一縷の望み

@hikari777

第1話 絶望の日々


 満月の綺麗な二月の早朝。身を隠すためにいつもの背の高い草原の中で綺麗な満月を観ていた。近くには川が流れ、水のせせらぎの音が聞こえる。ここは、普段は人がこない場所だ。なぜなら、柵が張り巡らされていて、ここはちょっとした崖になっていて危険だからである。しかし、そこから見える雪を被った澄んだ山脈を背景としたまんまるとした月はとても綺麗だった。


 三十メートルほどの人工的な崖に、その下は水辺になっていて、その前方の大地には沢山の草木が佇んでいた。柵を越えその水辺の横に高く作られたコンクリートの通路に降り奥まで進み、危険ではあるがその奥の斜面を下ってここまできたのだ。またその入り口の柵の上も崖であり一つの小さな階段で地上と繋がっている。その斜面を降りた先から見えるその自然風景や澄みきった月は何とも言えなかった。


 しかし、こんな幸せな時間が終わってしまうのも時間の問題だった。これから俺たちは、孤児院に行く。そこは、残虐な時間だけが流れ、俺たちの精神を蝕んでいく。日々、耐えられぬほどの、怒号や被害妄想、親子逆転の相談などは、私たちの脳を破壊し、性格を変えられてしまうようなものだった。その時だけ、私たちは、この時間と違う性格を演じた。


「…いつまでここいいるんだろう。」


「わからない。」


「だけど、思うのは、みんなこの生活が当たり前だと思ってる。」


 人はみな当然かのように大食いに走る。犬も、常軌を逸していると思えるほど鳴き叫び、それは夜もずっと鳴きやまない。「へむへむ」という犬の息遣いは何かに怯えるようなものだった。人間も、もはや猛獣のように話している。奇声をあげている。そこにいると私たちの思考も度重なるそのような「叫び」によってたびたび遮断されてしまうのだ。しかしそうした生き物たちの殆どは娯楽に依存し、考えるということを知らない。何が原因なのか考えたくもないのだろう。また様々な体の異変を訴える人もいる。ここは怠惰と見下しと争いだけが存在し、「成長」という文字は殆ど存在しないだろう。


「疑念を抱いているのは、私たちだけ。周りからも責められ、こんなんじゃ私たちの精神が持たないよ。」


「そうだな、まるで、俺たちが可笑しいみたいだ。」


「本当に私たちが可笑しいのかもしれないよ。」


 そう思われるほど、私たちの周りは、狂っていた。何かに充ちていたのだ。それは笑顔や満足感、幸福、将来の夢というような輝かしいものではない。それは、独占欲であったり見下しであったり、いきなり訪れる怒号であった。ここには誰一人として自然な笑顔を見せるものは居なかった。


 私たちは、「この場所、この一族によって育てられた」という共通点を持つ、幼馴染だ。イオは遠い街で捨てられていたのを、たまたま俺の父であるガオに拾われたらしい。そして俺とイオはこの場所で四歳の頃に出会った。俺たちは、血は繋がっていないが、同じ一族として育てられた、兄妹のような存在だ。


 俺たちは、はじめてこの孤児院でこの国ではない外の街に住み外の学校にいくことが許された。俺たち二人が行った星章学院は自由な校風の学校だった。優秀な人材もいた。


 そこでの、二年間は、楽しくも忙しく過ぎていった。俺はそこである一人の男と出会った。トビという人物だ。彼の言動はカッコよく、俺はいつも彼に教えを請いていた。相談に乗ってくれる師匠のような存在だった。彼が俺の人生を変えることになる。俺には好きな女性がいた。しかし、おれはやりすぎてしまった。ストーカーまがいのことをしてしまった。狭い世界しか知らなかったのだ。経験が浅かったのだ。そんな時いつも力強く止めてくれたのが彼だった。彼は非常に女子からもてて、人生についても恋愛についても相談できる人だった。そして、彼と話していて気づいた。こんな穏やかに話ができる世界があってもいいんだと。その時俺はこう言ったと思う。「こんなに優しく話を聞いてもらえたこと家族にはなかった」と。そこでは、ハネストで通った中学校で感じていた、何か閉鎖的なものはなく、基本的には自由で静かな景色が続いていた。どれだけ早くても地元から三時間近くかかるので、一人暮らしを始めていた。今考えればこれが中学校と高等学校との根本的な違いだったのかもしれない。


