『君を愛することはない』と言われましたが、溺愛の範疇ではないでしょうか?

アソビのココロ

第1話

「残念ながら、僕が君を愛することはない」

「えっ?」


 初めての夜の寝室で、夫となったバートレット伯爵家の次男キリト様から言い渡されました。

 頭が真っ白になります。

 何故?

 キリト様の機嫌を損ねることをしてしまったでしょうか?


「申し訳ありません。わたくしが何か粗相をしてしまったでしょうか?」

「そうじゃない、そうじゃないんだ」


 キリト様が大きなお腹を揺らしながら首を振って仰いました。

 よかった、わたくしの過失ではないようです。


 キリト様は『現代の奇跡』の異名を取る超有名人です。

 ソロバンなる計算機や拡大鏡などの日用品の発明、斬新な遊戯やファッションの考案、食の革命などの業績で知られ、その丸々とした巨大なお身体には叡智と幸運が満ち満ちているという噂です。


 特にキリト様の名声を高めたのが漫画という書籍の一種です。

 キリト様自らの手による漫画は、これまでの小説とも絵本とも違う何百年も進化した表現手法であると絶賛されています。

 キリト様の生み出した『竜の玉』や『一繋ぎの秘宝』は、我がエールセイン王国では知らぬ者がいないほどの大ヒット作であり、不朽の名作なのです。


 キリト様はバートレット伯爵家の次男ではありますが、その功績から叙爵は間違いないとされています。

 そんな現代の輝かしい成功者であるキリト様に望まれるなんて、素晴らしい幸運だと思っていたのですけれど。

 どうやらそんな簡単にハッピーエンドは訪れないようです。


「僕のような陰キャが流れに逆らうなんてとてもできないから、何となく結婚式も楽しんでしまった。アーニャが新婦なんて、夢のような時間だったよ」

「わたくしも楽しかったです」

「ところでそもそもどうしてアーニャは僕と結婚などということになったんだ?」

「ええ? ええと……」


 キリト様の方から望んでくださったと聞いておりました。

 違うのでしょうか?

 顔合わせも婚約期間もなく結婚というのは、遠方に嫁ぐのでなければあまりないことのようではあります。

 ただキリト様は大変お忙しい身でありますし、結婚していて当然の二二歳という御年齢でもありますので、こうした次第になったのかなあという理解でありました。


「君みたいな天使がキモオタデブの嫁になんかなっちゃダメだろう!」

「きもおた……えっ?」


 学のあるキリト様の仰ることはよくわかりませんが、わたくしのことを天使と褒めてくださっているようです。

 わあ、嬉しいな。

 わたくしは子供っぽいと言われることが多く、少々コンプレックスだったのです。


「自分を大事にしないといけないよ」

「キリト様が大事にしてくださると嬉しいのですけれど」

「ぐはっ! 何という破壊力!」


 キリト様も混乱なさっているようです。

 そうです、執筆活動で全く時間が取れないとの話でした。

 キリト様の方こそいつの間にやら結婚ということになっていたのかもしれません。


「事実の齟齬があるかもしれませんが、わたくしの聞いている事情を話してもよろしいでしょうか?」

「うむ、聞こう。アーニャの声はとても可愛らしいな。十分声優が務まる」

「せいゆう?」

「いや、こちらのことだ。ぜひ聞かせてくれ」


 キリト様は難しい言葉をお使いになりますね。


「あのう、わたくしはキリト様に求められて結婚すると聞かされておりました」

「えっ?」

「やはり何かの行き違いだったでしょうか?」


 わたくしの実家コートニー家は爵位こそ伯爵でございますが、キリト様のバートレット伯爵家とは歴史も知名度も資産も違う、地方の貧乏貴族です。

 家格こそ釣り合っているものの、飛ぶ鳥を落とす勢いのキリト様からお話をいただくなど、おかしいとは思っていたのです。


「行き違い、ではないな。確かに以前、アーニャのことを素敵な女性だと言ったのは事実だ」

「本当でございますか!」


 素敵な女性ですって。

 ならばどうしてわたくしを愛していただけないのでしょう?


