからでしょう……百歩譲っても、名前くらい書きましょうよ……」
げんなりした顔で、名前の記入欄を示す。葉松が渡したそれは、確かに名前記入欄も真っ白だった。
さすがにぐうの音も出ず、葉松は渋々といった表情で塞から問題用紙をひったくり、名前だけ書いて提出した。
問題を解いていないことに塞はまだ不満そうな顔をしていたが、妥協して、教師に提出に向かうことにしたようだ。再びとん、とプリントを整える。
妥協しないと、このガキ大将は暴力を振るうのだ。思い通りにならないと暴れる。絵に描いたような悪ガキ。
だからこそ、過度に怒らせてはいけない、というのがこのクラスの暗黙の掟だった。──塞は一度、掟に触れ、痛い目を見ている。それでも学級委員という立場上、こうして強く出なければならないこともあるのだ、と果敢にも葉松の行動に口を出したりするのだ。
一種の使命感である。
さて、とプリント提出のために塞がギッと椅子を引いて立つと、偶然なのか、意図してなのか、葉松がぽつりとぼやく。
「つぅかさ、こんなくそ暑い中で勉強に集中しろってのが無理ゲーじゃね?」
一理ある、と思い、塞ははたと止まる。夏バテするクラスメイトが多いのも事実だ。それにここは歴史はそこそこにあるけれど、クーラーなんて洒落たもののない田舎校。その中に箱詰めにされたように集う四十数人の児童。人口密度の高さ故に、より暑苦しい。
それは葉松や塞のみならず、クラスの何人もが思っていることだ。人数が多いため、扇風機を置く隙もない、ただただ暑い教室に不満を抱く何人か……特に葉松の傘下の連中なんかは同調の色を示す。
「ちょっとは涼しくなりてぇよな」
「納涼は正義っ」
葉松の派閥の中でも口のかるい佐藤コンビ──兄弟ではない──のがそんな軽口を叩き、周囲の人物がざわざわと賛同の声を上げる。
「納涼といったらやっぱりあれしかないよね
「話がわかるね
すると、クラスの中でも一際異彩を放つ二人組が声を上げる。
香久山
素行に問題があるというわけではなく、「学校の怪談」だの「妖怪図鑑」だのといったオカルト好きなだけ、なのだが、夜な夜な丑の刻参りなどを試していたりといった不気味な噂があり、ガキ大将の葉松とは違った意味で遠ざけられている人物だ。
ちなみに二人は仲が良く、お揃いのブレスレットをつけていたりする。ガーネットという赤黒い石なのだが、何故かその赤黒さが二人の不気味さに拍車をかけている。意味は友愛らしいが。
クラスが先程とは違った意味でざわっとする。この二人の発言には葉松ですら息を飲んでいた。
「夏で納涼といったら、やっぱり怪談でしょう」
ニコニコと笑いながらそう告げる香久山。中性的な面差しなのだが、やはり濃い隈が目を引く。
だが、怪談という言葉には特に女子が反応した。こういうの、なんか女子って好きだよなぁ、なんてぼーっと考えながら、塞は成り行きを見守っていた。
「……怪談ですかー、楽しそうですけど……」
そこで口を開いたのはおさげと眼鏡が特徴的な
「確か、悠さん、霊感持ちって言ってませんでした? なおちゃんも霊感持ちですし……あんまりそういうの引き寄せるようなのって……」
霊感、の言葉に妹尾姉妹の片方がもう片方を庇うように抱きしめる。庇われた方は無表情だが。
「
「……
抱きついた方が姉の雫、無表情なのが妹の悠だ。顔は瓜二つなのだが、表情変化のあまりもの違いに双子ながら見分けやすい。
一方、本を読んでいたのからす、と顔を上げた飾り編みが印象的な淑やかな雰囲気の少女がいた。日隈が「なおちゃん」と呼んだ
物静かな彼女はブックカバーをした本を開いたまま、ぱたりと机に置き、僅かに首を傾げる。