「イオ、楽しかったな。あの頃は。」


「いつも海沿いを歩いて帰ってたよね。あの景色が好きだったよ。」


「色んな人に出会ったっけ。とにかく一生懸命頑張った日々が、人との出会いが、色々な出来事が俺らを変えていってるんだろうな…」


 地元の街から全く知らない場所にきたことで新しい経験をして、時には幸せな気分になれた。それに反してたまに会うガオとの時間は恐怖感さえ覚えてしまった。そして、俺たちは根本に気づいてしまった…高等学校に入ってから、うすうす気付き始めていた事実。初めは、そう思いたくなかった現実。


 1378年6月、俺たちが学校を卒業する二年目、事件は起こった。ガオの配偶者のデハがお金をもってハネストから逃げ出したのだ。まだ、ガオと繋がっている俺たちは、デハの変わりに電話で説教をうけた。ガオは何でもかんでもいちゃもんをつけるような神経質で怒りっぽい人物だった。


「俺が、おかしいことしてるか。あの人、可笑しいよね。さっきのどう思う?あの人相手が悪いって思い込むとこあるよね。周りを全て捨てていくなんて、周り迷惑の事全く考えてないよね。」


 自分が正しいということに何も疑った様子はみられなかった。しかしデハもデハである。なぜこんなタイミングにと思った。推測するに、もちろん母の言う父の暴力もあっただろうが、俺が一年も経たないうちに就職が決まるという事実から、私だけこの最悪な環境の工場でなぜ働かなきゃならない。その俺に対する嫉妬心からの行動だと思っている。散々見下してきたのに自分がカースト最下位になるのが嫌だったのだろう。当時は必死で母親を慰めていたが、今となっては慰める必要はなかったように感じる。今の苛立ちを俺にぶつけてくる彼女の言動を考えるとそう思う。こうやっていつも両親に邪魔されるのが当たり前だった。


 ガオは電話でカイを怒鳴るなどストレスの発散の捌け口にし、カイはストレスを受けていた。そうやって彼が嫌々ながらガオに時間を譲った。そしてガオが時間や精神的安定を得ていたのであろう。ガオがまた、カイの元に電話をしてきた。彼は嫌がった。しかし彼は、家賃や生活費をガオから貰っていたため、無視することはできなかった。彼はこのような過干渉から友達との関係も悪くなり、恋愛について深く考える暇も無くなった。 鳴り響く電話音、聞こえてくる怒鳴り声、それは遠く離れていたとしても、彼の精神を蝕んでいた。 彼は、このような苛立ちを周囲の人々にぶつけてしまうことがあった。それが原因で彼の周りから人が消えていってしまった。この現象を彼は「リセット」と呼んだ。それから彼は、必要以上に人と関わらないことを決めた。人と関わると、自分がガオから受けるストレスから人を傷つけてしまう恐れがあるからだった。人が怖かった。嫌われるのが怖かった。だから、彼は大切で好きな人ほど関わるのを諦めた。大学での美しい友情も恋愛も彼には疎遠なものになっていった。イオはそんな時も、いつも一緒だった。ここは都会で、世の中こんなに人がいるのに、俺たちは二人きりなのかもしれない、そう思った。


 そこで全てが終わったわけではなかった。ガオとデハの闘いは法廷沙汰に入り込んだものの、結局はデハは金の力で負けてしまった。反抗したにも関わらず、なんと無様な負け方だろう。それからデハは、再びガオにつき、俺たちを再び攻撃するようになった。逃げていて俺たちに優しかったあの頃が嘘のように思えた。あの野生的な感情はきっとガオに支配されるストレスからくるのかもしれない。ただ、俺は程度の違いこそあれ、どちらも許せない悪なのだと思った。ただ俺は、この二人から生まれてきたんだという葛藤を隠せなかった。こうして俺たちと支配者ガオとデハとの戦いが始まった。