「アーニャが素敵な女性なのは事実だが、だからといってどうして結婚などということに……あっ、父上の策謀だな?」


 キリト様のお考えがどうあれ、縁談をバートレット伯爵家からいただいたのはその通りです。

 キリト様のこの御様子から判断すると、どうやらキリト様のお父様の伯爵がわたくしとの結婚を目論んだようですね。

 おそらくはキリト様の事情を考慮せず、その年齢だけを鑑みて。

 そしてうちコートニー家としては、今をときめくバートレット伯爵家と婚姻で関係ができるのは万々歳だから、唯々諾々と従ったに違いありません。


 ……キリト様に申し訳ないですね。


「……キリト様がわたくしを愛してくださらないという理由を、あらかた察しました。キリト様には愛する女性がいらっしゃるのですね?」


 キリト様がかつてわたくしのことを話題にしてくださったのは本当なのでしょう。

 バートレット伯がそれを真に受け、コートニー家に縁談を持ち込んだと。

 しかしキリト様にはバートレット伯も知らない、愛する女性がいるのでは?


「何を言う! 僕はアーニャ一筋だ! アーニャの他に愛する女性などいない!」

「えっ?」

「夏に僕の作品の読書感想文を書いてくれて表彰されたろう? 表彰式には僕も出席していたんだ。その時にアーニャを知って、何と可憐なのだろうと感動した」


 ああ、あの時確かにキリト様いらっしゃいましたね。

 わたくしを見知ってださったのは面映いです。

 でもわたくしは愛されないのではなかったのですか?


「あのう、ちょっと理由がわかりかねますけど、離縁してくださっても構わないのですよ? どうも込み入った事情がおありのようですので」

「嫌だ! 一度手に入ったアーニャを手放すなんて考えられない!」

「……」


 大変嬉しいことを仰ってくださいますね。

 恥ずかしくなってしまいます。


「それよりもアーニャは僕なんかでいいのかい? その、イケメン令息がいくらでもいると思うけど」

「もちろんです。キリト様ほど優秀な令息はおられないではございませんか」

「アーニャが評価してくれているなんて! 僕は爆発するリア充!」


 爆発?

 物騒ですけれども、弾けるほど嬉しいということでしょうか?

 キリト様の表現は難解です。


「わたくしを愛していただけないという言葉の真意を伺いたく思います」

「うん、アーニャには知る権利があるだろう。実は僕には大事にしている戒律があるんだ」

「戒律ですか」


 なるほど、わたくしを気に入ってくださることと戒律を守ることが相反してしまうのでしょう。

 女人を近づけないとか、その手の戒律でしょうか?


「それでキリト様は今まで婚約者がおられなかったのですか?」

「えっ? それは単純に僕がモテないからだけど」

「……キリト様は素敵だと思いますけれど? モテないなどということはないでしょう?」

「ハハッ、さすが僕の天使。アーニャは優しいね。でも世の中には顔面偏差値足切り制度というものがあるんだ。僕なんかダメダメさ」

「……」


 相変わらずキリト様の仰ることはわかりかねますが、自己評価が極端に低いのではないか、と薄々感じます。

 変ですね?

 キリト様ほどの文化的偉業を成し遂げた者など、他にいはしませんのに。


「その戒律の内容を教えていただくことは可能ですか?」

「もちろんだ。『イエスロリータ、ノータッチ』というものだよ」

「いえすろりーた……」


 意味はわかりません。

 でもどうやら聖句のようですね。


「少女は愛でるべきものであって、触ってはならないという掟なんだ」

「触ってはならない……なるほど」

「アーニャの歳はいくつだい?」

「一四歳です」

「一四歳ではムリだ。条例違反だ。許されるわけがない」


 何の条例でしょう?

 キリト様の入信なさっている宗教団体のものでしょうか?


「アーニャって本名なんだろう? 愛称ではなく」

「はい」

「完全にアウトだ。狙い過ぎている。神様ありがとうございます」


 キリト様ワールドに入られてしまいました。

 わたくしではついていけません。

 しかし……。


「つまりは年齢が一番の問題なのですね?」

「えっ……言われてみればそうだね。年齢をクリアしていれば、少なくとも条例違反ではなくなる」

「ではわたくしが何歳になっていればよろしいですか?」

「一八歳だな」

「それではわたくしが一八歳になったら愛してくださいませ」

「何という尊いセリフ! わかった、神に懸けて誓おう!」

「ありがとうございます!」

「もちろんアーニャが嫌になったら逃げていいからね? 僕は君を束縛したりしない」


 何と心が広いのでしょう!