「別に、私はかまわない」
「あっ……そう、ですか」
差し出がましいことをしました、と日隈は席に着く。
「ふふふ、くまちゃんはいつも優しいねぇ」
球磨川が愉しげに言うと、日隈は頬を赤らめ、「くまちゃんって呼ばないでくださいっ」と反論する。
それをさらっとスルーし、球磨川が人差し指を一本立てて提案する。
「なら、百物語なんてどうだい?」
「百物語? 何かいいことがありますの?」
そこへお嬢様口調で入ってきたのは、葉松が男子陣の大将とするなら、女子陣の大将的な存在である、
「よくぞ聞いてくれました! さすが佐伯嬢、目のつけどころがいい!!」
「いちいち御託はいいのよ、瑠璃花さまが聞いてるんだからさっさと答えなさいよ」
苛立ったように佐伯の脇から出てきたのは、佐伯に付き従っている
ところが球磨川は全く気にした風もなく、飄々と続ける。
「百物語とは、皆さんご存知の通り、怪談を話して蝋燭を消すものなんですけどね。蝋燭が悪しきものから遠ざける、結界の役割を果たしているんですよ?」
「眉唾物ね」
球磨川の言をそう一刀両断したのは
「まあまあ、そんなこと言わずに。百物語だと、みんなで楽しめるからいいじゃないですか」
「え、あ、あの……」
控えめな声が塞の耳に留まるが、直後ガッとその声を掻き消すように葉松が立ち上がり、その声の主──見るからに気弱そうな垂れ目の男子の首根っこを捕まえてニコニコという。
「なぁ、このは、楽しみだよなぁ?」
このはと呼ばれた彼──
星川は葉松の派閥の連中に目をつけられている代表格だ。所謂いじめられっ子である。気弱な性格が祟り、嫌なことを嫌と言えない。
それが常なのだが、星川の隣に座る女の子が、つい、と星川の手を引き、キッと葉松を見上げる。
「このはくん、嫌がってるです。強制するのはいけないのです」
ガキ大将葉松に果敢にも口答えしたのは、一見か弱そうな印象の……実際か弱い女子、
か弱いのだが、心優しいため、自分の意見を通せないで内心傷ついているであろう子を放っておけないのだ。
「霜城は関係ねぇだろ」
「でも、このはくんは関係あるのです」
「あぁん?」
葉松の纏う雰囲気が険悪なものになる。それを感じ、止めに入った方がいいか、と塞はプリントをぱさりと置くが、
「だっ、大丈夫っ!」
星川が怯えきった表情ながらも、はっきりそう言った。言いきってしまった。
「ぼ、ぼくは、大丈夫、大丈夫だから、しも、霜城さんは気にしなくて大丈夫……」
明らかに吃りまくって大丈夫ではなさそうだが、星川は何度も大丈夫大丈夫と繰り返した。
「そうですか。このはくんが大丈夫ならいいのです……」
少し納得がいかなさそうだが、霜城はそれで引き下がった。険悪な雰囲気が和らいだのに、場の何人かが胸を撫で下ろす。もちろん、例外は何人かいて、香久山や球磨川などは面白そうにくすりと笑っていた。
「でもみんなってことは、四十人以上入れるとこ必要でしょ?」
そう指摘するのは黒縁眼鏡をかけ、「呪術大全」というこれまた怪しい本を机に乗せた男子だ。名前は
問題点を的確に挙げているあたり、乗り気らしいが。
「この教室ですらこれでしょ。どうすんの?」
「そこは実は目処がついてるんだなぁ。ねぇ、八坂くん」
香久山に水を差し向けられたのは、寡黙な印象の男子だ。
「八坂くんちお寺でしょ? 怖い話にはうってつけじゃない。一度行ってみたかったんだよねぇ」
「……ん」
八坂は急な話題振りにも拘らず動じた様子もなく、頷いた。
「別に、いいぞ。広い御堂がある。蝋燭使うなら火さえ気をつけてくれれば」
「やったね!」