 アリは第二の母だ。ガオの妻であるデハとは別に、孤児院でカイたちに関わる権利を与えられていた。デハはガオの第一の妻であり俺の母でもある。アリとともに俺たちの母としての役割を担っていた。その二人の性格はガオの近くにいる為なのかストレスからなのかわからないが瓜二つだった。


 俺たちは、高校を卒業する前、高校がある街で就職した。輝く世界を知り、自由な空間を知ったあとでは、あの街にはもう帰りたくないという思いがあったのだろう。その間も俺たち2人は、ガオたちから、非難を浴び続けた。


「仕事なんて辞めて帰ってこいよ。」「こっちのほうが給料高いぞ。」「仕事なんて休んじまえ」。「会社から、お金出してもらえるんだから、うちから新幹線で通え。」なにもかも、言っていることが、私の望んでいることと違っていて、常識とはかけ離れているように思えた。


 例え、200km以上離れていたとしても、彼らの影響が及ぶものだと俺たちは知っていた。嫌になり、ガオとの電話を切ると、数時間後、「心配した」という定で俺たちの住んでいる部屋に合鍵をつかい勝手に鍵をあけ彼は忍び込んでくるのである。


 俺はある日、仕事で疲れ切り、それを癒すために部屋で気持ち良い音量で音楽を流していた。この世に私をいやしてくれる音楽なんてないと言うことを実感した日だった。「ピンポン、ピンポン、ピンポン・・」その呼び鈴は50回ほど続いた。続いては、「ドンドン、ドンドン」とドアを叩く音が10回ほど。それから鍵がかかっているドアを無理やり開けようとするではないか。「ガチャガチャ、くりくり」っという無理やりドアを開けようとする音が15回ほどした。俺は黙ったまま時が過ぎるのを待った。そして、最終的には「カイー、カイー」と大声でドアの外でガオが怒鳴っていたのである。今は昼間ではあるが、ここは集合住宅であり、周りの目を気にした為なのか、しばらくすると父は去っていった。


 私は音がしなくなってから、急いで支度を整え、恐る恐る外へ飛び出した。そのせいか、途中で気付いたのが、別々の靴を片方ずつ履いていたのである。食欲も無くぐったりしていた。私にとって父親に見つかることは、ガオの住む街に強制連行されることと等しかった。前も同じようなことがあった。次の日が仕事だということをまったく聞こうとせず、連れていかれそうなこともあったし、こっちの仕事のことを、「たかが仕事なんだから、休んじまえ。」と言われたこともあった。あちらの考えでは、ここで働けなくても、実家で働く道があるよということなんだろう。それは、こちらからしたら最悪の事態でお断りだ。


 いつからかはわからない。父親ガオが恐怖だった。よく人は、体育の先生が怖いと言うけど、どちらも経験している俺にとっては、それの比じゃないぐらいだった。今日だって、家のチャイム50回は鳴らされたんじゃないか。今日は俺の大好きなアーティストのCDを買ってきて、家で流していて、とてもいい気分だったのだが、事態は一変してしまった。そして、私は憶い出しててしまった、実家で両親に支配されていた恐怖を。遠い昔、小さい頃海を嫌がった俺は、ガオに海の奥に連れていかれた覚えがある。あの感覚は、怖いという感覚しかなかった。小さい私には、海を泳ぎきる力なんてなかったし、ほとんど溺れていたからだ。この溺れそうで海に浮いている感覚は、自分が死んで空に飛びたつ時と同じ感覚なのではないかとも思うのである。このまま、どこか遠い場所にいってしまうのではないかと、心配したものだった。


