第18話 ウサギ

 ウェズンの姿を見て、条件反射のように顔の偏差値を計ろうとするベラトリクス。だが、近付いて来た彼女の表情を直視した瞬間、無意識に別のことを考えていた。


『なんだこの女……? 笑ってくるくせにとんでもねぇ威圧を感じやがる……』


 ウェズンに気圧されてサイサリーの上を離れたベラトリクス。立ち上がったサイサリーは、ウェズンの言葉には素直に従うのだった。


「ベラトリクスくん、あなたの戦い方も考えも間違っていないと思うのだけど、練習はもう少しだけ遠慮してほしいの? できそうかしら?」


 彼は、笑顔と威圧感の合わないウェズンに戸惑い、片手で頭をガリガリと掻きながら頷いていた。



「練習でも『もしも……』があるかもしれないからね、ここからは私が審判に入らせてもらうわね?」


 ウェズンの言葉は疑問形ながらも断定の意思がこもっていた。そして、この場にいる誰一人としてそれを否定しようとしなかったのだ。



 編入生の女性3人が待つ場所へと戻るベラトリクス、それとすれ違い、演習場の中央へ歩み出るのはアトリアだった。


「……思ったよりやるじゃない?」


「はっ! 相手が野郎のおかげでやりやすかったぜ」


 ベラトリクスはハイタッチを交わすように手を出したが、アトリアはそれを無視してすれ違う。

 収まるところを失った彼の右手を叩いたのはスピカだった。満面の笑顔で賞賛する彼女に対して、ベラトリクスは呟く。


「スピカ……、お前いいやつだな」



 第2演習場の中央にはアトリア、そして彼女と向かい合う褐色肌の長い銀髪をポニーテールにした女子学生。試合が待ち遠しいのか、準備運動をするように小さく小刻みに飛び跳ねている。

 編入生を模擬戦に誘った茶髪の女子学生は、どうやら3番手として出てくるつもりらしい。


はゼフィラ・ハミルトン! よろしくな、編入生!」


「……て名前じゃないの。アトリア・チャトラーレよ」


 余裕の表情で試合開始を今か今かと待つゼフィラ、対して視線を合わせず背を向けて距離をとるアトリア。



「試合開始の合図は必要?」



 彼女たち……、というより、アトリア個人に問い掛けるウェズン。横目でちらりと彼女を見たアトリアは返事をした。


「……勝手に始めたら? 私はいつでもいいわよ」


 ウェズンはそれを聞くと、口元を緩めて彼女たち2人しか聞こえないくらいの声量で「試合開始ー」と言いながらその場を離れていった。



 ゼフィラの方へ向き直るアトリア。彼女の姿はまさに仁王立ち。予備動作がまるでない、まさに「静」の姿勢だった。対するゼフィラは開始前同様に小刻みに飛び跳ねている。「動」的な構えは魔法使いらしさがなく、拳闘家のようにさえ見えた。


 身長はゼフィラが上。飛び跳ねているのも相まって、本来ならアトリアの視線は上を向くはずである。しかしながら、彼女はゼフィラを見下ろすような視線をしたまま一歩も動く気配がないのだ。

 右手に持ったスティックもその先を地面に向けたままである。


 一見すると隙だらけに見えるアトリアの姿勢。――にも関わらずゼフィラは仕掛けられないでいた。

 2人の距離は最初から魔法の十分な射程内、少々狙いが雑でも捉えられる距離だった。


「……あなたはウサギかなにか? 跳んでないでさっさと仕掛けてきたら?」


 アトリアが誘ってくるもやはり仕掛けないゼフィラ。彼女は試合開始の合図以降、アトリアではなくここから立ち去りたい気持ちと戦っているのだ。



『ヤバいヤバいヤバいヤバい……。この女、なんか絶対ヤバいって……』



 ゼフィラは今の自分の心境を理解できないでいた。ただ、あえて言葉にするなら「本能」がアトリアとの戦いを避けているのだ。


 ゼフィラは優秀な魔法の才覚をもちながら、優れた身体能力も併せもっている。その肉体的な機動力こそが最大の武器だった。動きでかく乱して、一撃必殺の魔法を決める。これが彼女の得意とする戦術。


 これまで彼女が戦ってきた相手は、常にゼフィラの動きに対応しようと「動いて」きたのだ。しかし、今目の前にいるアトリアは動く気配がまるでない。ただただ、危険な空気を漂わせてそこにじっとしているのだ。それは、さながら獲物を狙う猛獣の如く。


 アトリアの発する異様な気配に押されたのか、ゼフィラは後方に大きく2回跳んで距離をとり、スティックの先をアトリアに向けようとした。彼女は火の属性の魔法を得意としている。


「ファイ」

「……遅い」


 次の瞬間、ゼフィラは倒されていた。


 背中に衝撃を受けて吹っ飛び、地面に手を付いたのだ。彼女を弾き飛ばしたのはアトリアの放った氷塊、下級魔法アイシクルランスだった。



「アトリア……、あれは武術か剣術でもやってる動きだな? しかも、相当高度なレベルで」


 2人の試合を眺めていたベラトリクスは、誰かに伝えるかのように1人でそう呟いた。それに反応したのは隣りにいたスピカ。


「アトリアさんは街で剣術のお稽古をされていると言っていました! 一瞬で後ろにまわっていましたね!? そこからの呪文詠唱も併せてすごい速さです!」


 スピカに目をやったベラトリクスは、うんうんと自分を納得させるように何度も頷く。そして再びアトリアへと目を向けた。


「速さもだけどよ……。予兆の察知が異常だぜ? 魔法を撃つ予兆、というより予兆を見切ったって感じだな」


 彼はアトリアの力に感心すると同時にこうも思っていた。自分が戦って果たして勝てるかどうか、と。



 肉体のダメージはさほどなかったが、ゼフィラの精神的なダメージは絶大だった。今の一手で、どうやっても勝てないと頭に刻まれてしまったのだ。


 それを察してか、アトリアはウェズンへの確認もせずにその場を立ち去って行った。


「……やっぱりウサギね。私は狩る側だから」

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