第41話

 勝五郎は琢磨の屋敷に向かっていた。


 今日は一人だ。辰治は連れていない。


 琢磨のめいだというともえの言いぶんに従ったわけではないが、やはり辰治は、みさ緒お嬢さんのことに深入ふかいりさせない方がいいと考えていた。

 

 辰治については少し引っかかっていることがある。


(あいつは…何であんなに驚いたんだ…?)


 むっつりとした顔で考え込みながら歩いていた。


 琢磨の屋敷の門が見えてきた頃、若い男が屋敷のまわりをうろついているのが目に入った。首を伸ばしては屋敷の中の様子をうかがっている。

 誰が見てもあやしい素振そぶりだ。


「おい! 何してる」


 勝五郎が大声で怒鳴りつけた。

 若い男は驚いて振り返ると、勝五郎を見てあわてて走り去った。


(辰治を連れて来た方が良かったか…)


 男を捕まえて、正体をあばきたいところだったが、こちらも一人だ。アッという間に逃げられた。



「・・・取っつかまえようと思ったんですが、逃げ足の速い野郎で、あっという間にいなくなっちまいまして…。申し訳ありません」


 勝五郎がそう言って謝ると、


「いや、謝るには及ばないよ、勝五郎。見つけてくれただけでもありがたい。物騒ぶっそうな世の中だから、気を付けるように屋敷の皆に言っておこう」


 これでこの話は終わった、と琢磨は考えていた。


 だが、勝五郎が意外なことを言い出した。


「…旦那…もちろん泥棒のたぐいってこともありましょうが…どうも羽衣楼絡はごろもろうがらみじゃないかという気がしてるんで…」


「何だと?」


「中をうかがっている様子が…誰かを探しているような感じでしてね。この昼日中ひるひなかに首を伸ばしては屋敷の中を何とか見ようという素振そぶりが、いかにも素人しろうとじみた動きでして…」


「…玄人くろうとの泥棒というより、素人がみさ緒を探していると…」


「そう見えましたんで…。差し出たことでアレなんですが、実は私の方で調べたところじゃ、羽衣楼の奴らは東京の冴島のお屋敷まで行って、みさ緒お嬢さんが戻っていないかこっそり確かめてましたんで…。東京にいないとなれば、横浜ここのお屋敷だろうってことで探ってるんだと思うんですが…」


 勝五郎の話に、琢磨の表情はにわかにけわしくなった。


 そんな話は琢磨の耳に入っていない。東京の屋敷では羽衣楼の動きに気付いていなかった、ということになる。


「勝五郎…よく調べてくれた。ありがとう。礼を言う」


「…旦那…いちいち礼をおっしゃるのはどうか無しにしていただけませんか。…私としても羽衣楼にこの横浜で勝手なことされたんじゃ、しめしが付きませんでね」


 そう言う勝五郎からはチラリと凄味すごみのぞく。元はその筋で名の知れた博徒ばくとの親分だ。今は堅気だが、かつての切った張ったの世界でいのちまとけていた頃の性根しょうねがつい出てしまうようだった。


「で、今日お訪ねしたのは、例の羽衣楼の騒動の一件で…」


 みさ緒を逃がすために、誰かがわざと騒動を仕掛けたのではないか、という疑問についてわかったことがあるという。


 勝五郎はいつもの穏やかな調子に戻って、辰治たちが調べたことを説明しだした。



むすめだと? それはまた…。誰、というまでは突き止められていないんだな? 名前と言っても源氏名げんじなになるだろうが…」


「意外な成り行きで私も驚いているところで…。もう少しさぐれればいいんですが、その船員たちはあと一日で出港しちまうそうで、残念ながら時間切れ、ってことになりそうです」


 そうか…と残念そうにしていた琢磨だったが、突然声を上げた。


「いや、勝五郎。手があるかもしれん。私に任せてくれ」




 エドワード医師から連絡があったのは、船が出港した直後だった。


「ギリギリ間に合って話ができました。外国船の船長や船員たちは何かあると同じ西洋人の医師を頼るのでね。立場としては、話をつけやすい。…やはり店のむすめに頼まれたと言っていました。


 店での名は「かぐや」だということでしたが、かの船員はリヨンと呼んでいたそうです。名前の発音が難しいと言ったら、地名ならなじみがあるだろうと、娘の方からリヨンと呼んでくれればいいと言われたそうで…。


 かしこくて品のある優しい娘だと言っていました。深い事情は知らないが、リヨンの頼みなら正しいことに違いないと思って引き受けた、と言っていました。彼女が店に戻ってきたら騒動を終える手筈てはずになっていたそうです」