 そのような行動は、俺たちにとって恐怖であった。そして、会社に「カイいますか?」という電話が何回もかかってきたり、何回も会社で仕事を終わるのを楽しそうに待ち伏せしているのだった。 地元で家業を継いで欲しいという呪いのような父の言動は恐ろしいものだった。そういう圧力だったのだろう。俺たちは、そのような状況に耐えられず、その会社を辞めてしまった。会社では事情を配慮してくれることなどなかった。一度はいとこのおじさんを頼ったことをあった。「言ってやるよ。」といとこは言った。しかし、ミイラ取りがミイラになるように彼は父の元から帰ってきた。こっちに顔向けできないような顔で。買収でもされたのかと思った。中途半端に助けようとした人が一番憎い、そう怒り狂ったように思った。


 ガオが保証人になっていたマンションを、お金は自分が払っていたが、勝手に解約され、住む場所が無くなったということもあり、なんとか溜まっていた貯金で、新しい人生を考えようとしていた。


 日が落ちる頃、俺たちは高層ビルが立ち並ぶ芝生の公園にいた。俺たちは、諦め疲れ果て、風を感じながら頭上の光り始めた高層ビルを眺めながらながら寝そべった。


「これから、全く違う人生にしたいな。」


「そうだね。」


 ここは冬でも暖かい。


「全ての人間関係を絶って、新しい人生を歩みたい。でももう俺たちには無理なのかな。なんだが、絶望的な状況な気もする。」


「やってみないとわからないじゃない。やる前から諦めてちゃだめだよ!」


「そうだね。」


 俺たちは、二人で愛宕荘に住み始めた。お金がなかったので同室だった。そこは、とても安かったので住んだのだが、俺たちはいつもこう思った。住人は、怖い人ばかりだった。いつも気がたっているような、そんなピリピリした空間で毎日を過ごしたのである。どこにいっても、「自由」というものがないのかもしれないという感覚に俺たちは怯え、未来さえも見えなくなりそうであった。多分、安い宿というのも関係あるのだろう。でも、その中でさえも俺たちに優しくしてくれた人もいた。


「おはよう。」


「おはよう、ヤマさん。」


 この空間の中で、彼と会うときだけ安らぎを感じることができた。生きていれば必ずこのような希望はあるとそうも感じていた。そんなこんなで俺たちは、仕事を探したり、ガオに怯えあまり家の近くのお店にはいかなくなったりと、二人でそのような隠れている生活をし始めたのである。俺は、毎日のようにベットから見える高層ビルの明かりを見ながらこう思った。


「明かりが綺麗だ。あそこで働いている人はどんなに凄い人だろうか。こんな生活がいつまで続くのだろうか。早く全てから解放されたい。そんな日が来るのだろうか。」


 隣にいた彼女は言った。


「きっとくるよ、一緒に頑張ろう。」


「でも俺たちの経歴じゃどこもとってくれるところなんてないかな…」


 俺は、そんなことを思いながら、未来への不安を感じながら、毎日を過ごしたのである。しかし、仕事に受かることに全てをかけていたが、俺たちは残酷にも残された金銭の中で仕事に受かることはできなかった。その時俺は焦りすぎていたことから、面接で保証人は必要ですか、親がいなくても大丈夫ですかと墓穴を掘るような質問をした。そんな人を取る会社などあるはずがなかったと思う。


 俺たちの重要な決断があった。俺たちは、苦渋の選択でガオの元へ帰ることに決めた。


「運命には逆らえなかった」


 俺とイオは、嫌々ながらも、仕方ないと覚悟し、ハネストに戻ることになった。それまで、俺たちは、支配者から身を隠し、愛宕荘に九ヶ月間も隠れていた。また新しい社会の秩序に怯えていたし、信用できるかわからない警察にも怯えていた。あの頃は何もかもが怖かった。身分証も、昔の住所のままであり悪いことをしている気分で気分で生きている心地がしなかった。不便極まりない暮らしだった。金銭が尽きた。また新しい人生を歩み始めるためには、こうするしかないと、苦渋の決断だった。その後、そしてデハにこう言われた。「お父さん毎週行ってずっと探してたんだよ。」と。奴らは俺たちがいなくなった後もずっと俺たちがいなくなった仕事場付近を探していたのだ。怖かった。あの時、両親が会社に来てしかたなく上司に休憩を貰って近くのファーストフード店で話をした時、俺は「縁を切りたい」と父にいった。そういったあと「なんでそんなに迷惑かけたいと思ってんの」と意味不明な理由でガオに逆ギレされた。その時あまりにも斜め上の受け答えに俺は返す言葉が出なかった。


