幹部クラスは今日も悠々自適に

越水ナナキ

第1話 新卒で重役で非公開

 20XX年4月1日(月)、今日は公式に俺がとある会社に入社する日である。

とある会社というのは、日本で知らぬ者はいないであろう。

日本のトップクラス企業である「東雲グループ」ましてや、その総本山である「東雲商事」である。ありとあらゆる分野に精通しており、売上や利益は果てしないものである。


そんな会社に、俺は今から幹部待遇で新卒入社である。

まったく、大卒がいきなり幹部とは、この会社は大丈夫かと思う程である。

なぜ、そんなことになるのかというと、話は中学3年生くらいに遡る。

俺は、ひょんなことから東雲グループ社長の東雲五十六氏の孫娘をとある危機から救い出し、五十六氏のお気に入りとなった。そして、その孫娘と婚約となり、高校や大学を経て、今日に至るというわけである。


俺は、萩原涼(はぎわら りょう)。

この強運というか、宿命というかにより今日に至る主人公である。

自分のことながら、すごい経験いやすごい人生であることは間違いないだろう。


そして、俺は幹部待遇なので新卒だが、入社式には出席せずにそのまま自分の持ち場で業務に励まなければならない。とは言っても、高校や大学の暇な時にやっていたことの延長なので、もう慣れたものではある。

幹部待遇なので、残業代はもちろん出ない。

そう、裁量労働制というものである。その分、給与や賞与は破格なので文句は無い。

本来は、朝9時が始業時間であり、夜5時が終業時間なのだが、俺は朝7時くらいから出社して面倒事を極力片付けていくようにしている。

朝早めに来ておけば、比較的静寂の中で仕事を進められるからである。また、会社ビルにあるカフェは朝7時から開店しているのも好都合で、よく利用している。



〜本社ビル1階 カフェ〜


「いらっしゃませ、おはようございます!」


俺の入店と同時に女性店員が小気味良い挨拶をしてくれた。

ほぼ開店時刻と同時なので、他に客はいないのでとても良い気分で、仕事ができそうである。


「店内利用で、レギュラーサイズ、ホットのドリップコーヒーをお願いします。」


「はい、ただいまご準備いたします。お会計が340円です。」


「クレジットでお願いします。」


婚約者とおしゃれなカフェや食事に行く事が多いので、注文や会計もお手のものである。高校時代のあたふたした自分からは、想像も出来ないほどである。

ドリップコーヒーが340円というと、いささか高い気がしてしまうが、こんな静寂な朝をゆっくりと寛ぐ料金と考えれば安いものだろう。テイクアウトだと少々勿体無いというのは周知の事実だろう。


「お待たせいたしました、レギュラーサイズのホット、ドリップコーヒーです。」


「ありがとうございます。」


レジカウンター越しに注文した物を受け取り、席を確保しようと試みる。

コーヒーを受け取る際に女性店員を見たが、年齢が近いように感じてしまい、大学生のアルバイトかなと推察した。

こんな時間からアルバイトとは、ましてや洒落たカフェとは、尊敬に値すると心から感じた。


〜カフェの一角〜


カフェは構造として、ガラス張りに等しくて会社の1階受付フロアを望むカウンター席、外の道端を望むカウンター席、その中間にあるテーブル席が用意されている。

俺は、受付フロアを見ることのできる席に徐に腰を掛ける。俺と同じく早朝から来る人物はいるのかと観察したいからである。


とりあえず、会社貸与のモバイルPCを立ち上げて、本日のスケジュールを考える。

メールボックスが「稟議書の確認」などですごいことになっているが、今はそっとしておこう。

午後から、五十六氏と会議があるのでそれまでが勝負という感じである。

会議と言っても、雑談が主だから仕事がなかなか進まないのがネックだが、まぁ仕方ないだろう。


「メールを受信しました」


モバイルPCのポップアップが出現した。

朝の7時だというのに、「誰だ」という感情と嫌な予感が同時に俺の心を苦しめた。


「差出人:東雲 五十六」


パッとメールを開いてみたら、予感は的中した。

内容は以下の通りだった。


〜メール〜


萩原 戦略部門部門長 殿


早朝からのお勤めに心より敬意を表する。

そちらのカフェは、部門長殿のために試験的に導入したものであるので、

ゆっくりと楽しむと良いでしょう。


さて、本題ですが、本日は以下のスケジュールで部門長殿と会食、会議したく

返信をお待ちしております。


12:00〜14:00 会食(昼休みと捉えて差し支えない)