香久山と球磨川がハイタッチする。不気味コンビがとてもほのぼのしているというのは奇妙な状況だ。
「そんな安請け合いしていいのかよ、八坂ー」
話を聞いている八坂の隣の席の
「別に。父さんも母さんもこういうコトには慣れてるし、何かあっても対処する術は教わってる」
八坂は寡黙で目立たない立ち位置だが、結構多才だ。家が寺ということもあり、そういうコトに対処できるというのも信憑性が高い。
「ふふっ、頼りになるねぇ」
球磨川が笑うと、近くの女子が身震いした。目立たないようにと努めているらしいその女子児童の名は、
大体キラキラネームを持つ者はガキ大将葉松や、佐伯令嬢に目をつけられたら名前でいじられることは必至と思って物静かにしているか、逆にほどほどに喋るか、のどちらかだ。
名前というのは基本的に自分で選べるものではないから災難だなぁ、と塞は思う。まあ、塞自身も「塞ぐ」という意味のこの字は好きではないが。
「でも、みんなということはクラス全員ですの?」
佐伯が問いを口にする。すると、球磨川が「その方が楽しいじゃない」とさらりと答える。
その返答に佐伯はにんまりと口角を吊り上げた。香久山や球磨川がやると不気味なのだが、佐伯がやると令嬢というだけあって華麗だ。しかし、その笑みにすら震える女子児童がいた。
佐伯はお嬢様口調こそ丁寧さを感じるが、性格は葉松とさして変わらない。ただ女子であるためか、鉄拳制裁ということよりも精神的に責めるような陰湿なやり方をするから質が悪い。しかも、金魚のふんのごとく付き従う吉祥寺という存在が、佐伯に声をかけるだけでも噛みついてくるのがまた厄介だ。
今も、怯えの色を見せただけの古宮に「何か文句でもあるのか」と高圧的な視線を送り、威嚇している。
佐伯は配下など気にも留めていないのか、すらすらと続ける。
「では、せっかくですから、保健室の
美濃の名前が出ると、これまで笑みを絶やさなかった香久山と球磨川の目にふと鋭い光が灯る。──が、一瞬でいつもの不気味な笑みに紛れた。
「では、企画主の僕らが行ってきますかね」
「それには及びませんわ。わたくし、美濃さんとはお友達ですもの。わたくしから伝えておきますわ」
『お友達』とはよく言えたものである、と塞は苦虫を噛み潰す。美濃
それを踏まえているのか、何やら球磨川が難色を示す。
「うーん、でもですねぇ、佐伯嬢。さざさんはこういう手のものは確かな安全性があると懇切丁寧に説明しないと不安で押し潰されてしまうと思うのですよ」
「わたくしに百物語の知識がないと?」
「とんでもない。ではご高説賜りましょうか」
小学生のクラスメイト同士とは思えないほどの敬語のやりとり。丁寧な語調だからこその緊張感が、佐伯、吉祥寺ペアと山川コンビの間に流れる。
──見ているだけ、はもう耐えられない空気だった。
塞はたんっと音の立つようにプリントを机で整える。静まり返った教室には、よく響いた。
視線が知れず、塞に集まる。塞は静かに立ち上がり、プリントを携え、香久山たちの方へ微笑んだ。
「それなら僕が、今から職員室に行くついでに伝えてきましょう」
すると一瞬、香久山の笑みが不気味さをなくして、和らいだ気がした。球磨川は相変わらずだが、大仰に賛同の拍手をする。
「なるほど、それは名案だ! 塞くんなら学級委員だし、博識だし、上手く説明できるでしょう」
「では、いってきますね。善は急げだ」
塞は早足で教室を後にする。何やら吉祥寺が喚いていたが、気にすまい、と急いだ。
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