 自由などなかった。そんな行動は俺たちを追い詰めることにしかならないのに。世間は甘くないのか、そんなことを上司に言っても会社は受け入れてくれなかった。助けてくれなかった。俺が原因ではないのに、公私混合だと責められた。本当にこの決断が、正しかったのか、今でも思い返すことがまれにあるが、仕方ないで片付けてしまった。


本当は誰も知らない人がいる場所に行きたかった。結局お金がないと何もできないのだと思った。


 そういった日々が過ぎて、今がある。ここにきた当初は、希望が殆ど見えなかったが、俺は屈しないと思いながら、いつかくるかもしれない幸せな日々を想像しながら、今を生き始めた。


「そろそろ、自らの悲惨な現実を受け入れよう。」


そう思った。


 私たちは、外の世界を見ることができた。俺は外に出て、いくつものいい出会いをした。俺のことを親身に相談に乗ってくれた人がいた。そう、トビだ。そう今思えば、彼が言ってくれた、俺の欠点と父親、家族の欠点は共通していた。いつの間にか似てしまったのはこっちの方だったのだろう。荒れていて適当な人間。自分勝手で話を聞かない人間。それを止めてくれたのが、直そうとしてくれたのが彼という存在だった。だから彼という出会いは、人生をやり直す上で大切なピースだった。はずだった。彼とは卒業式で最後に一緒に写真をとったが、その写真は渡されることはなかった。それもリセットにより失ってその時少し燃えあがっただけのかりそめの友情だったからなのだろう。卒業式まで半年も話さない状況は続いていた。仲は悪くなっていた。風前の灯火だった。彼は卒業式で舞い上がって好奇心で俺と写真を撮っただけだったのだろう。彼に感謝はしていた。しかし迷惑をかけたとは言え捨てられた気分もあった。だけど最初に捨てられた感覚を覚えたのはきっと彼の方だったのだろう。彼と話さなくなってから、一度学校で目線を向けられたことがあった。その時俺は無視してしまった。今思えばそれが仲直りする最後のチャンスだったのだろう。どんなに優しい人でも一度自分が切ったら、もう意見も聞いてもらえない。タイムマシンがあるなら、それをあの時の俺に伝えたい。こういう酷いことしても関係性が終わらないのは、仲が悪くならないのは、この家族だけ。俺は父に酷いことを言われながら、縁を切ると言いながら縁を切ることはできなかった。逃げても逃げてもどこまでもついてきたからだ。屈辱だった。そしてあの時はストレスで何もかもが嫌になっていた。優しい人はいないなどと心の中では思ってしまっていたのかもしれない。俺の為に厳しい事を言ってくれた彼の言葉でさえ、あの時の判断力が低下した俺の頭ではそれが悪口に転換されてしまった。電話の嵐で友人と仲良くできるような精神状態じゃなかった。彼は卒業式写真を撮った時最後にこんなことを言っていた。「カイがこの世界を以前知らなかったように、この外の世界をまだ知らないだろ。この外の世界では世界一を争う戦い行われている。俺はそこにいる。今のお前には一緒に写ってる写真は渡せないよ。本当に欲しけりゃ認められるぐらいに成長して人格を磨いて取りにこい。これが俺が最後に言える事だ。それでは急いでるので。」俺に彼を繫ぎ止める言葉はなかった。彼は優しく、相談に乗ってくれて親の呪縛から解放させてくれた。恩を返す為にも、俺は絶対に家族にも人生にも負けられなかった。