 優秀な方は偏屈であることが多いと聞きますが、キリト様は全然そんなことないです。

 わたくしはキリト様の妻で幸せです。


「キリト様に一つお願いがあるのですが」

「何でも聞こう」

「学院高等部に通いたいと思います。よろしいでしょうか?」


 もうすぐわたくしも初等部を卒業です。

 そのままキリト様の妻として家庭に入るつもりでしたが、どうやらキリト様の方でもそうした準備ができていない御様子。

 ならばわたくしも一八歳までの四年間、高等部で教養を磨いて、少しでもキリト様に相応しい妻であるよう努力したいと思います。


「了解だ。学院高等部にアーニャを捻じ込めばいいんだね?」

「えっ?」

「アーニャの頼みだ。ありとあらゆるコネクションを使って達成してみせよう。なあに、マネーイズパワーは学院であろうとも通用するさ」

「ち、違います!」


 高等部に進学するだけの学力はあります!

 夫であるキリト様の許しが欲しかっただけで……。


「何だ、そうだったか。すまないね。僕は学院に通っていなかったから、勝手がわからなくて」

「学院に通っていらっしゃらなかったんですか?」


 それは驚きです。

 いえ、考えてみればキリト様の頭脳なら学院で学ぶことなどないのでしょうし、その分発明や創作に使う時間が長い方が有益だったのでしょう。

 何から何まで規格外です。


「生来のヒキニート体質でね。学院に通ってもカースト底辺だろうから」

「ひきにーと……」

「いや、いいんだ。君が学院生活を満喫してくれれば僕も嬉しい」


 やっぱりお優しいです。

 わたくしはキリト様と結婚できて幸せです。


「そんなところかな? ではアーニャの部屋を用意させよう。僕みたいなキモオタヒキニートと同じ部屋では嫌だろう?」

「あのう、キリト様と同じベッドで寝てはいけませんか?」

「えっ?」

「わたくしが一八歳になるまで、キリト様がわたくしに触れてはならない戒律があるというのはうっすらと理解いたしました。でもわたくしがキリト様に触れる分には構わないのでしょう?」

「……そう言われればそうだ。そんなユートピアは考えたことがなかったが。アーニャは賢いな」


 えへヘ。

 褒められてしまいました。


「キリト様の大きなお腹の上で寝たいです」

「トトロベッド寝か。アーニャはことごとくロリのツボを突いてくるなあ。天才的というか天性の資質というか」

「よいしょっと。キリト様、重くないですか?」

「羽のように軽いよ」


 『君を愛することはない』と言われたときはどうなることかと思いました。

 が、キリト様は才能豊かなだけでなく、戒律を強固に守るほど己にも厳しい人だと知りました。

 その上わたくしには寛容なのです。

 何と素晴らしい方なのでしょうか。


「キリト様」

「何だい?」

「わたくし、もっとキリト様のことを知りたいです」

「そうかい? くだらない話でよかったらたくさんネタはあるでござるよ。アーニャ氏」

「えっ?」

「ハハッ、ジョークさ。今日は疲れたろう? ゆっくりお休み」

「はい、お休みなさいませ」


 さらには面白い方でもあります。

 キリト様、最高過ぎます!


          ◇


 ――――――――――五年後。


 わたくしは学院高等部を卒業し、名実ともにキリト様の妻となりました。

 キリト様によると今の状態は『らぶらぶ』と言うそうです。


「キリト様。執筆活動はよろしいのですか?」

「もう書かない。アーニャとの生活が大切だからね。元々僕は働いたら負けだと考えていたんだ。漫画で忙しくなってたなんて、僕としたことがどうかしていた」


 などと仰いますが、キリト様は漫画の執筆の際にアシスタントと呼ばれる手伝いを雇っていました。

 それは単なる手伝いでなくて、後進を育てるという大きな意味があったのです。

 かつてのアシスタント達は、現在新進の漫画家として名を成しつつあります。

 一人の天才の業績に終わらず、惜しげもなくその技能や方法論を広めて漫画文化を根付かせたとして、キリト様の名声はますます高くなりました。


「アーニャはずっと可憐だな」

「いつまでも子供っぽくて申し訳ありません」

「いやいや、エターナルロリータ最高です。ありがとうございます」


 相変わらずキリト様の言い回しと感覚には、わたくしではよく理解できないことがあります。

 天才とはそういうものなのだと、最近では割り切って考えていますけれども。


「アーニャ、愛しているよ」

「わたくしもです」


 キリト様にそっと抱きしめられます。

 偉大で寛大で巨大なキリト様、大好きです。

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