 琢磨は興奮していた。エドワード医師の話が疑問にぴったりと符合ふごうする。


 リヨン…確か恭一朗から、みさ緒の同級生に「りよ」という娘がいたと聞いている。りよの父親は、羽衣楼のあるじと裏の仕事でつながっていたはずだ。


 それに、みさ緒がやすやすと誘い出されるとしたら、りよが一番怪いちばんあやしいのだ…とも言っていたのではなかったか…。


 何より…暗い道で一人立っていたみさ緒を見つけたとき、まるで誰かを見送るようにして羽衣楼の方を見ていた、と言っていた辰治の話とも合致がっちする。


 急いで勝五郎に羽衣楼の「かぐや」というむすめのことを探ってもらわねばなるまい。りよがどんな役割をしていたかはだわからないが、少なくとも最後は、みさ緒の味方をしてくれた。


 もしかしたら、みさ緒を逃がしたたくらみがばれて、怒り狂った主に折檻せっかんされてひどい目にあっているかもしれない…。







 みさ緒は真っ暗な中にいた…。


 体の上には、岩のように大きな影がのしかかっている…。

 身動きがとれなくて、苦しい…。


 奇妙きみょうなことに…いつの間にかみさ緒は、上からみさ緒自身をながめていた…


 岩に押さえつけられているみさ緒は、固く目を閉じて動かない…まるで人形のようだった

 それに…なぜか何も身に着けていない…裸だ


 岩からは、虫が何匹もい出してきている

 虫は…人形のように動かない裸のみさ緒の首筋や胸を…い回り始めた


 あっ…

 虫がい回っているぞわぞわした感触がき気がするほど気持ち悪い…


 岩の下になっているみさ緒は、上から見ている自分自身だ…


 岩と体の隙間すきまにも虫が入り込んでいた….

 虫は、みさ緒の体の上を、まるで意志があるようにぞわぞわとい回っている…


 逃げ出したいのに、岩のような影が重くて動くこともできない…

 この恐ろしい時間を…ただ耐えるしかないのだろうか…


 …苦しくて…息ができない…


 助けて…誰か……


 このままなら…

 あまりにみじめで…もう…消えて…しまい…たい


 助けて……………




 ハッ…

 目をけると、巴と婆やが心配そうな顔でのぞき込んでいた。


 みさ緒の息は乱れて、心臓がドキドキしている。

 涙でほおれていた…。


 …夢……


 …夢の続きから目覚めた…



「みさ緒様…大丈夫ですか?」

「みさ緒…苦しいの?」


「あ…よかった…。あの…大丈夫です」

 みさ緒はほっとしたように、少し笑った。





 そうだ…たしか頭痛がひどくて…


 数時間前…

 みさ緒はテラスの大きな椅子に座って、左腕の大きな傷痕きずあとを眺めていた。


 この傷は銀座で、いきなり、りよに襲われて刺されたときのものだ。


 この傷痕が、今日はなぜか、気になってならない。

 傷痕が痛むとか、そんなことではないのに、傷痕から目をらすことができなかった…。

 

 傷痕をそっとなぞってみたりして、みさ緒は、ただじっと眺め続けていた。


 とにかく…傷痕の何かが気にかかって仕方がない、でも何なのかわからない…そんなもどかしい、もやもやした気持ちになっていた。


 そのうちに…頭の中で「ごめんなさい」という誰かの声がぐわんぐわんとひびき出した。別の誰かの声もり始めたが、何を言っているのかわからない…。


 やがて、ぐわんぐわんと鳴り響く声が頭の中で割れるような大きな音のうずになって、みさ緒は、立ち上がることもできないほどの激しい頭痛におそわれていたのだった…。






 巴はまだ心配そうにみさ緒を見つめている。婆やは水を取りにりてこの場にいない。


「巴さん…」


「どうしたの? まだ頭が痛む?」


「あ…いえ…。あの…」


「なぁに?」


「…あの…怖い夢を見たんです…。虫が体の上をいまわって…。私、裸で…大きな岩みたいなものの下敷したじきになって動くこともできずにいて…。気持ち悪くて、怖くて…。なんでこんな夢を見るのかわからない…」


「まぁ…みさ緒…。大丈夫よ。落ち着いて。夢なのよ。夢からめれば、いつもどおりのおだやかな生活よ」


 でも…と、みさ緒が訴えた。


「この間から急に発作ほっさを起こしたりして、みんなに迷惑かけて…。さっきも頭の中で大きな声が聞こえて、すごく頭が痛くなって…。それに、ときどき、理由もないのに不安な気持ちになるんです。…ふと気が付くとすごく時間が経っていることもあって…。何が何だか…わからない…。私いったい、どうなってしまったんでしょうか?」


 今まで心のうちにかかえていたものを一気いっきき出すと、みさ緒は巴にしがみついて泣き出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る