 そこで観た輝いた世界は、私たちのこの閉鎖的な日常とは、かけ離れたものだった。その場所とは反対に当然のように行われる嫌がらせには、耐えるのが苦痛だ。ただ、俺はどんな絶望の中であれ、決して諦めない気持ちが大切だと思っている。


 近年ハネストがガオの支配下に置かれてから、奴らから逃げようと脱走しようとして亡くなったものもいたらしい。反抗したら反抗しただけ、支配者であるガオはやけになり、それは自分へと帰ってくる。それは暴力や言葉での攻撃である。彼らも自分でわかっていながら止められないのかもしれない。誰かに認めてもらいたいという、寂しいという甘えなのかもしれない。もしくは、何かの救難信号であるのかもしれない。ことに一番怖いのは、それでも当人は自分を間違っていないと思い込んでいることである。もしも何かの救難信号だったとしても、彼らを抑え込むことができる財源やコネがなかったらたとえ大人であっても対応出来ないであろう。そして、その幼稚な行動は他人からエネルギーや運、そして笑顔を奪い取る。へらへらとした表情で楽しそうに人の嫌がることを言う支配者。それは、幼子のみならず、ほぼ全ての人に恐怖を植えつけることになるだろう。もちろん虐待という言葉は、特に子供に用いられる言葉ではあるが、彼らの前では大人もそうなるだろう。何も出来なくて、まるでペットのように幼子のように彼らに扱われるんだから。根本的な解決策は、ここを脱出するしかないのだ。完全に遮断するしか。そして、私たちが、幸せに満ちた世界を作れるように。


「私たちマイナス思考過ぎるかな…」


 満月の下でイオは呟いた。ここが狂っているっていうのは、俺たちの勘違いなんかじゃないと俺は思い、こう答えた。


「そんなことない。元気と笑顔と笑い声に満ちた輝かしい世界を見てきただろ。俺たちにも、その権利はある。幸せに暮らす権利が。そして輝かしい夢が。」


その瞬間


「夢ってなんだっけ?」


と俺はふと思った。しかし、ふと顔をあげた途端。


「夢は叶える為にあるんだよ。」


という声が聞こえた………。俺は、夢に焦点を当てられなくなるほど、逃げることばかりを考えていた。


「でも今はそれでもいいんじゃない」


という声が心の中を見通したように聞こえた。


「私たちが例え旅した街の人に夢がないって思われても、幸せに暮らすことが夢って言えれば」


「幸せに暮らすことが当たり前の人にとっては、夢というか普通のことかもしれないけど…そこから、探していけばいいんじゃない。幸せに暮らす為に何をすればいいかってさ」


 彼女は人の考えていることが読み取れる特殊な才能の持ち主だった。俺はこの才能をリスペクトし、彼女と一緒ならどこにでもいける、そう思っていた。


「そうだな」


と俺は答えた。そうしているうちに、日が登っていた。


「もう、こんな時間、戻らなきゃ」


と彼女は言った。


 ここは、一族の住処である孤児院である。ここでは、ストレスフルな人間で溢れている。そして、そのとばっちりと言うべきか。できるだけ、支配者やその近くにいる権力層から逃れていても、その下のものたちに、苛立ちという名のストレスが行き渡り、それはそのものたちから私たちを襲ってくる。どこにも行き場がないような感覚は、こういったことから、襲ってくるのであろう。そして、私たち以外の者たちは秘密を殆んど持たない。なぜか、トイレに鍵はあるが、全てを壊されている。治そうともしない。プライバシーと言うものはなく、どんなことでも支配者に伝わってしまうのである。そして、狭く壁が薄く閉鎖されたこの孤児院の空間では、一度デハやアリやガオがイライラし、怒ると、その建物中にその声やイライラが広がった。そのぐらいの大声でいつも喧嘩していた。そして俺たちの思考力を低下し、脳疲労を増幅させた。そして、俺たちはそこに居続けると何も考えられなくなってしまうのである。またちょっとしたことで罰を受けるので、常にすべてのものに気を遣っていなければならない。彼らは、放し飼いを得意にしている。泳がせておいて、それとなく理屈をつけてあとから罵声を浴びせ怒りをぶつけてくる。また、感情の爆発のタイミングが不明であり、どんなに些細なことでも起爆剤になる。意図的にそのシチュエーションを作っていると感じてしまうほどだ。俺とイオは良く外へ逃げ出していた。俺たちは、ただの怒りの捌け口のように使われているように感じ、家の中央にある、居間にはあまり行かなかった。