15:00〜 会議及び視察(社長室)


18:00〜 会食(今年度の壮行会)


なお、会食時には秘書課受付係の「萩原零」を同席させること。

会食会場は、追って連絡します。


東雲 五十六




〜カフェの一角〜


俺は、メールを読み終えると即刻返信をして、深呼吸をした。


「なぜ、俺がいると分かった」


「そして、なぜこんなに会食なんだよ」


頭の中には、どこぞのライブ配信のコメント欄並にリプが出現した。


説明が遅れたが、メールにあった萩原 零(はぎわら れい)というのは、東雲五十六氏の孫娘であり、俺の妻である。旧姓は、「東雲」であり、妻となったので俺の姓を名乗っている。社長が「東雲」なので、「東雲」という名前よりこちらの苗字の方が色々と良いのだろう。



「はぁ〜、マジで午前中がハードになりそう」


大きく大きくため息を俺は漏らした。



「いらっしゃいませ、おはようございます。」


女性店員の小気味良い挨拶が、また俺の耳を通過した。

スーツ姿の男性客が入って来たのをパッと捉えると、「同志が来たのか」と楽観的に捉えてしまった。


一瞥した後は、午前中に何を行うかを入念に考えていた。

零と会食なので、そのまま帰宅すうだろうから夜に会社に残るという手は使えないので、どの案件から優先的にと頭を働かせた。月曜日から忙しい様相を呈している。


「あれ、萩原部長ですか?」


俺の後ろで誰かが声を掛けて来た。しかも、聞き覚えのある声であった。


「え、伊東さんじゃないですか?」


俺は驚いてしまった。まさか、朝から俺がよくお世話になっている情報システム部門長に会うとは思いもしなかった。


「やはり、萩原部長でしたか。いやぁ、おはようございます。」


「こちらこそおはようございます。伊東部長」


「伊東部長なんてやめてくださいよ、今まで通り伊東さんで十分ですよ。」


「そんなことを言ったら、俺も今まで通り萩原くんでいいですよ。」


「今日から正式入社した幹部の方を君付けは、さすがにまずいかなと」


「では、正式な所以外では、今まで通りということにしましょう。」


お互いの妥協点を見つけることに成功し、若干の落ち着きを取り戻した。

伊東さんは、俺が五十六氏から仕事を受ける時に色々と世話を焼いてくれた人物であり、情報システム系では超一流の人である。年齢は40代であり、伊東さんから部長と呼ばれるのは何とも心苦しいものだ。


「そういえば、伊東さんはもう出社ですか?定時は9時からですが」

俺のスマートウオッチは、アナログ時計モードで7:20を示していた。


「新年度でバタバタしそうな上に、新卒の方々を人事課と案内する役回りもあるので早めに来てしまいました。」


「伊東さんの勤勉さには尊敬しますよ。社長に評価UPの提案をしておきますね。」


「それはありがたいです。ですが、萩原くんはもっと早くからいましたよね?」


「俺は、社長との会議や会食で午後仕事が進みそうに無いので‥。」


「そうでしたか‥、それはそれで大変そうですね。」


朝からお互いの仕事について心配し合っていた。

そうすると、伊東さんは、テーブル席の方へ行き、何やら書類に目を通し始めて、仕事モードへと移行した。

俺も、休憩を挟みつつ、仕事に取り掛かった。



〜朝の8:40 カフェの一角〜


そろそろ正式な持ち場に行く頃かなと思い、席を立つと、受付フロアに人が多くいるようになるのに気が付いた。確かに出社時間ぐらいである。

また、本社の幹部連中や他社からの来社対応を行う秘書課は8:30が始業時間であり、受付フロアの中心部にある受付窓口でミーティングが行われていた。


そんな中、1人だけカフェの方、いや俺を見る人物がいた。

そして、少々微笑みながら俺に小さく手を振った。

モデルも雇っていると聞く秘書課でも、一際美人だと感じた。

それこそが俺の妻である。


俺も小さく手を振り、飲みかけのペーパーカップを持ってカフェを後にした。

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