 この国がガオの支配下に置かれてから、ハネストの街の子供と孤児院の仲間は15歳以降にになると、工場に連れていかれる。母が逃げ出した工場だ。俺は外の学校の長期休み期間であそこに行ったことがあるが、外でやってきたどんなバイトより、あそこは憂鬱な空間であった。一度そこで働いた者は、絶対にもう行きたくないとみな思うだろう。場所は、生まれ育った街にある。そしてここからも高台に登れば見えるが、高さ約千二百メートルの歪な高層ビルのような建物がある。あの場所がかつての地元であり、奴らの本拠地だ。今はハネストの県境にある街ナルハの、母が逃げ出したあとに、母が買った家で暮らしている。あの建物は俺が外に行く前はなかったが、もの凄い勢いで建設が進んでいる。建設途中ではあるが人は住んでいるらしい。あれほどの高さの建物は、どんな都会でも見た事がないし、まだあれでも建設途中というから驚きだ。


 いつ、俺たちは工場に召集されるかわからないし、それを恐れ、俺たちは暮らしている。俺たちの住むこの家から、約六十キロ離れた場所にガオの本拠地で、俺たちの地元でもあるハネストがある。そこの工場に召集されたら、私たちの脱出口は無くなる。あそこは、ここより遥かに隔離された街で、輝かしい街にも遠い。それに、支配者の側近になるのだから、プライバシーもなくなり、例えば、毎日怒りのこもった電話を受けるとか、もしくは直接言われるとか、もっとストレスのある生活になるだろう。あの毎日のように父が帰ってきた中学時代は、今以上に地獄と言わざるを得なかった。体もおかしくなった。


今日も仲良く喧嘩しているらしい。


「見えないの?見えないのあんた?」とデハがガオに怒鳴る。


「みてんだろ!」とガオが言い返す。


 思い出した事がある。なぜかそのような口喧嘩では、ガオよりデハのが強い事が多くて、だから負けてガオのイライラは違う部屋にいるこちらに向かってくるのだ。扉を閉めているのに、開けて、怒鳴り散らしてくる。ガオはわざとデハを怒らせてる感じさえする。それが面白いから。サッカーのわざとシュートを打たせてるみたいな、ボクシングで相手のワザと殴らせているような。それは、相手の術中にはまっているだけだ。なぜならいくらデハやアリが吠えても、支配する土壌を彼は持っているからだ。お金という。だから余裕なのだ。抗えない財力があるから。そしてガオが口喧嘩で女性に負けたとしても俺というストレス発散口がある。彼が作ったストーリーに穴はない。


ゴールがわからない、世界。逃げても、徹底的に探され強制的に戻される世界。そんな世界に俺たちはいて疲れきっていた。結局は、俺たちが強くなって、この権力が届かないところに振りきるしかないのだから。俺は、その願いが叶うまで、イオと共に強く生きることを誓った。


俺たちは、隔離された世界で生きている。そして人はみな、他人のようだ。


そんな日々が毎日続いた…ある日。


「ドンドン…ドンドンドン…カチャカチャカチャカチャ」


「!!!?」


アリとデハが同時に気づいたようだった。


「ハハッ貴様らか、話は聞いているぞ。さあ、イオを渡すんだ。ふっふっ」


「ギィー、ギャー」


アリとデハはは突然の出来事に混乱していた。


「噂通りだ、本当に人間なのかこいつらは笑。言葉を喋れよ笑。」


ザークは、デハが混乱しているうちにイオに手をかけた。


「イオは貰っていくぞ。ハハハ」


「待て!イオは渡さない」


俺は掴みかかった。


「おや、話が通じる人間も居たんだな。そんなので私を倒せると思うのか。」


カイはとり剥がされる。


「まあ、今日の目的はこれだ。退却するとしよう。ハハハ。」


「また会おう、少年ハハハ。俺はザーク。まとも喋れるやつを発見した記念だ。電話番号を渡しておく。返して欲しければ、連絡をしてこい。お前のことにも少し興味が湧いたんでな。ハハハ。」


 ザークと名乗った彼は、凄まじい早さで去っていった。そのあと、アリとデハは支配者ガオにこっぴどく怒られ続けた。次の日、俺はこれが罠だと気付きながらも連絡するしかなかった。カイは、書かれてあった電話番号に、支配者ガオから支給されていた、スマートフォンで電話をかけた。


「俺だ。カイだ。」


「はははっ待ったよ。ご機嫌はいかがかい。」


「ふざけるな。イオはどうした。」


「イオちゃんかい笑。ハハハっ。」


「何が可笑しい!」


「イオを見たいのかい?みせてあげよう。ハハハっ。」


この、テレビ式の電話は相手の顔も表情も読み取れるものだ。彼女は寝室のような場所でセーラー服を着せられていた。


「お前っ何をした!」


イオは、少しはだけた格好になっていた。顔が少し赤くなりながらも、ザークに身体を触られていた。俺は観ていられないと思った。そして、その後次なる感情が沸き起こって来た。怒りと悔しさと悲しさだった。


「何もしていないよ。彼女はずっと寂しかったんだそうだ。あんな言葉もまともに通じないような場所にいて、本当に可哀想に。」


「カイごめん。本当にごめん。だけど、私ザークのことが好きになっちゃったみたいだわ。あんな場所から救い出してくれるなんて、私にとって英雄だわ。」


 俺はイオが大好きだった。イオは今までの人生の全てだった。希望だった。俺はザークを怒ることを諦めた。イオがそれを望んでいるんだったら、俺は誰の味方にもなれないし、誰も怒ることもできなかった。ただ、俺は自分の無力さを恨んだ。お金も支配者にわずかに与えられた生活できる程度しかなかったし、将来も今のままでは支配される運命しかなかった。こんな何もない俺よりは、ザークの元にいた方が幸せなんじゃないかと思ってしまった。そして、俺は電話を切った。優しかった、輝かしかった、イオは全て僕の思い違いだったのだろうか。もともとそうではなかったのだろうか。そうぼんやりと考えていた。


「思い出など美化されるものだ」


と振り切った。そして、このあとも続く、支配された世界、イオがいない世界に俺は絶望しか見出せなかった。


その悔しさが俺をここから抜け出すことを決意させた。これはある意味では、イオの「死」だった。愛する人を守れない、このままでは愛する人を幸せにすることができない。彼女の事が大好きだった。悔しかった。虚しかった。哀しかった…


「ザークお前必ず、殺してやる」


と言いたかったが、俺は何を恨んでいいのかわからなかった。ひたすら、自分の立場の弱さ、生まれた環境の辛さを恨んだ。俺は、全てに混乱していた。俺が一番愛していた、イオはザークに惚れているようだったし。支配者や、誘拐犯のザーク、全てを考えると、世の中信じられるようなことはもうないんじゃないかと。だとしても、犯罪者とも言えるそんな誘拐犯のザークより、俺は支配者を恨んだ。彼女は孤児院の出身でこの先どうなるかわからないという恐怖は、計り知れないと自ら納得した。そして、「絶対に強くなる」と誓った。


俺はこのめまぐるしく過ぎて行った現実を身に纏い、必死の覚悟で、逃げ出した。もちろん、「リセット」により仲の良い友達も消え、この外には何も当てがなかった。

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